これは自分が見ている夢なんだと、最初から分かっていた。
私たちは制服を着ていなかったし、目に映る臨也はどう見ても大人の男の人の顔つきと体つきで、声だって私が知っているより低かった。
何より、臨也は優しかった。

自分から見えない私はどんなだろう、と思った。
夢の中の自分はきちんと大人になれているだろうか。
戸惑い、手のひらばかりを見つめる私の手に細くて大きい手が重なる。
顔を上げれば、微笑んだ臨也が何かを囁く。
泡のように溶けて消えた言葉をもう一度聞かせるように「好きだよ」と臨也が言う。
私の手を取りながら、何度も何度も。
目を細める臨也は幸せそうに愛を紡ぐ。
私は動けず、口を開けなかった。


「好きだよ、好きだ」


もたれかかるように身を寄せてきた臨也に抱きしめられ、喉が詰まる気がした。
目を閉じた彼は私を見ていない。
見えていないのならば、私がどんな表情をしようが自由だと、やけに冷静な頭で考える。
好きな人から一番欲しかった言葉をもらって私がする表情は、
一つしかなかった。


聞き慣れた声が耳に届く。
臨也の、声だ。
そうだ、私は日直の役割を果たす臨也を隣のクラスであるというのに待っていた。
こんな風に理由なく一緒に帰るのは、毎日なんてことはないが珍しいことでもない。
これも腐れ縁が生み出した状況なんだろう。
…ああ、ぼんやり残る悲しみはなんだっけ。


「名前、いつまで寝てるの」


起きなよ、と続いた声にうっすら目を開く。
幼さの残る顔立ちに赤い瞳を携えて、臨也はいつも通り大人ではなく高校生の臨也だった。
呆れたような視線は私を急かすように見えた。


「待たせたのは悪かったけどさ、こんな学校の机と椅子で眠れる神経を疑うよ。身体痛くしたんじゃない?」

「……、」

「聞いてる?」


夢の余韻が痛かった。
私もつくづく、馬鹿な幻想を夢見たものだ。
ずっと付き合っていれば嫌でも分かる、臨也の生き方、性格。
知った上で惚れた私も重症だと思う。
再び顔を上げれば、訝しげに私を見る臨也が居た。
ぼんやりした記憶の面影と、目の前の姿がかぶる。


「ちょっと。本当にどうしたの」

「…夢を」

「え?」

「臨也の夢を、見たよ」


じわじわと視界が霞むのが辛くなって俯く。
特に驚くでもなく、私を見返す臨也が目蓋の裏に焼き付いていた。
涙が机に落ちて、砕けてばらばらになる。
こんなに流れ落ちてしまったら、誤魔化しも出来やしない。
彼が女の子を慰める様子は幾度となく見てきた。
涙を拭うとか、抱きしめるとか、その類の行為をされたら終わりだと信じて今まで弱さは見せてこなかったのに。
夢の中の臨也があまりに優しかったから、なんて酷い言い訳で私の妄想。
よりによって、どうして臨也だったんだろう。
誰でもいい。彼以外の誰かに優しさや愛を求められていたらどんなに良かったか。
だって、それはゼロじゃない。
可能性というものが存在する。


「…帰るよ」


予想に反して、臨也はそれだけ呟いた。
ぐずる私の手を軽く引いて、薄ら寒い廊下へ連れ出した。
誰にも会いませんように、と密かに念じたのが叶ったのか、幸い学校を出るまで誰ともすれ違わなかった。
部活動をしている生徒たちの声が遠い。
臨也の指先は、時々落ち着かない様子で何度も私の手首を握り直していた。

一緒の帰り道を歩く。
いつもなら、ジャンケンで勝っては私へ押しつけるはずの鞄を臨也はきちんと肩に掛けていて、その肩の先の手には私の鞄も持っている。
平素は私を置いていく足取りも、今日に限ってゆっくりとしていた。
中途半端で不器用な優しさ。
それが嬉しいというよりかは、ただ怖かった。
臨也がいつも通りにしていてくれないことが、一番怖い。
普段は送らない三軒先の私の家まで、臨也は歩いて行った。
未だ手の甲で涙を拭う私へ、臨也が鞄を差し出した。


「…ごめん。ありがとう」


私の謝罪と礼に対して、臨也が口を開きかける。
いくつもの言葉を押し込めた様子で、不意に俯いた彼の視線の先には握る手と握られた手首があった。
既に差が生まれつつある、男の手と女の手。
臨也は緩く手を持ち上げた。
指を絡ませるとまではいかない、指先が少し触れるような仕草をして、臨也は手を離した。


「…あまりこすると赤くなるよ」


私の手つきを諫めるように言って、それきり臨也は背を向けた。
振り返ることなく、閉まるドアの音に安堵しながら落胆した。
自分でも勝手なことだと分かっている。
臨也の優しさが欲しいけれど、欲しくない。
距離を測る気遣いなんていらない。
あんな夢さえ、見なければ。
あの時見たものが私の深層心理の欲望の果てなんだとしたら、私は自分の心の奥底を恨む。
夢は時として、現実より残酷だと知ったのだ。


そんな物語
(どうして彼が私を慰めないかは知らない、知りたくもない)

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