季節柄、パソコンの熱気がじわりと滲むこの部屋は不快だなと感じた。
座り心地はいいけれど自分の身には大きすぎる彼の椅子に腰掛け、目の前のマウスを指先で軽く叩く。
見た目からネズミと同じ名を付けられたそれはしかし、ワイヤレスなのでコードは伸びていない。
初期の名義を失った機器をじっと見つめていると、廊下で仕事の電話をしていたらしい臨也が戻ってきて目を丸くした。


「わあ、名前がパソコンの前に居るなんて」

「珍しいでしょう」

「うん、本当に珍しい、機械音痴の君が……って、何これ」


後ろへ回り込んだ臨也は画面を覗き込み、しばし言葉を失っていた。
それもそのはず、私たちの眼前のディスプレイには真っ青な色と白い字の羅列が浮かび上がっている。
普通の状態ではない。


「ブルースクリーンじゃん。俺が居ないうちに何したの?」

「あ、そう呼ぶんだ。なんか、何もしてないのにこうなったよ」

「何もしてないのにこんな状態になるはずないでしょー」


口振りは軽く、さほど困った様子を見せない彼はちゃっちゃとキーボードをいじり、問題の解決を試みている。
昔にも似たようなことを幾度かしたが、その時々のパソコンの持ち主には例外なく機器に関する無知を叱られた。
臨也のこの余裕は、圧倒的な知識の豊富さと、これ以外にもサブのパソコンをデータのバックアップとしていくつか所有していることから来ているのだろう。


「再起動…っと。ねえ、君もこれくらいは出来た方がいいよ」

「私は電源ボタンの位置すら知らないのだけれど?」

「現代社会において君は相当の情報難民だよ。ま、構わないけどね」


ディスプレイは一旦暗くなったものの、隣の本体機器から微かに唸り声が上がっている。
疎いといえど、今の動作でパソコンをもう一度立ち上げようとしていたのは分かる。
椅子の縁へ手を掛けて、わざわざ向き合うように位置を直してきた彼を見上げた。
肘置きに手を付いて微笑む臨也はゆったりと、うたうように言葉を紡ぐ。


「I love youというウィルスを知ってるかい?」

「愛してる、って?」

「その様子じゃ知らないみたいだね。2000年に最も流行り、尚且つ悪質さでもその名を轟かせたコンピュータウィルスなんだけど」


カチカチと点滅をするあちらこちらのランプ。
私には到底分からない処理を行っているだろうそれへ手を伸ばし、臨也は滑らかな手つきでキーを叩いた。
異常を知らせていた画面から通常通りのデスクトップへ移っていく。
同時に、彼の視線も私へ戻る。


「英語ではね、そのウィルスにコンピュータが侵されることをfall in love with the virusと表現するんだ」

「へえ」

「皮肉もあると思うけどね」

「素敵じゃない。そういうところが、人間臭くていいと思うの」


話題に特に意味はないらしく、再びカチカチとマウスを忙しなく操作する臨也の目にはぼんやり光るディスプレイが映り込んでいた。
瞳の深い赤に安っぽい光源が晒されている。
おそらくデータの確認でもしているのだろう。


「やっぱり。君はこういう話が好きかと思って」

「うん。分かりやすい?」

「少なくとも俺がパソコンに触れている時よりは機嫌のいい顔をするからね」


少し目を細めた臨也はそのままシャットダウンした画面から私へ視線を移した。
何も言葉を返さず、ただ見つめ返すと不思議そうな声が再び落ちてくる。


「あれ、今日は素直なんだね。反論しないの?」

「…私が調子を悪くしたから」

「それでさっきから大人しいわけだ。でも、わざとじゃないんだろ」

「だから、勝手に変になったんだってば」

「はいはい」


くすくすと笑い声を漏らした臨也が緩く頬をなぞってきた。
椅子に座ることで尚更生まれている身長差を気にもしない様子で、彼は唇を重ねてくる。
構わなくてごめんね、なんて言われている気がした。


「いつも君がこんな風に素直だったら俺もやりやすいのに。情報化社会と同様に俺たちも効率化を図るべきだよ」

「…こんな時にまでそういう喩えをしないでほしいなぁ。色気ない」

「そんなことを今更気に掛ける間柄でもないくせに?」


今度は口ではなく目尻辺りにされたキスに、機嫌直してよ、なんて空耳が聞こえた気がした。
彼の持つ雰囲気に流されながら、臨也が話をしていたI love youというウィルスの話を思い返していた。
確かに、なんて性質が悪いんだろう。


20110601
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