初めてそいつを見かけた時、背中が寂しく見えた。
木陰に寄りかかり、どこか遠くをぼんやり見る姿はいかにも待ち人といった様子で、煙管から吐き出す煙が消えぬ間に話し掛ける。


「誰か人を待ってるのか」


すうと空気に溶ける紫煙の間、振り向いた笑顔。
澄んだピンク色の瞳がぱちりとまばたきをして、印象的なヘッドフォンから伸びるコードが揺れる。


「大好きな女の子を待ってるんだよ」


少年はサイケと名乗った。
自分が津軽だと返せば「面白い格好だね」と微笑んだ。
自分からすれば、そちらの方が珍しい。
近くの塀にひょいと腰掛けて足をプラプラとさせるサイケはやはりどこかを見つめ微笑んでいる。
わくわくとして、待ち望んでいて、愛しい者を見つめるような。


「…随分と楽しみみたいだな」

「うん!」

「それじゃあ、俺は行くかな」

「そう?またねー」


邪魔者になるだろうと思った俺に反し、サイケはひらひら手を振ってにこりと笑った。
「また」があるのかと訊けば、ここは待ち合わせの定番なんだ、と返される。
去り際にちらりと見やれば、やはり嬉しそうに足を揺らしている。
そして言葉通り、同じ場所でサイケに会った。


「…また待ってるのか」

「いつも俺が早く着きすぎちゃうんだ。加えて彼女はお寝坊さんだから」


口調に困った様子はなくて、ふふふと笑う顔は幸せそうだった。
いつも笑ってるな、とつくづく思う。
ただ純粋に気になったのは目の前のサイケと話に聞く彼女との関係性だった。
こんなに日を空けずに会うんだ、余程仲がいいのだろう。
恋仲というやつか。
二人の邪魔は良くないと思いつつ、そんなにも想われる彼女と一途なサイケが気になってまた来てしまった自分も自分だが。
俺の隣で鼻歌混じりに足を揺らすサイケは変わらず機嫌がいい。


「今日は花を持ってるんだな」

「彼女を驚かせようと思ってさ。どう?色男?」


花束を抱えてにっこり笑う姿は色男というよりかは、幼い子供が一生懸命身体に見合わない荷物を支えている微笑ましさに似ている。
似合ってるとだけ言えば、俺じゃなく彼女に似合わなきゃ、なんて返された。
白と桃で構成された花束は無意識か、それとも自分を相手に贈りたいという意図か、笑顔からはどちらも想像ができる。


「どんな人なんだ、彼女は」

「なに、津軽気になるの?好きになっちゃダメだよ!」

「…心配せずとも、お前たちほど仲睦まじい間柄に入り込める奴なんて居ないだろうよ」

「そう?そうかな、ふふ。あのね、彼女は綺麗で可愛くて、笑った顔が素敵で、いつも優しくて穏やかで、たまに自分らしいとこ…朝が弱いとか花が好きだとかを教えてくれて、」


すごい。
語る言葉が途切れないサイケに本当に好きなんだな、と言いかけてやめた。
本人が一番分かっているだろう。
不意にふつりと言葉を切ったサイケが顔を俯ける。
誰に言うでもなく、恐らく自分に言い聞かせるために囁いていた。


「…とても素敵な音を出す人」

「音、って」

「そろそろ名前も来るかな。またね、津軽!」


疑問は残ったが、あちらから告げられた別れに素直に退散することにした。
もしかしたら我に返って恥ずかしくなったのかもしれない。
サイケの持つ花束が似合うような女性を思い浮かべた。
あの色合いが似合う人ならば、隣にサイケが並んだ時はさぞかしお似合いに見えるだろう。
遅れたと駆けてくる、少し寝癖の残る髪の彼女を、サイケは満面の笑みで抱きしめて出迎えるに違いない。
二人が少し羨ましかった。
俺もいつかそんな女性と出逢えたらいいのに。

その日、好奇心で名前から彼女のことを調べた自分を後悔した。



「サイケ」


呼べば振り向くのはいつもと同じ場所、変わらない笑顔。
俺の雰囲気から何かを悟ったのか、サイケは笑みを少しだけ崩す。
その表情が笑顔以外に変わるのは初めてのことだった。


「居ないんだろう」

「…何のこと?」

「もうこの世には居ないんだろう、お前の愛した人は」


にこりと微笑んだサイケに疑問と怒り、そして悲しみが湧き上がる。
名前という名はすぐにデータベースに引っ掛かった。
高名なピアニストで、当時には多くのファンが居たらしい。
事故死。
そう続いた文章が信じられなくて、何度も何度も読み返した。
思い違いでなければ、サイケは百年以上彼女を待ち続けていたことになる。
二度と帰ってはこない彼女を、彼女の墓の前で。


「名前はお寝坊さんなんだ」

「…何を言ってるんだ」

「すぐだよ、きっとすぐだ。彼女は約束を破らない。待ってればすぐに会える」


気丈に振る舞うサイケを見て分かってしまった。
全部、分かった上でのことなのだ。
彼女が死んだこと、もう会えないことは、サイケが一番よく知っている。
その上で愛してやまなかった彼女から離れられず、ずっと、どんな日もここで待っている。
待ち人の来ない待ち合わせを自分の中で作り上げて。


「津軽は好きな人居る?」

「サイケ、そんな話をしたい訳じゃ」

「大事なことだよ、津軽。聞いて。好きな人が居ると世界が変わるんだ。相手が自分のことも思い返してくれたなら、世界なんて生まれ変わっちゃうんだよ。愛はすごいの。俺に全部くれた。何もかも、くれた。好きも大好きも愛してるも言い尽くして、それでも言い切れない幸せを知ってる?」

「…俺はそんな経験はない」

「探せばいい。好きな人を見つけるんだよ、津軽。それは男の役目だよ、なんてね。俺は幸せ、名前に会えてすごく幸せ」


幸せだったと言葉を過去形にしないところがサイケらしいと思った。
けれど、お前はこれからも待ち続けるのか。
癒えない傷を剥き出しにしたまま、生きていくのか。


「誰かが言った、命は終わりがあるから儚く愛おしいんだって。花と同じで、散るから美しいんだって」

「サイケ」

「俺はそんなこと思わなかったよ。言った人をね、怒ってやりたいぐらいだった。俺は名前の命が終わらなくたって愛し続けたし、心から美しいと思えたよ。絶対に」


膝をついたサイケは近くにぽつんと一つだけ立つ墓石に触れた。
その頬を涙がいくつも滑る。
「まだ若くて、綺麗だったんだ」という言葉はまだまだ一緒に生きられたことと叶わなかった未来を悔いているように聞こえた。
笑顔のままに涙を流すサイケの姿は痛々しかった。


「好きなんだ、終わらないんだ。俺が好きだって思う気持ちは止まるどころか相手を求めて溢れるばかり。だから終わりにしないって決めたんだ」

「そんなに辛いならもっと他に方法があっただろう」

「辛くはないよ。彼女を待てる俺は幸せだ」


涙を拭ったサイケがいつもと変わらない顔で笑う。
そうして全て押し込めてきたのかもしれない。
彼女を奪う何かから、彼女のことを忘れないようにと。


「津軽が来てくれて楽しかったよ。名前のことを人に話すのも久しぶりだった」

「俺はお前たちが本当に幸せだと思ってた。…羨ましいくらいに」

「うん、だからさ。次は津軽の番だよ。君の一番大切な女の子を見つけに行きなよ。きっと幸せにしてあげてね」


促すように肩を押され、もうここへは来ないのかと悟った。
恐らくサイケも望んでいない。
これから何をどうすればいいかなんて分からない。
ただ、俺がいつか幸せにする人が居たとして、その時サイケと名前が少しでも報われるなら。
それは俺にとっての救いになる。
僅かな付き合いでも、会ったことがなくても、俺は二人のことが好きだった。


「それじゃあ、俺は行くよ。名前に宜しく」

「うん。じゃあね、津軽」


俺を見送ったサイケはどんな顔をしていただろうか。
振り返らなかったけれど、きっと変わらない笑顔だったろう。
彼が笑みを絶やさないのは恐らく名前のためだ。
よく笑う、愛らしい女性だった気がする。
ざあ、と木陰を揺らした風が優しくて俺は歩みを早めた。


「…優しい人だったね、名前。津軽はいつか俺たちみたくなるのかな。そうだといい。俺は全ての人にそう思ってる。ああ、君の話ばかりをしたからますます会いたくなっちゃったなあ。ねえ、名前。俺が止まってしまう時、ちょっとでも君を抱きしめる時間はあるのかな?待ちくたびれたよって、キスと一緒に言える時があったら、いいなあ」


20110223
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