ぱちり、と。
肩に触れられる感覚から目を覚ましたはいいものの、私を見下ろす臨也にしばし呆けてしまった。
何たって彼はその身を浮かせていて、うずくまるようにして眠っていたらしい私もふわりふわりと宙に浮いていた。
無重力という感覚だろうか。
初めて感じるそれに落ち着かなく腕を伸ばす。
コートの裾をふわふわ浮かばせて、臨也は軽く私の手を取った。

彼の口が動く。
いこうよ、と言ったのだと思う。
思う、というのはそれが音として聞こえたわけではなく、彼の口あたりからほわりほわりと泡が生まれたからだった。
その泡は表面に虹色をゆらゆらと纏い、形になった端から順番にぷちんぷちんとはじけて消えていった。
水中の気泡のような速度は持ち合わせておらず、遊ぶように浮かんでは上空をたゆたっていく。
それに視線を奪われている私をくすりと笑った臨也は、踵を返して歩き始めた。

地面のようなものはあっても、きちんと地に足をつけて歩いているわけではない。
腕を引かれているおかげで、泳ぐような動きの中でもなんとか平衡感覚を保っていられた。
ずいずいと私には分からない道を進んでいた臨也はしばらく歩いた先で足を止め、こちらを振り返った。
向かい合う形でもう片方の手も繋がれて、軽く腕を引っ張るような形で臨也は空を仰いだ。
つられて同じように視線を上に向ける。
ちかちかと瞬く光は不明瞭だけれど、あれは星だろうか。
目を凝らしてみれば大きさや色まで分かるものもあって、反らしていた体勢を元に戻すと、先に視線を下ろしていた臨也と目が合った。

ここはどこ?
私の口の近くからも泡がいくつも生まれては空へ上っていった。
ぷちん、とまた一つはじける音がする。
ほしのはて。
答えた臨也の周りも言葉の泡に満ちていた。
音ではないのに言うことが聞こえて分かることも、ふわふわ浮かぶ感覚も合わせてちっとも現実的ではないなぁ、とぼんやり考える。
もう一度空を見上げれば、赤い隕石が燃え尽きて消えるのが見れた。
きらきら輝いているいくつもの星々はそれぞれの色に煌めいていて、吐いたため息はほわっと浮かぶ泡になった。

なんだか、まるでここにふたりっきりみたい。
沢山話せばそれだけ泡が出来ていく。
唇が揺らした先の空気にぽかりと出来上がるから、自分が蟹になったような気さえする。
両手を繋いだ先の臨也は少し首を傾げてみせた。
なにをいまさら。
そう言われた気がした。
ずっとまえから、ここはおれときみのふたりだけだよ。わすれちゃった?
少し寂しそうに彼が笑うから、そうだったかもしれないと私は素直に信じた。

いつもは言葉の塊で出来ているような臨也が喋るでもなく、その言葉を泡にしてしまうのは不思議だったし、なんだか物足りないような気もした。
じっと考え込む私を見てか、臨也はまた言った。
さびしい?
どうしてだろう。目の前には臨也しか居なくて、彼は星の果てにまで連れてきてくれて、こんなに不思議で綺麗なものを多く見せてくれたというのに。
私はやっぱり、いつもの二人がいいというのだろうか。
さびしいのかも。
私の複雑な心境に反して、納得したように頷く臨也は何でも分かってるよと言いたげに微笑んだ。
それじゃあ、おこしてあげるよ。
こつんと臨也が額をぶつけてきたけれど、無重力のせいか少しも痛くはなかった。
起こす?
聞き返す前に、ゆらゆらと眼前に浮かんだ泡がぷちんと空に消えていった。


肩を揺すられて起きた先程と違って、私はゆっくりゆっくり目を覚ました。
そして今の今まで自分が見ていたものが夢だと知る。
うっすら目を開いた先、ぼんやりと霞む頭で見た景色はいつものベッドに見慣れたシーツがあって、先に起きたらしい臨也の後ろ姿が見えた。


「あ、起きた?」


着替えを済ませた臨也がベッドの脇へ寄ってきて、私の頭を撫でる。
その手つきから、寝癖がついてるなと悟った。
ただ、そんな思いは二の次で、私は臨也の口元をまじまじと眺めてしまった。
意識がすっかり夢の世界に慣れてしまった状態では、こちらの世界を乞うさっきまでの心情に関わらず、ゆらゆら揺れる泡が出てこないのが不思議に思える。


「名前?どうかした…」


尚も言葉を紡ぐ臨也を遮り、私は伸ばした手を彼の口元へ当てた。
緩やかに口を塞がれた臨也は最初は驚いた表情を見せたものの、すぐにその眦をふっと緩ませて、優しく笑った。
私の手を自然な動作で口から離し、そのまま指を絡ませて手を握る彼の所作はとても綺麗だった。
夢の中でさえ、彼は優しく私の手を取ったというのに。
こんなところはいつだって変わらないのだ、臨也は。


「おかしな子だね」


愛おしさを混ぜ込んだ声音は簡単に私を納得させた。
だから私は、こちらがいい。
臨也の声で、その音で優しいことを言われると堪らなく嬉しいから。
どんなに綺麗なものより、彼が言葉にして私に伝えてくれるのが一番いい。
そんな思いから私はまた彼の口元を眺めていたらしく、不意に近付いてきた臨也の唇が額へ触れた。
別に、キスしてほしいとは誰も言っていないのに。
目には見えるはずのない虹色の泡がぷちん、と割れる音が聞こえた気がした。


20110806
きっと、その声を虹色の魔法のようだと思っていた
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