「名前」 夏休みに入って一週間も経たずして臨也が家を訪ねてきた。 正確には終業式から四日目。 すっかり夏休み突入で浮かれていた私がろくな準備をしているはずもなく、前もっての連絡なしにふらりとやって来た臨也をとてもラフな格好で迎える羽目になった。 そして臨也は、玄関先で対面したきり私の名前を呼ぶばかり。 何をしに来たのか分からない。 「名前、」 「わかった、わかったから。ちょっと苦しいかな」 「…ごめん」 殊勝な声で謝る割に、臨也は一向に離してくれそうもない。 その頭を撫でるため上げた腕も疲れてきたのだけど、少し手を休めれば寂しそうな目が返ってくるから仕方ないと思う。 何なんだ、もう。 「名前ー…」 「なーにー」 「俺、学校が終わってから三日間ずっといつも通り朝早くに目が覚めて、制服着て学校まで行っちゃったんだ」 「え」 「習慣ってこわいよね」 何でもなさそうに言うけれど、三日連続はちょっと変だ。 そもそも、あの臨也がそんな失敗をすること自体、嘘みたいに思える。 けれど、私の肩へこてんと頭を置いてその髪をくしゃりと言わせた臨也の大人しさからして、きっと本当なんだろう。 「誰も居なかったよ」 「そりゃそうだ」 「あ、でも職員室に先生は居たね。本当に仕事してたんだ」 「臨也は部活にも入ってないし、休みに学校行くなんて初めてだったでしょう」 「…うん、でも教室まで行って探しちゃった。君が居ないかって」 その時間ならば、私はここぞとばかりに惰眠を貪っていたに違いない。 空調もきいていない、一人きりの廊下、蝉の声がうるさい学校で。 臨也は何を思って、その場所を駆け回ったのだろう。 「学校がある間は毎日会ってたから、そのせいかな。自分でもばかみたいだし恥ずかしいから、言わなかったんだけど」 「三日続いたと」 「そう。笑っちゃうよね」 ようやく身体を離されて、笑うというよりは軽く力を抜いて微笑んだ臨也が居た。 さっきまでずっと互いに寄りかかっていたものだから、重心を失って少しふらふらする。 私の頼りない肩に手を置いて、臨也が口を開いた。 私はこの赤い瞳が欲しがる行為を知っている。 「会いたかった、名前」 何か我慢していたものが切れたみたいに、臨也にキスをされた。 ぐいと引き寄せる力はやけに強くて、無理な体勢でもお構いなしに何度も口付けてくる。 その背中辺りに手をやったところで、上から見下ろす目と目が合った。 暑いのになんだかぞくりとした。 赤い瞳がねだっているように光っている。 「いざや、」 はあ、と必死で吐き出した息も食べられそうだ。 今日はなんだか長い、というか少しだけしつこい。 気が遠くなるほど、べたべたしていたと思う。 ようやく臨也が離れたころ、その顔に思わず手を伸ばしてしまった。 「臨也、なんで泣いてるの」 え、と心底驚いた様子で臨也が自分の顔に手をやった。 その指先に当たった水滴に何より困惑したのは本人らしく、しばらく黙り込んでいた。 おもむろに袖でぐしぐしと顔を拭ったせいで、鼻や頬が少し赤い。 「…帰る」 「待ってよ、臨也」 小さく小さく呟いて本当に踵を返した臨也を慌てて引き止める。 折角来たのに。 会いに来たのはそっちなのに。 そんな顔して泣いてるくせに。 頭の中に溢れている言葉をぐっと堪える。 振り向いた臨也はまだ泣いていて、出来るだけ隠したいらしく顔の半分は手に覆われていた。 「俺、意味分かんないね」 「うん、まあ…」 「あー、恥ずかしい…」 「…」 「会えただけで良かったって、思ったんだけどな」 本当だよ?と力なく笑う姿は抱きしめたいなぁ、と思うくらいにはいじらしくて。 ついつい、言ってしまう。 「今、家に誰も居ないから。上がっていきなよ」 「…誰も居ないの?」 「別に変な意味は込めてないから、ね」 付け加えると、臨也はぱちくりと目を瞬かせていた。 次にはもう一度ぎゅっと抱きしめられてびっくりする。 泣いた名残か、すんと鼻を鳴らした臨也が首に小さくキスをしてきた。 「そういう期待したわけじゃないよ。ただ、もっと甘えていいのかなって自惚れた」 背中をぽんぽんと叩くと、ほら優しい、なんて言葉が返ってくる。 これ以上をどうやって甘えるというのか、少しだけ呆れた。 手が勝手に彼を宥めているあたり、私も仕方ない人間である。 「ひとりじめしたいんだ、名前のこと」 そう囁かれれば逆らえないくせに、私は仕方ないなぁ、とうそぶく。 どうせ強がりは臨也に見抜かれていて、その虚勢は引き剥がされてしまう。 だから、今くらいは私の方が優位だと、甘やかす側だと思っていたい。 自分では気付かなかった会いたいという気持ちを、これから臨也が埋めてくれるだろうから。 20110729 同じ鉢の中、二匹の金魚のように寄り添いあい泳いで |