自分に向かって声を掛けるでもなく、道端のガードレールに寄りかかっていた知り合いの姿に気付いたのはついさっきのことだった。
吸い込んだ煙をすう、と吐き出す自分と似たように空の斜め上を見やる格好は緊張感に欠けていた。
別に平日の夕方に緊張をする必要もないのだが、言ってしまえば腑抜けて見える。


「おい。そこで何してんだ」

「…ん?ああ、仕事お疲れ、静雄」


とっとっ、と歩み寄ってきた名前はにこりと笑う。
どう見ても普段と変わらない、仕事帰りの暇そうな奴だった。
俺の脇にあった自販機の品揃えを眺め、機嫌良さげに話し掛けてくる。


「今は休憩?」

「ああ…トムさんとヴァローナは早めに夕飯買いに行った」


俺の言葉に含むような笑いを向けて、どこか楽しそうな名前に首を傾げる。
チャリン、と自販機が小銭を飲み込んで白い指先が迷いなくボタンを押した。
次いで自分に向かって投げられた缶を受け止める。


「んだこれ…ココア?」

「お仕事を頑張る真面目な静雄にはそれをあげよう。甘いの好きでしょ」

「まあな」

「ちゃんとしたのは可愛い後輩とかにもらいなよ。じゃあねー」


よく分からないことを口走り、普段通りの笑みで名前は手を振ってすたすたと歩いて行ってしまった。
…礼、言いそびれた。
手の中の缶を転がしているとおーい、とトムさんの声が掛かった。


「悪いなー、待たせちまって」

「や、全然いっすよ」

「さっき名前ちゃん見たぞ。会ってたのか?」

「はあ、ちょっとだけ…」

「ん、静雄何持ってんだ?腹減ってつい買っちまったか?」


俺の持つココアに視線を合わせたトムさんに先程の一連を説明した。
脇のヴァローナはポリフェノールだのカカオマスだの、俺には難しいうんちくを語っていた。
それにも耳を傾けていたトムさんが首をひねる。


「なあ静雄…俺の勘違いじゃなけりゃあな」

「はい」

「それ、チョコのつもりで渡されたんじゃないか?ほら、世間はバレンタインだしよ」


バレンタイン。
その言葉に暫し思考が停止した。
今日の仕事中にあちらこちらで散々目にしたピンク色のムードを思い出す。
普段から飄々としているあいつと、割とドライな俺たちの間柄とは結びつけにくい。
が、もしトムさんの言う通りならば。
分かりにくいんだっつーの。


「すんません、ちょっと」

「追いかけるか?」

「はい、すぐ戻るんで」


頑張れよーなんて言って見送ってくれたトムさんに感謝する。
ぼんやりとあいつの家までの道のりを思い浮かべて走り、のん気に歩く姿を公園の近くで見つけた。
名前を呼べば、少し意外そうな顔で振り向く。


「あれ、静雄」

「…お前なあ」

「その様子じゃトムさんに言われるまで分かんなかったみたいだね。気付かないまま終わると思ったのにー」

「ちょっと黙れ」


よく喋る小さい口を手で覆う。
僅かばかりイライラしながら、目の前に先程のココアを突き出して見せた。


「今年のバレンタインって、これか」

「そうだよー。そもそもバレンタイン忘れてた静雄に言われてもなぁ…あ、義理ね義理」


手を引き剥がしてまで再び話した口をまた塞ぐ。
義理、か。
冷め始めたそれのプルタブを引いて、ぐいと呷った。
簡単に空になった缶を近くのゴミ箱に投げ放れば、ガコンと音を立てながら綺麗に中へ。


「これで義理はなくなったぜ」

「おー、静雄男らしいね」

「他に言うことあんだろ」


観念したように名前は溜め息を吐き出した。
ふう、と冬の空気が吐息に白く濁る。
鞄を漁った名前の手には、リボンだけが申し訳程度に付いた簡素な市販の板チョコがあった。
去年も市販のものだったから特に驚きはない。


「今年はね、台所で得た教訓があるの」

「作ってみたのか」

「開始2秒で思った。包丁でわざわざ刻むより相手のその口で直接噛み砕いてもらう方が何倍も手っ取り早いって」


べりり、と銀紙を剥がされたチョコを口に向かって突き出されたので、素直に噛みつく。
するとチョコを支えていた手がかすかに力を加え、チョコは半分でパキンと割れた。
もう半分をかじり、名前が笑う。


「おいしい?静雄」

「ああ、市販だって何だっていいから来年も期待してる」

「あげるの確定?」

「確定で」


名前が楽しそうにカラカラ笑う。
口にしたミルクチョコレートが甘かった。
たまには振り回されることなく穏やかに恋人らしく過ごしてみたいとも思うが、今みたいにしてるのも別に嫌いじゃない。
周りは周りで、俺らは俺らで楽しいんならそれでいいだろう。
パキン、とまたチョコレートが鳴って割れた。


20110220
遅刻だけど気にしない
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