砂埃とわたし
体操服の裾をハーフパンツの中に押し込みながら呆然と風に靡くフラッグを眺めていた。そのお陰で背後に居たヒロトに気付かなかったのが一番の敗因と言える。
「黄緑」
はっとする程綺麗な微笑を浮かべて私の下着の色を言うヒロト。私は容赦無くその鳩尾に肘を叩き込んだ。グラウンドの砂に膝をついて悶絶するヒロトを鼻で笑い、クラス列に戻る。
「うん…けっこう効くね…」
「はやく戻らないと、点呼の邪魔だよ」
人の下着を覗いて地面にはいつくばっているのだから自業自得だと思ったが、髪のふわふわした、頭の中までふわふわしてるんじゃないかっていうような女の子達が鈴のようにお可愛らしい声で「基山くんだいじょうぶ?」と労りの言葉を掛けた。けど顔は薄化粧のお陰で可愛くないわけでもないので、どうせ覗くならあんな子達の下着を除けば良いのにと思う。ヒロトも物好きだ。私みたいに地味な女をからかって何が楽しいのか分からない。そう私が疑問に思っているのをよそに、立ち上がったヒロトは手の平についた砂を掃いながらまた私の元へやってきた。男子の列はあっちだろうに。私がしっしっ、と手で追い払う仕種をするとヒロトが困ったように笑った。
「今日やたら俺にひどいね」
「そんな事ない」
あくまで当社比だが。
「分かった、全体練習で緑川が居るから、緊張してるんだ?」
「…ッ!」
体育大会が近いので、全校生徒での練習も増える。則ち緑川君もきっと一年生の列に居るのだろう。最悪な事にヒロトに私の緑川君への恋心が知られてしまっているので、こんな時はついピリピリしてしまうのだ。ヒロトに冷やかされて私の顔があからさまに赤くなるのが分かった。点呼が終わり、入場行進の隊形に移動する間も相変わらずヒロトは付き纏う。
「あっ、だから今日は黄緑なんだね、下着」
実はヒロトの言う通りだ。緑川君の事を考えながら下着を買ったとか私気持ち悪すぎる。
「か、関係ない!」
「照れない照れない」
「ヒロト!」
「やぁ緑川」
「みっ…!」
なんとも運の悪い事に、綺麗なポニーテールを揺らしながらやって来たのは緑川君だった。こんなに間近で見るのは初めてなので胸がトゥントゥクする。だが当の緑川君は私とヒロトを見比べ、あっ、と声を漏らした。
「あ、悪い、邪魔だったかな」
「うん。せっかくイチャイチャしてたのに」
「ばっ、ヒロト!ううん!全然邪魔じゃないよ、イチャイチャもしてないし!」
余計な事を口走るヒロトの背中を緑川君から見えないように抓った。余計な事を言うな、と念じながら。
「えっと、古町先輩?はヒロトと付き合ってるんですか?」
「は、え、いや、違うよ!」
思わぬ時に緑川君に名前を呼ばれて、不愉快な誤解をされたにも関わらず顔がにやけてしまった。古町先輩。良いかもしれない。体操服で良かった。
「緑川のクラスは今から何するの?」
「俺のとこも行進。面倒だよ」
緑川君とヒロトが談笑をしている光景は他の女子から見たら最高のシーンだと思った。私にとってヒロトはまさにアウトオブ眼中だが。
「古町先輩はヒロトと同じクラスなんですか?」
「こ、あ、うっ、うん」
突然話を振られて吃ってしまう。緊張してうまく言葉を運べない。それでも緑川君は大きな黒目を動かしにこりとしてくれた。
「こらそこ!早く列びなさい!」
「あ、すいません!」
近くに居た先生により私の最高の時間は終わってしまったが、私はしばらくその余韻に浸っていた。隣に居たヒロトが終始にやにやしていたのも許してしまうほどあのほんの数秒の会話は私にとってまさにヘブンなタイムな訳で、やっぱり私は緑川君が好きだと再認識したのだ。
「緑川が『古町先輩の下の名前なんていうんだ?』って聞いてきたよ。脈あるんじゃない?」
「え!」
「あと、君の下着の色教えちゃった」
「死ね」
100918