くわあ、と漏れ出たあくびは気が抜けている証拠だろうか。 家路をたどる足取りの最中でぼんやり思った。 あいつはもうとっくに帰ってる頃だろう。 ここ暫くはめっきり使う必要がなくなった家の鍵を、ポケット奥へ仕舞い込む。 扉を開けて出迎えてくれる相手が居るということは嬉しいと思うが、同時にくすぐったい気もする。 煌々と明かりの点いたアパートの一室、俺の家のインターホンを軽く押した。 「おかえり、シズくん」 「おう」 にこにこと満面の笑みで今にも飛びついてきそうな名前を宥める。 ドアが開いた途端にふわりふわりと空腹をくすぐるような香りが立ち込めていた。 腹減ったなあ。 「今日のご飯はねー」 「待った」 今にも献立を口にしようかとしていた彼女に手のひらを向け、じっと思案する。 楽しそうに待ちかねている名前に俺も自然と笑ってしまった。 甘いような柔らかいような、俺の大好きな匂いから一つの料理を口にする。 「オムレツ、だろ?」 「すごいなぁ、シズくんは。また当てられちゃった」 「お前が俺の好きなもんばっか作るからだろうが」 「私は自分の食べたい物を作ってるだけだもの」 俺が靴を脱ぎにかかるのを見て踵を返した名前を呼び止める。 これだって恒例になりつつあるのに、なんて考えた自分を少々気恥ずかしく思いながらその手を引いた。 「ただいま、名前」 「…、っ」 引き寄せた身体は腕の中で僅かに身じろいで、すぐに固まってしまう。 いつまで経ってもこっちには慣れてくれないらしい。 ふは、と笑ってしまえば抗議するように胸の辺りをぐいぐい押されたので、もう一度しっかり抱きしめ直してやる。 手のひらで簡単に包めるくらいの小さな肩がすごく愛おしくて、身体がじわじわ幸せで満たされた。 「さて…と、飯が冷めちまうな。行くか」 「う、うん…」 解放してやれば寂しいような顔をするくせに、実際いっぱいいっぱいなのは分かりきっている。 髪をぐしゃぐしゃとかき乱してやれば、やめてやめてと嫌がっていた。 やめてやんねぇし。 「もう、やめてってば」 手をすり抜けて、先にリビングへと早足に歩いていってしまった名前を追いかける。 台所の料理を覗いている横顔からはさっきのことを怒っている様子は窺えなくて、催促される前に食器を並べにかかった。 「いただきます」 そう声を揃えるなり、名前は食事に手を付ける前から俺の話を聞きたがる。 仕事の話なんてものは単調で、話す内容の中で変わるものと言えば取り立ての行き先と俺が壊す公共物の類ばかり。 それなのに、いちいち頷いては笑う姿を見ていると、つまらないんじゃないかという思いすら杞憂に思えるから不思議だ。 シズくんの話は楽しいなぁ、と言われたこともあるが、決して口が上手い方ではない俺のことだから、名前の度量が広いんだろう。 「これ旨いな」 「本当?じゃあまた作ろうかな」 些細な会話を重ねながら、食事を進めていく。 旨い飯をたらふく食えば、自然と眠くなってくるのが道理だ。 少し迷ったあと、明日は休みだしいいか、という結論を自分で出した。 「まだ風呂沸かしてないよな」 「うん、なんで?」 「悪ぃけど、今日はもう寝ちまってもいいかな。風呂は明日の朝にシャワー浴びる。休みだし」 「うん、うん。いいよー」 そう言いつつ、食事を終えた名前が俺に近寄ってきて、腕にしがみついた。 急に相手から狭められた距離に戸惑いを隠せず、じっとその顔を見つめてしまう。 彼女は俺の反応を照れと受け取ったようだ。 「じゃあ私も早めに寝るよ!明日は早起きしていっぱいシズくんと過ごしたいし、今日は一緒の布団で寝よう、ね?」 すらすらと飛び出た単語の端々に俺は過敏に反応してしまう。 俺を出迎えた時から変わらない笑顔は事の重大性を理解しているのかいないのか。 思わず顔を背け、ぼそぼそとした調子で反論する。 「…駄目だ」 「なんで?」 「なんでって、お前なあ…」 「私は一人で寂しかったから、シズくんが恋しいんだよ」 夕食の片付けもそこそこに、その手に引かれるまま寝室まで歩いてきた。 くるりと俺を振り返り、待ちの態勢に入ってしまった名前に、頭を掻く。 「…今夜だけだぞ」 「やった!」 「さっきの本音、嬉しかったからな。特別だ」 飛び込んできた彼女を抱えて、用意されていた布団へ潜り込む。 腕の中で心底嬉しそうにすり寄ってくるのを無意識に手でより引き寄せながら、うとうと微睡んだ。 自分が一番よく分かっている。 照れ臭いだけで、いつかはこんなことを特別ではなく当たり前にしたいと俺自身が思っていること。 柔らかい髪の感触に俺からもすり寄って、明日の予定へ思いを馳せた。 いっぱい、こいつと一緒に居てやるんだ。 愛しさが帯びていく 20110420 10000hit thanks&shizuo day! |