職権乱用





あちらこちらからボールのぶつかる音がする。いくら合宿所とはいえ室内でサッカーとは、さすがあのキャプテンにこのメンバー有りと言ったところ。どんどん、ぱらぱら、振動が響いて、埃が落ちる。私は呆れ顔のまま見張り番の久遠監督に軽い挨拶をし、おにぎりを大量に乗せたお皿を手に上の階へ向かった。やはり建物が揺れているせいかすこし埃っぽい。ラップをかけていて良かった。

「お腹空いてない?おにぎり作ったんだけど」

練習近所令のせいでうずうずした挙げ句室内で暴れ始めた彼らのために私達マネージャーがおにぎりを作った。夕食までまだまだあるし、小腹も空いてきた頃だろう。円堂君、風丸君、壁山君、適当に部屋を回って、おにぎりを勧めていった。

「サンキュ!深緒、ありがとな!

「ああ、もらうよ」

「ありがとうッス!」

キャプテンや壁山君はムシャムシャと豪快に頬張り、風丸君や緑川君は遠慮がちに一つだけ食べた。余分に作ってあるから、そんなに遠慮しなくても良いのに。だからこんなに細いのだろうか、と少し複雑な気分になった。

「…あと一つだけか…」

出来る事なら基山君の部屋に行くまでにおにぎりが無くなる事を望んでいた。なのにお皿の上には一つの塊。くそー不動君め、お腹の虫鳴ってたじゃない。
他の部屋と同じように中からボールの音が響いている。基山君の部屋の前で私は悶々としていた。私は彼が嫌い、と言う程でもないが、苦手だ。ジェネシスの頃のトラウマがまだ残っているのと(その点を割り切っているキャプテン達はある意味すごいと思う)、彼の独特のペースがなんというか、苦手だ。正直、同年代の男子なんて大した事無いだろう、と甘く見ていた私の概念を見事にひっくり返したのが彼。

「あっ、私が食べちゃえば良いんだ」

それで、おにぎりが無くなったって事で撤退しよう。仕方ないよね。どうせ基山君も差し入れとか食べるようなタイプじゃないだろうし、このまま私が食べてもバチは

「ねぇ、そのおにぎりくれるよね?」

当たった。どうしてボールの音が止んだのに気付かなかったんだ、私は!サッと扉が開いたのと同時に私の顔色も変わる。おにぎりに伸ばしていた手を恐る恐る引っ込めてお皿を、彼、基山君に差し出した。基山君は口角を緩く上げて微笑みを浮かべたまま「ありがとう」と言った。ぐい、とこめかみに流れた汗を拭う仕種が少しだけかっこいい。彼は拭った手を見て、「あ」と声を上げる。何、と身構える私をよそに、基山君はまたへらっと笑った。

「ああ、今ちょっと手が汚れてるから、待ってね」

基山君は部屋の中に戻り、ウェットティッシュで手を綺麗に拭いた。他の人はあんまり気にしてなかったが、ここで出た育ちの良さと言うか神経質さというか。廊下で立ち尽くしているのも妙だと思ったので、思い切って私は彼の部屋に足を踏み入れた。部屋はついさっき振り分けられたせいかまだまだ未使用感があり、大きなスポーツバッグがどんとベッドの側に置いてあるくらいだった。

「ちょうどお腹空いてたんだ。じゃあ、いただきます」

最後の一つを掴み、口に運ぶ。もぐもぐと彼が食べている間、お互いに無言のまま部屋の中で立ち尽くすというシュールな光景が広がっていた。
「…うん、美味しかったよ。ごちそうさま」

基山君がようやく最後の一口を食べ終わり、私はほっとする。

「じゃあ、頑張ってね」

早くこの空間を出たい、お皿を食堂へ戻そう、そう思って部屋を出ようとする私を基山君は許してくれなかった。

「待って」

おにぎりで汚れていない方の手で私の肩を掴んで、私を止めさせた。心臓が跳ねる。

「古町さん、俺の事あんまり好きじゃないよね」

「え…」

まさにその通りです、なんて言えるはずもなく、にこにこした基山君に苦笑いしか返す事が出来ない。一体何をされるんだ、私は。

「俺は、古町さんの事嫌いじゃないよ」

肩を握る手に力が込められ、基山君の顔が近くなる。混乱してうまく思考回路が働かなかったが、とっさに顔を逸らし、持っていたお皿で彼との間に壁を作った。しかし壁も彼の空いている手によって難無く退けられ、次にその手が私へ向かって伸ばされる。顎を掬われる。

「簡単に言えばさ、俺は君が好き、だよ」

僅かにでんぷんの付着した指先がそっと私の唇をなぞった。



100918