虫の音色が心地好い。静かな夜だ。ざぁ、と波の音を遠くに聞きながら、私は草に頬を擽られる感触で目を覚ました。

「…う…」

「魅白…」

一番初めに目に入ったのはルークの心配そうな顔だった。眉を情けなくハの字にして、というかベタに近い!

「わぁっ!」

「ふー…やっと起きたな」

「…ここは?」

私は周りを見回した。私が倒れていたのは白い花畑(しかもその花の一つ一つが微かに発光している)だった。見覚えの無い場所だ。オールドラントに来てからずっと軟禁されていたのだから当然といえば当然だが。
月明かりと花の光に照らされたルークに尋ねる。

「知らねーよ。俺もこんなトコ来た事ねーし」

予想通りルークから私の期待した答えは返って来なかった。
ふと、背後に感じた気配に身構える。

「彼女、目が覚めたのね」

「えっと…?」

そこにはすらりとした少女が立っていた。月明かりの似合う、透き通るような白い肌に、ミルクティのような色の長く真っ直ぐな髪を背中に垂らし前髪は左目に掛けている。背景の夜空のような澄んだサファイアの瞳を揺らしてこちらを見ている。
神秘的という言葉がぴったりなひと。

「私はティア。こんな事になってしまって…ごめんなさい」

「…そうだ、貴女、師匠を!…っ」

「大丈夫!?」

彼女がした事は覚えている。稽古の最中に乱入して来て、ヴァン師匠に攻撃をしていた。彼女、ティアの狙いが何であれ、ヴァン師匠に危害が及んだのは確かだ。
そう考え詰め寄ろうと立ち上がりかけたが、地面を衝いた手首に痛みが走り、思わず手を引っ込めてしまった。どうやら攣ったようだ。
ティアは心配そうに私に駆け寄ると、大事無いと分かったのか、すぐに呆れるようなため息をついた。なんだそのため息は。

「…ルークと同じ反応ね」

「う…」

「嫌なのかよ」

痛みの治まった手をついて立ち上がり、辺りを見渡す。綺麗なところだ。空気も澄んでいて、気持ちが良い。私はひんやりとした夜風に髪をなぶられながら花畑に立ち尽くした。
ルークが隣に来る。彼はこの景色に感動した、という面持ちではないが。

「そういえば、私たちどうしてこんなところに…?」

「私たちの間で超振動が起きたの」

質問に答えたのはやはりティアだった。音素同位体同士による共鳴現象、自分も第七音譜術士であること、私たちに敵意は無い事、とりあえず海沿いに渓谷(ここだ)を出て私たちを送り届ける事、彼女はとても丁寧かつ分かりやすく教えてくれた。
ヴァン師匠とは何があったのかに関しては話してくれなかったが、軍人であるらしい彼女は、私怨で一般人を巻き込んだ事に罪悪感を感じているらしい。

「そういえば…貴女は誰?ファブレ家は一人息子だけだと聞いていたのだけど…メイドとも違うようだし…」

「私は魅白。肩書きは―まぁ、話すと長くなるからおいおいするけど、ファブレ家でお世話になってる居候ってとこかな」

「そう、魅白。じゃあ行きましょう」

「うん。あ、あの、ティア、ってよんでいい?」

「…!ええ、いいわよ」

ティアはふっと顔を逸らすと、花畑の丘を下り始めた。私とルークがその後に続く。先程からルークとティアに何の会話も無いが、私が寝ている間に何があったのだろう。

「…!止まって」

ある程度進んだ時、ティアの腕に道を塞がれた。その声には緊張が伺える。

「どうしたの、ティア」

「魔物が居るわ」

「魔物!?」

魔物って、あのRPGとかに出てくるやつ?ガイの言った通り、オールドラントは魔物だらけなのだろうか。ならここは、いわばダンジョン?物騒な!

「魅白、戦える?」

「い、一応…!」

「いざとなったら、私の後ろへ」

「う…ん!」

ティアの一歩後ろで木刀を構える。この木刀は中に鉄筋が入っていて、かなりの強度なのだが、魔物を前にするとちっぽけに思えた。

「俺には聞かねーのかよ」

「…腰の剣は飾り物?」

「やな聞き方だな…」

ルークも臨戦の体勢に入る。魔物はちょうど三匹。植物のような小さいものと、イノシシのような魔物。

「…来るわ!」





「楽勝楽勝。向かうとこ敵無しだな!」

「言う割には、魅白に背後を守られていたみたいだけど?」

「…」

ティアの辛辣な指摘にルークの顔が曇る。むっとしたようにティアを睨み、木刀を収めた。

「背後ががら空きよ。いつも背後を守る人間が居るわけじゃないって思っておいたほうが良いわ」

「るっせぇな。勝ったんだから良いだろ」

「まあまあ、抑えて抑えて」

今にも噛み付きそうなルークとティアの間に入り、仲裁する。ティアの方は涼しい顔をしていて、指摘するのは当たり前だとでも言いたげな顔である。
屋敷では諦めていたのもあるが、ルークの我が儘ぶりに先が思いやられる。

「…行きましょう」

「フン」

本当は指図なんかされたくないというようにルークはのろのろと歩き始めた。



どのくらい歩いただろうか、渓谷を随分と下り、ようやく道らしい道に出た。草原が広がるそこは、どれほど周りを見回しても町らしいものは見えない。
これからどうするかと途方に暮れていた私達だったが、それも間抜けな男の声で打ち切られた。私達を見て悲鳴をあげた男は身なりからすると一般人らしい。

「あ、あんたら…漆黒の翼か!?」

「え?」

聞き覚えの無い名前に思わず聞き返す。あまり良い人違いでは無さそうだが。

「いや…違うか…漆黒の翼は男二人に女一人、あんたらは逆だな…」

「…えっと…?」

私達の事を間違えた男性はどうやら辻馬車の御者らしく、この渓谷には水を汲みに来たそうだ。そんな丸腰でよく此処まで無事だったな、と思う。こう見えてすごい拳法の使い手とか!…ないない。
私がくだらない事を考えているうちに、ティアが男性に尋ねる。

「その馬車は首都へは行きますか?」

「ああ、終点は首都だよ」

首都?ああ、バチカルの事。あそこ首都だったんだよねそういえば。私達はこのあたりに土地勘が無い。この人に送ってもらうのが賢明だろう。

「いくらですか?」

「一人20000ガルドさ」

高っ!そうか、この世界じゃタクシーみたいなもんだよね、こんなド田舎からじゃそのくらい取られて当然なのかな。貨幣価値はいまいち分からないけど、ティアの私と同じような反応で、やっぱり高いのか、と思う。
ちょっと待て。持ち合わせはさっき拾った小銭しか無い。これじゃチップにしかならない!
ルークが着払いでどうとか言ってるけど、それもダメらしい。ならここはこのオジサンを脅して…!そう良からぬ事を考え木刀の柄に手を伸ばした時、ティアは自分の髪を掻き分け首に掛けていたペンダントを外した。金の鎖に紫の綺麗な宝石が付いた、高価そうなペンダントだ。ティアは一瞬迷いながらもそれを御者に渡す。

「こりゃ高く売れそうだ」

交渉は成立した。けど、ティアの私物を売ってしまう事になって胸がちくちくする。こうなったのはティアのせいでもあるが、あのペンダントはティアにとって大切なものなのではないか、そう思った。

「いーモン持ってんじゃねーか。これで靴も汚れずに済むぜ!」

「ルーク最低」

「は?」

「ティア、ごめん…」

「謝らないで、あなたたちを巻き込んでしまったのは私だから…さ、行きましょう」

私達は辻馬車の都合がつき次第、渓谷を後にした。
向こうの空はうっすら白く。


夜明けが近い。


101111

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