ND2018
レムデーカン・レム・二十三の日



「魅白!」

「…なによ」

昨夜魅白のためにと行われたお別れ会的なもののせいで夜更かししていた私の頭は覚醒にひどく時間がかかった。ルークのいつになくテンションの高い声に若干苛々としながらベッドを抜け出す。
少しだけドアを開けると、後はルークが押し入って来る形でそれは完全に開かれた。

「ヴァン師匠来てるぞ!」

大好きな名前に胸が躍った。だが、今日は恐らく何も無かった筈だ。だからこそ昨夜にパーティーが開かれたのに。

「…嘘!だって、今日は稽古の日じゃないよ」

「俺だってわかんねーよ。けど、マジで師匠が来てるんだ。今応接間で父上と話してる」

用意出来たら来いよな!と言い残し、ルークは駆けて行った。
ルークがそんな嘘をつく奴ではないのは分かっているが、もし嘘だったら殴ってやろうと思う。嘘でない事を願いながら私はブラウスに袖を通す。

「何しに来たんだろ、師匠」





メイドさん達の手伝いでいつもより小綺麗に支度を整え、応接間に向かった私を待っていたのは期待通り師匠だった。師匠は礼儀正しい座り方のままこちらをちらと見ると、目を細めて微かに微笑んだ。
一足先に部屋に居るルークは何故か不満げにむくれた顔で師匠の隣に座っている。上座に座ったファブレ公爵も普段に増して気難しげな顔だ。
私はシュザンヌ様にそっと席を指され、そこに座った。

「師匠…どうして?」

「私は明日、ダアトに帰国する事になった」

「ダアトへ?」

ダアトは確か、ローレライ教というこの世界でも国レベルに有力な宗教の総本山だと聞いた。そして師匠はローレライ教の導師を護る神托の盾騎士団の謡将、つまりはかなりえらい人である。

「先日、導師であるイオン様が行方不明になられた。故に、私も捜索の任のため戻らなければならない」

「そんなぁ…」

イオンとか何処の誰だか知らないが、ひどい迷惑だ。ただでさえヴァン師匠と過ごせる時間は残り少ないというのに。

「ここでお前に会えるのはこれで最後かもしれんな」

「…はい」

「任が終われば城にも顔を出そう。では公爵、奥方様。我々は稽古を始めますので」

「…頼みましたぞ、グランツ謡将」

公爵の浮かない返事はさておき。師匠は今、稽古をしてくれると言った。まじですか!

「え!稽古してもらえるんですか?」

「ルークの頼みでな。私は先に行く。魅白もルークも支度が済んだらすぐ来るように」

ヴァン師匠はすっと席を立ち、応接間を出て行った。ルークも意気揚々と後に続く。

「ルーク、くれぐれも怪我のないようにね?」

「わかってるよ。うぜーなぁ」

ルークの心ない返事にシュザンヌ様の顔が曇る。ルークの脇腹に肘を入れて私も中庭へ向かった。
もしかしたら最後の師匠の稽古。精一杯学ぼう。我流と師匠のアルバート流を使いこなせばそれなりに強くなれるはずだから。といっても、実戦なんて無いだろうけど。
部屋に練習用の木刀を取りに行き、中庭に出るとそこには既に師匠、ルーク、そしてガイが居た。遅れてしまったかと思い私が駆け寄ると、ヴァン師匠はまた優しく微笑んだ。

「では、始めようか」

師匠の稽古は基本から始まり、防御、技と続く。ルークの双牙斬と私の双牙斬。二つを吟味しヴァン師匠は"その技はお前たちのものだ"と合格の言葉を述べた。

「へへ…ありがとう、師匠」

「ありがとうございます、師匠」

ルークも私も笑みを浮かべた。技を会得出来た事も嬉しいが、師匠に認められた事が嬉しいのだ。
稽古は続き、通常攻撃と技の組み合わせに入った。ルークも私も各々に練習人形へ攻撃を浴びせる。暫くして一段落つけるか、と動きを止めた時、私の耳はある音を拾った。

―ィ クロア リュオ…

音ではない。音がたくさん集まって、そう、それは旋律。歌だ。透き通った女性の声が邸に響く。
ただ聞けば綺麗で心地好いもののはずだが、私の体は聞くほど体が重くなった。とてつもない眠気に瞼は容赦無く降ってくる。

「なに…これ…っ」

「譜歌じゃ!お屋敷に第七音譜術士が入り込んだのか!?」

庭師のペールの言葉を理解するのに時間を要したが、それではこの歌は攻撃という事になる。あっさりと術中に嵌まってしまうなんて、情けない。
見ればルークもガイも、ヴァン師匠ですら膝をついていた。

「くそ…何をやってるんだ!警備兵たちは…!」

ガイは警備兵への怒りを露にしながらもその声は絞り出しているように限界を感じる。そして彼はルークの方を見ていた。
ここへの侵入者という事は、ファブレ公爵かルークか…もしかしたら私、を狙っているのだろう。ファブレ公爵の周りにはまだたくさんの警備兵(どうせ寝てしまっているだろうが)が居るが、こちらは中庭というひらけた空間では丸腰同然だ。

「ようやく見つけたわ…裏切り者、ヴァンデスデルカ!」

恐らくあの歌の主である女性が屋根から中庭に飛び降りて来た。彼女はルークでも私でもなく、一直線にヴァン師匠の背後に走り寄った。
師匠が危ない!

「覚悟っ!」

彼女の振り下ろした杖を間一髪でヴァン師匠は木刀で受けた。あれをもろに食らえばヴァン師匠でも危なかっただろう。それにほっとしながら私は私の木刀を握り直した。

「やはりお前か、ティア!」

ヴァン師匠は振り絞るように彼女、ティアと呼ばれた少女の攻撃を跳ね退けた。ティアは師匠によく似た色の髪を靡かせて一度ぐっと後退しながらもすぐにまた攻撃に移る。師匠はそれを木刀で受けるのが精一杯のようだった。
師匠を助けなければ。そう思ったのはどうやら私だけではなかった。

「なんなんだよ…お前は…っ!…師匠に何してやがんだっ!」

ふらりと立ち上がったルークは手にした木刀を彼女に向かって振った。ティアははっとしたようにルークの攻撃を杖で受け止める。
鍔ぜり合いが続く。師匠が動けない今、私とルークで彼女を倒すしかない。私も萎えた足に鞭打って、立ち上がった。

「…ルーク!今行くっ!」

「くっ…」

「いかん…いかん!やめろ!ルーク!魅白!」

「え…?」

師匠の制止が届く頃にはもう遅かった。二人の元へ駆け寄った私が覗き込んだルークの顔が、痛みに耐えるように歪んでいる。
外傷の無い彼を苛む痛みがあるとすれば、いつもの頭痛しかない。

「ま、また、変な声が…っ…くそっ!なんだってんだ、なんだってんだよ!」

「ルークっ!」

その時、鋭い耳鳴りのような音が私の頭に響いた。体が軽くなる感覚に、はっ、と見るとルークと彼女の鍔ぜり合いの間に何かが生じていた。

「これは、第七音素!?」

それが誰の台詞なのか確認する隙も無かった。とんでもない力に吸い込まれるような、押し返されるような、そんな力に耐えるのに必死だったから。

「ルーク!魅白!」

ガイやヴァン師匠が私達の名前を呼んでいる。目の端に二人が駆け寄って来るのが見えた。
それもつかの間、私の視界は真っ白になり、意識はどこかへ吹き飛んだ。


101111

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