「今日からこのクラスを担当します。よろしく!」


四月。
それは生徒にとってだけでなく私のような教師にとっても新しい始まりの季節だ。
担任クラスのみんなが無事卒業するのを三月に見送り、この春からはまた担当する学年が一巡りして新入生たちを見ることになっている。
教壇の自分に視線を向ける生徒たちの目は例外なくきらきらした希望と僅かな不安に満ちていた。
まだ中学生の幼さを残す面影で、これからの高校生活に胸を躍らせている。
みんな、とてもいい子そうだ。


「せんせーい、質問してもいいですか?」

「はい、どうぞ」

「彼氏とか居るんですか?もしかしてもう結婚してるとか!」

「こらこら、そういうのには答えられませんよ。否定はしないけどね」


軽く言えばクラスが少しさざめいて、楽しそうに笑いあう声が漏れる。
生徒たちの自己紹介も済ませたことだし、簡単にその場を締めて教員室に戻ることにした。
今日はやることが山ほどある。
自分の机に用意しておいた大量のプリントをきちんと手順どおり配らないと。
担任教師がしっかりしてないと生徒たちも困るしね!


「お疲れ様です、先生」


が、駄目だった。
隣の机から爽やかに話し掛けてくる折原先生にまともな返事も出来ず、机にぐったり伏せる。
膝、笑ってる。
やはりと言うべきか、極度の緊張症である私を卒業生たちは口々に心配していた。
「名前ちゃん先生しっかり!困った時は深呼吸だよ!」「私たち卒業するけど大丈夫?不安だし留年しようかなぁ…」「最初の掴みさえ良ければ平気だって!」などなど、この言われよう。
結局ずっと、生徒に可愛がられることで有名な教師生活だった。
ああ、情けない。
隣の折原先生が苦笑した。
眉目秀麗な彼のことだ。
初日から男女問わず生徒の心を鷲掴みにしただろう。


「本当にお疲れのようですね」

「だ、大丈夫です」

「お茶、飲みません?」

「…いただきます」


優雅な手付きでお茶を淹れたあと、折原先生がカタカタとパソコンをいじる。
私も一口飲んでから同じようにキーボードを叩いた。
画面にパッとチャットルームが開く。


【上がり症は相変わらずだね。四月の度にへこんでる君を見る気がするよ】

【あああああ、どどどうしよう!わt私変なkと言ったかmしれな】

【落ち着きなよ…大丈夫、君が思うほど生徒は君のこと見てないから】

【それはそれで嫌!】


隣でくすくす笑った折原先生…臨也は冗談だよ、と打ち込んでいた。
実はさっき生徒に答えたことは、そんなに嘘でもない。
この学校出身の私と臨也は揃って母校に就任し、学生時代からの付き合いも変わっていない。
結婚は行き過ぎだが、一応恋人同士だ。


【ねえ、お決まり訊かれた?】

【お決まり?】

【ほら彼氏とか結婚とか。自己紹介にはいつも定番じゃない】

【ああ、うん…】

【今年こそ俺が恋人だって言ったよね?】

【言ってない言ってない!言えるか!嫉妬に駆られた女生徒に校舎裏でリンチされる…!】

【リンチとか(笑)今時ないって何度言えばわかるの。それにいつかバレることだし、今までだって応援はされても生徒に妬まれたことなんてなかったでしょ?】

【……それは、まあ、そn】

【名前って打つの遅いよね】


そら来た。
ああ、これが本性だって折原先生に夢見る乙女たちに見せてやりたい。
口は悪い、素行も微妙、外面ばかり作るのは上手くて。
未だに臨也が教師を目指した理由が分からない。
訊いたら訊いたで「君に出来る仕事なら俺にも出来る」みたいなことをしれっと言われそうだ。


【俺は今年も訊かれなかったんだよね。ああ残念だなあ、名前先生が俺の愛してやまない運命の人です、って笑顔で言う練習してきたのに。ねー、先生?】

【どれだけ今の発言で嘘ついてんの!そもそも毎年臨也が突っつかれないのは女子生徒が本命すぎて訊けないだけだって!】

【ええ?ないない(笑)上がり症な上に心配性?名前は考えすぎだよ】


臨也はもっと鏡を見るべきだ。
細くてすらっとした身体にきっちりスーツを着こなして、眼鏡越しの瞳を伏せながら美しい声で数学を説かれちゃ授業どころではない。
それくらい生徒じゃなくても分かる。
本性出さなきゃ格好良いんだから、自覚してほしい。
…なんか考えてて恥ずかしくなってきた。


【思い悩むことなんてないよ。俺たちは俺たちらしく、生徒たちと過ごせばいい。そうして上手くやってきたじゃないか】


にこりと微笑んで、臨也が椅子を回してこちらを向いた。
窓際から差し込む陽にさらされた表情は穏やかで、黒髪がさらさら揺れた。
私を落ち着かせるように優しい色の瞳がレンズ越しにあった。


【だから安心しなよ。名前ちゃん先生】

【あー!もう!うるさいよ伊達眼鏡!】

【問題は伊達かどうかじゃなくて似合うか似合わないかだと思うんだよね、俺】

【はいはい、どうせ折原先生からしたら私の悩みなんてちっぽけですよね!】


その書き込みを最後にチャット画面を閉じた。
相変わらず笑みを崩さない臨也は平然としていて、何を言おうがその体裁は微塵も崩れていない。
涼しげな顔でプリントの束を整理していたりする。
ただ、笑顔は先程より僅かに作り笑いになりつつあった。
大半の人は優しいと思い込むこの表情は臨也なりの「先生モード」なのだそうだ。
私はといえば…うん、気は紛れたかもしれない。
悔しいけれど臨也のおかげだ。
緊張はいい意味で緩みつつあった。


「先生、いいですか?」


そこに私のクラスの生徒がやって来た。
入口のところで声を上げている。
慣れない高校の教員室に踏み込むのはまだ緊張するのだろうか。
微笑ましさから笑顔になる。


「どうかした?」

「あの…言いにくいんですけど、」

「うん?」

「私の勘違いじゃなければ、先生出席取ってません…」

「………あああ!!」


私の大声に教員室の教師一同が振り返るのと、隣の彼が小さく吹き出してくつくつと肩を震わせ笑うのは同時だった。
えーと、さっきは私の自己紹介をして次に生徒の自己紹介をして…
それで終わらせた。
何を満足してたんだ、出席簿持って行ってただろうに!馬鹿!


「ご、ごめんね!今すぐ行くから、いえ行きます!」


ぽかんとする生徒をよそに、慌てて準備をしたらプリントをぶちまけた。
もう悲鳴も出ない。
必死でかき集めていると、すっと屈んだ臨也が一緒になって手伝ってくれる。
そう、机の陰に二人揃ってしゃがみ込んだ時、確かに彼は「折原先生」ではなく臨也の顔だった。


「行っておいで。応援してる」


最後の一枚を優しく手渡して、密かに机の下で握られた指先に跳ねた心臓が周りに気付かれないよう勢いよく立ち上がった。
頬は僅かに熱いけれど、浮かべる笑みは作り物ではなくて。
いつだったか、同じように私の手を握った臨也の言葉を思い返していた。
「緊張なんて、こうして俺がもらってあげる」と。
生徒を連れて、私は自分のクラスへと軽く走って行った。


「…君が緊張していいのは俺相手だけ、ってね。意味分かってないんだろうな」


20110310
「物騒な独り言だな」
「あれ、ドタチン先生いつから居たんですか?」
「ドタチン言うな!また生徒に定着するだろうが!」
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