ある日、リビングで洗濯物を畳んでいたら、ぶるぶるとポケットの中の携帯が震えた。電話だった。
誰だろう、と画面を見た私はそこに表示された名前に思わず「えっ」と口に出してしまった。自分用のノートパソコンに向き合っていた波江さんがちらりとこっちを見る。
とりあえず畳んでいたシャツをソファに置き、電話に出た。


「もしもし?」

『かなえ?』

「はい」

『あ、俺、臨也だけど。電話するのは初めてだよねえ』

「はい」


以前この部屋の合鍵を貰った時、一緒に渡されたのは彼の電話番号。その日のうちに一応登録しておいたんだった。


『波江さん居る?』

「はい、代わりますか?」

『いや、いい。"それが終わったら帰っていいよ"って後で伝えて。それと』


臨也さんは今どこに居るんだろう。雑踏が聞こえるから、街中に居るのだろうけど。


『俺今池袋に居るんだけど、かなえも後で出ておいでよ。たまには二人で外食しよう』


波江さんはいいんですか?と小声で尋ねると『それは彼女も嫌がるだろうから』と返ってきた。


「わかりました」

『じゃあ七時に池袋駅で。ああ、間違っても西口には行かないように』

「?はい」

『じゃあね』




臨也さんと二人で出掛ける、そう思うとつい張り切って、メイクや服に気合いが入ってしまった。と言っても一緒に暮らしてる以上、すっぴんは何度も見られている。
私は臨也さんに言われた通り駅で待っていた。時刻は七時十分前。少し早い。
たまに携帯を見たりしていると、不意にとんとんと肩を叩かれた。


「お嬢さん!可愛いね〜!もしかして、俺の事待ってる?」

「えっ、私?」


お嬢さん、と言われて振り返ってみれば、そこには黄色に近い茶髪をした高校生が立っていた。いかにもナンパっぽい男の子だ。
それにしてもお嬢さん、って、私そんなに童顔だろうか。オバサン、と呼ばれなくて良かったといったところか。


「ちょ、ちょっと紀田君」


紀田君、というのがナンパ少年の名前らしい。もう一人の黒髪の少年が紀田君に向かって「やめようよ」と言っている。


「まぁ帝人は黙ってろって。お嬢さん、良かったら今からボク達と遊びに行かない?」

「あ、私、人待ってるから。ごめんね」

「ちょっとだけ!お茶だけでもー!」


と、紀田君が私の手を取ろうとした時、見慣れた黒いコートが私と彼の間に割り込んだ。


「"俺のツレに何か用?"って、ベタな台詞だよねぇ、紀田正臣君」


紀田君が取ろうとした私の手を先に掴み、臨也さんが言う。


「……驚いた。臨也さん、彼女さんですか?」

「うん?ちょっとね。だから君にはあげられないな」


臨也さんと紀田君の間に妙な緊迫感が走る。
その沈黙に堪えられなかったのは私だった。


「あの、臨也さ……」

「おいで。じゃあね、紀田正臣君」


掴まれた手をぐいと引かれ、私達は歩きだした。





「あの……ちょっと速いです」

「っと、ゴメン」


ヒールのサンダルを履いてきてしまったから、臨也さんの早足について行けない。臨也さんは慌てて歩幅をゆっくりにしてくれた。


「そういえば、今から何を食べに?」

「ん?スシだよ、寿司。ロシア寿司」


ロシア寿司、特徴的なその名前には、思い当たる節があった。


「あ、あの外人さんが客引きやってる所ですか?」

「行った事あるの?」

「池袋に住んでた時、たまにお店の前通ってたんです。なかなか入り難くて行った事はないんですけど」

「そっか」




それから、かなえはどんなネタが好きかとか、臨也さんは大トロが好きだとか、池袋に住んでいた頃はどんなだったかとか、まるでカップルのように手を繋いだまま他愛のない話をした。
紀田君については臨也さんは、知り合いだよ、とだけ言った。


110802



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