『来週の木曜日なんだけどさ、言語学の授業が休みじゃない? 一コマ分待たせることになっちゃうけど、良かったらお茶に行きませんか。土日はこれからバイト続きでなかなかチャンスがなさそうだし…。 もちろん、翌日提出の中古文学のレポートをそれまでに終わらせることが前提になるんだけど。ご褒美あると思えば頑張れるんじゃないかな…なんて。 久々にデート、しようよ。』 とても嬉しかったのを覚えている、一週間ほど前のメールだ。 表示されている画面をそのままに携帯を閉じた。 恋人の臨也は私と同じ大学生で、学年が一つ上。 勉強だなんだと忙しい中も暇を探しては会おうと言ってくれる。 私は年下なりに年上である臨也の優しさに甘えている面があって、たまに申し訳なくなってしまう。 だから今回は少し気が重い。 今日は例の提出日である金曜日。 いろいろ不運が重なり都合が悪くなってしまって、昨日、私と臨也は顔すら合わせていない。 久しぶりだから楽しみにしていた、とまでは本人に伝えていない。 だって約束を守れなかったのに、残念な気持ちが増してしまうじゃないか、と思った。 臨也と顔を合わせる講義まではしばらく時間がある。 けれど、同じ学部だと棟が同じだからばったり会うことも珍しくはないと私は知っていた。 知っていても、廊下の先、同じようにして携帯をいじりながらこちらへ歩いてくる臨也を見たら、はたと足を止めてしまっていた。 反対にどんどん近付いてくる臨也は私に気付いても落ち着き払っているように見える。 安心したような少し寂しいような、しかし通り過ぎると思っていた彼が私の手首をぎゅっと握って踵を返したのは驚いた。 驚きすぎて、声も出なかった。 「い、臨也」 「おはよう、名前」 「…おはよう」 先を歩く臨也はいつも通りに挨拶をするから訳が分からない。 表情が見えないから何を考えているかすら。 「名前は次の時間空いてたよね」 「…臨也は授業じゃなかったっけ」 「ああ、うん。自主休講」 「なんで」 「君が思った以上に携帯見て寂しそうな顔してたから、捕まえただけだよ」 俺ばっかりじゃなくてよかった、なんて言葉をどんな顔で口にしたのかは分からない。 ただ、いつもだったらその余裕で私に何も悟らせない臨也がこんなに感情を見せるものだから、謝りたくなった。 「昨日は、ごめん」 「別に君のせいじゃないよ」 「空きコマも授業を挟んでるからこれからどこにも行けないし」 「そんなに気にしてるんだ?」 軽く笑った臨也はすたすたと空き教室に入っていって、その扉を閉めた。 先に席に着いて隣を勧めてくるので素直に従う。 腰を落ち着けたところで、臨也が口を開く。 「久しぶり。一週間振りってところかな?」 「そうだね、あんまり授業も被らないし」 「それだけ?」 「それだけ、って」 「さっきみたいな顔のとおり、会いたかったって言ってくれるかと思ったんだけど」 膝に置いていた私の手のひらをひょいと持ち上げて、腕の先の臨也が笑う。 的確な言葉も相俟って目を逸らしたかったけれど、その笑顔を見たら目を離せなくなった。 この人は、なんて魅力的な表情をするんだろう。 「名前って落ち着いてる言葉の割に分かりやすいよ。そういうところも俺は気に入ってるけど、たまには言葉が欲しいかな」 「もっとちゃんと言った方がいい?」 「そうだと俺が嬉しい。いや、違うか。俺が駄目だから、名前にもそうであってほしいんだと思う」 一体何が、と問う前に軽く引っ張られて、私は臨也の腕の中に収まった。 恥ずかしいより何より先に、学校でこんなことは初めてだから思わず臨也を見上げた。 ゆるく腕に力を込められて、その表情は至近距離に隠されてしまった。 「会わない時間が増えると、こうしたくなる。俺はね。名前はならない?」 落ちてくる臨也の声がいつになく安心しているように聞こえて、上手く返事ができなかった。 そうか、必要とされているんだなぁ、とこんな時に自覚してしまってその考えが恥ずかしかったのもある。 答える機を逃して黙り込んだ私を見かねてか、頭上で苦笑いの声がした。 「ごめん、意地悪言ったね。答えなくていいよ」 「でも」 「名前も同じこと考えてるって勝手に思い込むから、さ」 身を離した臨也が確かめるように言葉を紡ぐ。 少し離れたとはいえ、互いの距離は近い。 臨也の手のひらがすり、と首筋を撫でていった。 思わず肩に力を入れると楽しそうにくすくす笑われた。 「緊張してるの?」 「こういうのも、久しぶりだから…」 「でも遠慮しないよ。俺は自分で思ってる以上に、こうしてるのが落ち着くみたいだ」 腰に回った腕にぎゅうと引き寄せられて、私が戸惑うより先に臨也は目を閉じていた。 無防備な彼を見ていると不思議と安心できて、同じように腕をそろそろと伸ばす。 その背中辺りをぎゅっと掴んだ時、臨也が笑ったから嬉しくなった。 足りなかった時間は簡単には埋め合わせられないけど、何も考えずにこうしていられるのは、なんだか幸せだと思えた。 20110923 文学部学生と年の差 |