彼女と一緒に暮らし始めて三年が経つ。
俺の同居の提案をあっさりと承諾した彼女は記憶に新しくて、もしかしたら一緒に暮らすということをお互いにあまり理解できていなかったのかもしれない。
そんな状態でも大きな揉め事なく今日まで過ごせたことを嬉しく思う。
俺たちは元来相性が良かったし、互いを気遣うこともできていた。
そう思ってしまってもいいだろうか。


「ただいま、」


呟いた言葉はひそりと空間に落ちていって、返事はない。
自分で開けたドアを閉めながら首を傾げていると、洗面所の方で音がした。
次いでぺたぺたと足音が聞こえて、リビングへ続く扉のところで彼女と鉢合わせた。


「あれ、おかえり。ごめんね、気付かなくて」

「いいよ。お風呂だったんでしょ?」


ゆるめの部屋着で俺を見上げる彼女は物音を聞いて上がってきたのだろうか、髪がまだ濡れている。
ふう、と息を吐いているところを見ると俺よりは随分早く帰ってきてくつろいでいたみたいだ。


「まだご飯できてないんだけど」

「気にしなくていいって。それより名前、今寒い?」

「ん、軽くのぼせて暑いかな」

「ならちょうどいいや。俺にもあったかいの分けて」


春の夜風で冷えた身体でその腕を引いた。
少しびっくりしたような顔をしたあと、言葉少なに大人しくなった彼女を時間を掛けて抱きしめてやる。
指先を合わせて、腕を回して、それから互いの肌が密着するように。
じんわりと体温が同化していく感覚に深呼吸をすると、間近にあった髪からいい匂いがした。
俺と同じシャンプーの匂い。
なんだか余計に引っ付きたくなってしまって、首あたりに顔を埋めてちゅ、と軽いキスをした。
ら、肩がびくっと揺れた。


「な、な、なに」

「別にー?」

「何かあったんでしょう、臨也」

「そんなに疑わなくても。何もないよ?」


ふと、愛おしくなっただなんて言うのは容易いし俺は構わないけれど、彼女が気にしてこの状況から逃げてしまうなら自分の口に蓋をしておく。
すると普段騒がしいくせに静かなのは変だという悪態が飛んでくるから、この子は本当にしょうがないよ。
まだぽつりぽつりと床に滴を落としていた髪先を見つけ、その手を引いてリビングへ入った。


「髪濡れてるよ。夕飯は俺も後で作るの手伝うからさ、乾かしてあげる」


ね、と笑いかければ何かを言いかけた口は少し不服そうに閉じた。
その表情から心配することなんて分かりきっているから、その杞憂を先回りしてしまえば彼女は逆らわない。
ずるいとは自覚しているけれど、彼女だって俺の性格をとうの昔に知り尽くしているからお互い様だ。


「そこ、座って」

「うん」


ソファの前、ラグに腰を下ろす姿を横目にコートを脱いだ。
手近な椅子に掛けようとしたら「ちゃんと掛けてきて」と声が上がった。
はいはい、皺になるんでしたね。


「…なんで注意されて笑ってるの」

「いや、物言いがすっかり馴染んでるみたいだから。一緒に暮らしてやっぱり結構経つなあって」

「いいから、早く行きなよ」

「はいはい」


俺の笑いに分かりやすく言葉を濁らせた彼女が怒る前に部屋へ退散した。
身軽になった格好で戻ってくると、彼女は同じ位置に同じ姿勢で収まっていた。
無意識なんだろうけど。


「お待たせ。やるよ」


んー、と間延びした返事を聞きながら、脚の間に彼女を置くような形でソファに座る。
コードを伸ばしてきたドライヤーのスイッチを入れれば、柔らかい髪がごうごうと吹きつける風に揺れた。
シャンプーの香りがふわりふわりと空気に散る。
一掬い、また一掬いと少しずつ髪の束を丁寧に乾かしていく。
しばらくして、眼下にあった小さい頭がふらふら揺れているのに気付いた。


「眠いの?」

「気持ちよくて…」

「はは、やってる側からしたら何より」


ドライヤーの風量を少し弱める。
指先で梳くようにしては持ち上げて、また落として。
手間なんて感じないほど俺は心穏やかで、不意にこれが幸せか、なんてらしくないことまで考えた。
二人きりで同じ空間に居て、揺れる空気はやわらかく、相手しか見えていないような状況。
だからかもしれない。
当たり前のように、言葉が口をついてこぼれていた。


「名前、俺と結婚して」


ドライヤーの風の音だけがしばらく響いていた。
まさか聞こえなかったとか寝ていたとかじゃないよな、と電源を切った時にちょうど、髪の隙間から赤くなった耳が見えた。
少し、驚いた。


「…名前?」

「…ばか、なんで急に言うの、臨也のばか」

「ごめん」


謝る気の感じられない声が出て、自分でも可笑しかった。
だって、こんな反応をされれば勝手に口が緩んでしまう。
その肩を掴んで振り向かせるのは嫌がると思ったので、そのまま背中から腕を回して引き寄せる。
おずおずと伸びてきた指先が俺の腕に触れてきた。
ああ、嬉しい。


「ちゃんと言い直してよ」

「うん。そのつもりだった」


自分としても予想外だったのだ。
こんな風に言おうとしてはいない言葉がこぼれてしまうほど、彼女と居る俺は気が緩んでいる。
一緒に過ごしてきた時間の中で、いつの間にかすっかり絆されてしまっている。
それが嬉しさの原因だった。
少し黙った俺を振り返った瞳にこの気持ちが目一杯届くように。


「俺とずっとずっと一緒に暮らして。大好きだよ」





20110429
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