忘れ者



果してイナズマジャパンは世界を下し、その頂点に立った。これもエイリア石の賜物だろう。試合後、私の腰を抱き寄せて満足げに微笑む我等がキャプテンの冷徹なそれに舌を巻いた。脇に抱えられた黒いサッカーボールが彼の高ぶる鼓動に呼応するよう、赤い光を放つ。
決勝戦でもキャプテンがゴールを守る事は一度も無かった。ずっと前線に出ていたせいで彼の元のポジションが解らなくなるが、確かに彼はゴールキーパーだ。今ではほぼリベロ状態でゴールがガラ空き、それでも彼がゴールを守らなければならないほどのシュートを打つ人間はこの世界に存在しないのだから。
取材や写真撮影をあらかた終え、私達はホテルに戻った。全く手応えが無かったといえど世界一の称号は嬉しいもので、イレブンは少しなりとも浮かれているようだ。そしてパーティ気分で私達をここまで導いてくれた総帥の、温かな気遣いで用意された一流の食事で夕食を採る。機嫌良く饒舌になった染岡や、食事を大量に頬張る壁山に程々にしておきなさいよ、と釘を刺して私は守の隣に座った。

「守」

空になっていた彼のグラスに良く冷えた神のアクアを注ぎ入れた。サンキュ、と短く言い、私の頭を撫でる。これは昔から彼の癖のようなもので、エイリア石を手に入れる前の彼もよく私の頭を撫でてくれた。といっても覚えているのはその癖だけで、以前の守を私は思い出す事が出来ない。

「世界一おめでとう」

「ああ…ありがとう」

ぐいとアクアを飲み干し、守がニッと笑う。光の無い目を細め口を三日月に曲げて、屈託の無い笑顔とはまた違う、黒さを隠した笑顔。その顔は黒いヘアバンドによく似合う、綺麗だ。次に守は懐かしむような表情を浮かべ、自分の懐の中からエイリア石のペンダントを取り出した。守は四六時中肌身離さずこの石を持ち歩いているが、様々な特訓で強化された守はこの石が無くても世界一になる事は手易かっただろう。それでも懐に身につけておくのは、安心するからだと風丸は言う。

「コイツのお陰だな」

紫色の水晶は守の賛美に応えるように彼の手の平の上で光を放っていた。見れば今しがたまでガヤガヤと食事を取っていた皆も各々懐から石を取り出し、手の平に乗せてその輝きを恍惚と見入っている。それは私も同じで、懐からやや小ぶりのエイリア石を取り出した。手中の石を高々と頭上に掲げて守が立ち上がった。

「影山総帥、エイリア皇帝陛下…俺達がここに上り詰めることが出来たのはあの方々があってこそ。俺達はハイソルジャーの名を頂いた!エイリア石に誓おう、この名に恥じぬ、あの方々への忠誠を!」

忠誠を、と私達も同じように石を掲げた。天井のシャンデリアに反射してまばゆい光を放つそれはなんて綺麗なんだろう!それを見つめていると心が安らぐような、それでいで血が騒ぐような、とても気持ちがいい。暫くの静けさの後、皆はまたガヤガヤと食事を再開した。
そうだ、スープを注いであげよう、とキャプテンに目を移した私は一転、はっと息を飲んだ。守が泣いている。悲しそうな顔もしていないのに、なぜかその目からは大粒の涙が次から次へぽろぽろと零れ、彼の席のテーブルクロスに染みを作っていた。あまりに凝視してしまったせいで守が私を訝しげに見ている。

「俺の顔に何かついてるか?」

「それ…」

守が不思議そうに自分の頬に触れた。

「―――濡れてる…」

どうして泣いてるの?そう尋ねても返ってくるのは、わからない。それだけだ。それでも涙を零すのには何か理由が必要だ。なのに守にもその理由は理解出来ていない。

「わからない。変な気分が、波みたいに俺の中にやってくる。俺は、何か、大切なものを忘れている。どうして大切なのか、どうして忘れてしまったのか、そういうのは全然わからない。けど、なんていうんだ、欠落感っていうのかな。多分、ここが寂しいんだ。止まれよ、おい、濡れるだろ」

ぐ、と左胸を掴んで守が考え込むが相も変わらず涙はついにテーブルに水溜まりを作った。
私達はその涙の理由も意味も分からずただあまりにも甘美な夢に酔い痴れる。




100926