弱い。弱い。
馬鹿みたいにその言葉ばかりを頭の中で繰り返していた。
はあ、と吐き出すのは最早空気ではなくて凝り固まった私の憂鬱だ。
膝の上の鞄に突っ込んだ両手がさらに掴むもの、そっけないラッピング袋を見つめ直す。
学校が用意した材料で作った、味すらそっけないカップケーキ。
私の憂鬱は家庭科の時間からひたすら続いていた。

女子がこぞって余り物に懸命なラッピングをする中、私はお情けで余った袋をもらい、適当にそれを包装した。
家庭科が終わってすぐの休み時間はそりゃもうすごくて、女子から男子へひたすらお菓子を受け渡しする光景にバレンタインを思い出した。
知ってるかい。それは余り物なんだよ。
そう呟く勇気すら私にはなかった。
だって視線の先には女子に囲まれた折原くんが居て、周りの子たちは余り物ではなく「本命」として厳選したカップケーキを彼に献上していたのだから。
そのピンク色の空気と嬌声に、私は怖じ気づいた。

一人一人にありがとうと言って笑い返す折原くんに、周りのざわめきは増すばかり。
私はその群れにも他の流れにも混ざらず、離れた席からぼんやりと彼を見ていた。
ある女子から視線を上げた折原くんと目が合ったのはほんの偶然だったと思う。
途端に情けなさと羞恥に襲われた私は俯きぐっと唇を噛み締めた。
見ないで、なんて思わなくても折原くんの気は次の女子に逸れていたし、私だってそんなの分かっていた。
分かってる、だからこそ悔しいものもあるでしょう。
その休み時間、私は自席から一歩も動かなかった。

次の休み時間も受け渡しのやり取りがない訳ではなかった。
さっき見かけなかった子たちは調理器具の片付けが手間取った組だろう。
それでもまだ私はじっと一人、袋を見つめ続けていた。
こんなちっぽけな物に私は何を託そうというのか。
すぐ側では笑顔の女の子から渡されたカップケーキをはにかんで受け取る男の子が居た。
例えば私があの子みたいに折原くんにこれを渡す。
彼はありがとうという言葉と笑顔を一つ、私に返してくれるだろう。
そこに彼の真意があろうとなかろうと。
その口でそのまま、ねえ君の名前は何だっけ、とでも続けられるかもしれない。
それを把握できている私に何を怖がれと言うのだ。
予想がつく展開に恐怖を抱く、なんて。

そんな馬鹿馬鹿しいことが有り得るのだった。
だから、私は、いつまでも踏みとどまっている。
だんだん後悔と不甲斐なさが積もり、それは目の前の袋に向けられていく。
こんな物に、私は。
憎らしさにも似た感情を自分に向けられないから八つ当たりをする。
駄目な人間の姿だった。
授業中でさえ鞄から覗く袋がちらつき、いっそ捨てようとも思った。
ただ捨てるにしてもこの教室では出来ない。
そんなのは、惨めの象徴だから。

放課後。
受け渡しをする男女は全く見当たらなかった。
それも当然、家庭科は二時限目でとうに過ぎ去った話。
いつまでも未練がましくうじうじしていたのは私くらいなものだろう。
でも、それも終わり。
鞄を肩に掛けた折原くんが軽快に教室を飛び出した途端、肩の力が抜けた。
ほっとしたのだ。
誰よりもこれを渡したかった相手が居なくなってしまったというのに。
そうだ、私には荷が重かった。
最初から相手を考えて作ったこと自体が間違いだったんだ。
どうして今更気付いてしまう。
ゆっくりゆっくり息を吐いて、私は視線を落とした。
ぐしゃりと無意識に力を込めていた指先の爪がカップケーキの端を僅かに引っ掻き、乾いたそれがぼろり崩れていく。
やっと捨てられる。
こんなもの、帰り道にどこにでも捨てて、


「もったいねえな」


後ろの上方、という不思議な場所から声が降ってきた。
随分高い位置から響いた声は低く、私の心へすとんと落ち着いた。
ゆるりと首を回し、見上げる。
鞄を手にした平和島くんの髪は柔らかい金色で、それに目が行ってしまう。
すっかり教室から人は捌けていて、てっきり私一人だと思っていたのに。
私がまばたきをもう一つする間に、大きな手が一回だけくしゃりと頭を撫でていった。

ごく平然と教室を出て行った平和島くんに私は取り残された。
戸惑った心境のまま、私はカップケーキに視線を戻す。
もったいねえな、だって。
彼はどんな思いでそれを言ったのだろう。
私はそんな切羽詰まった顔をしていただろうか。
捨てたいと思い詰めていたのを見透かされたのだろう、か。
いや、そもそも平和島くんが一日黙り込んでいた私の気持ちをどれだけ汲んだかなんて分からない。
分からない、のだけれど。
私は勝手に袋を開け、取り出したカップケーキを少し齧る。
作って間が空き、冷めたそれはなんだかパサパサしていた。


「人にあげられる味じゃないや」


呟いた内容は思ったほど空しくなかった。
やっぱり平和島くんが何を思ってもったいないなんて言ったのかは知れなかった。
だって、こんなにまずいんだよ。
また一口、噛み締めるように味わう。
彼の言葉と手の温かさがじんわり消えずにいた。
また一口、一口。


「分かってるから悔しくて、分からないのに嬉しいなんてことも、あるんだね」


誰に言うともなしにこぼす。
けれど向ける相手は確かにさっきの彼で。
平和島くんはこれを受け取ってくれた訳でも食べてくれた訳でもない。
それなのに、じんわりとずっと温かい。
少し滲んだ涙を手の甲で拭い取った。
君のもったいない、という報いてくれた言葉に私の気持ちもほんの僅か、少しでも含まれていたならば、きっと私は世界一幸せな女の子だ。
恋をしてきて報われたのは初めてのことだったんだから。





20110506
眩しいあなたが恋しくて
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