嫉妬の神さま



今日の僕の代名詞であり美と愛を司るアフロディテ様は、その美しさからたくさんの女神に嫉妬される。そして今も僕をテーブルの向こうから睨み続ける彼の神様は主神の嫉妬深い妻、ヘラ。僕は嫉妬される事に慣れていないわけではないけど、ここまで敵意を剥き出されるのは良い気分はしないものだ。僕が何から何まで悪い事をしたというわけじゃないんだよ。

「アフロディ、よくも深緒を泣かせてくれたな」

沸々と奥底から溢れ出す怒りにどうにか蓋をしている様子でヘラが言った。彼の隣には彼の妹であり僕の恋人である深緒が僕を申し訳なさ気に見ている。「お待たせしました、アイスコーヒーとアイスティー、烏龍茶です」。ここの喫茶店のウエイトレスはこの席を包む不穏な空気をものともせず仏頂面のヘラの前にアイスコーヒーを置く。僕はアイスティーにミルクを注いで、ヘラの刺すような視線から逃れようとした。

「今度という今度は許さん。アフロディ、お前は金輪際深緒に近寄るな」

「ちょっと待ってくれよヘラ、僕はそこまで言われるような事をしてない」

「現に深緒は泣いていたんだぞ!かわいそうに、俺の可愛い深緒…」

「お、お兄ちゃん…」

ぎゅっと深緒を抱きしめるヘラにすこし頭がきたのは秘密だ。実の兄妹だからってして良い事といけない事があるだろう。僕は気分を静めるため、ミルクティーを口に含んだ。まろやかな風味がひやりと咥内に広がる。うん、ちっとも落ち着けない。深緒がそんな僕の様子に冷や汗をかき、ヘラの袖を掴む。

「お兄ちゃん、もう良いってば。私、照美くんと仲直りしたの」

「駄目だ深緒。こんな女みたいな顔したタラシのナルシストなんかにお前をやれるか!」

「コンビニの店員と手が触れ合ったくらいでどうしてここまで言われなくちゃいけないんだ!」

そう、僕は深緒というものがありながら他の女の子とデートしたとかナンパしたとか、馬鹿な事はしてない。ただ、深緒と寄ったコンビニで買い物をした時、その時のレジが運悪く女性店員で、お釣りを渡される時に手が触れ合ってしまったんだ、不可抗力なんだ。ヘラに負けず劣らず嫉妬深い深緒は勿論それに大騒ぎし、大泣きし、挙げ句彼女の兄に愚痴をしたんだろう。その後は僕の愛情と財布をかけて丹念に深緒の機嫌を取り、漸く仲直りをしたのに、そこに間髪入れず僕の家まで殴り込みに来たのがヘラだ。僕の家では何かを破壊されてはたまらないと近所の喫茶店まで連れて来たが、どうやらヘラの怒りは留まる所を知らないらしい。彼の妹に対する可愛がり様は最早言うまでもないが。

「僕は深緒を愛してる。今回だって故意でした事じゃないって深緒も分かってくれたんだ。頼むよヘラ、許してくれないか」

「そもそも俺は深緒とお前が付き合う事を許可した覚えは無い」

「本人の同意が第一だろ!」

一度火の着いたヘラはその後三時間はしゃべり続け、深緒と二人がかりでやっと宥める事が出来た。たった三杯で三時間以上も溜まるなんて喫茶店にしてはいい迷惑だろう。

「もし次があってみろ。容赦しない」

「肝に命じておくよ」

敵意剥き出しの台詞を背に浴びながら伝票を手に取る。深緒がレジに向かう僕の腕にそっと腕を絡め、「ごめんね」と呟いた。「いいよ」と返して伝票をレジのテーブルに置く。財布から千円札を一枚差し出して、数十円のお釣りとレシートを受けとった。

「ありがとうございました」

甘える深緒に気を取られて気付かなかったが、喫茶店のレジは女性店員だったのだ。腕に食い込んだ爪先にハッとした頃にはもう遅い。


100926