「菓子でも作んのか」 静雄の言葉に、視線をその広い背中に向けた。 彼は私が持ち帰ったばかりの買い物袋にあるそれが目に付いたのか、手にした紙パックの表示を読んでいた。 何気なくというよりは期待を多分に含んだ声の色。 彼は甘党で、よく無意識に可愛い言動する。 「惜しい。その生クリームは別のものに使うの」 「別のもの?」 「この前、友達にスコーンを貰ったの。折角だからお茶にしようと思って、ほら美味しそうでしょ?」 紙袋の口を開けてみせれば、吸い寄せられるように近付いてきた静雄がすんと鼻を鳴らす。 犬じゃないんだから、と言いかけたけれど確かに甘いバターの香りに反応してしまう気持ちはよく分かる。 彼の口元が僅かにだらしなくなっているのを見て、声を掛けた。 「静雄ー、顔」 「………」 ほわんと緩んでいたのに、突然頬を自分でバシンと叩いて表情を引き締めるから痛そうな音に肩を竦める。 そうか、そんなにお腹空いてるのかあ。 恥ずかしがることでもないのにと静雄に言いたいのを堪えて、紅茶を淹れる用意を始める。 空腹の静雄が可哀想だからさっさと用意を始めよう。 「これ、どうやって食うんだ?」 「クロテッドクリームとラズベリージャムがあれば文句なしなんだけどね。今日買った生クリームと冷蔵庫にメープルシロップとマーマレードがあったはずだから、それで食べよう」 「うまそうだな」 「きちんと準備をすればお菓子はより美味しい。これ鉄則!」 静雄にはボウルと生クリームの紙パックを渡した。 生クリームを泡立てるだとか、時間の掛かる割に手間はいらない作業は静雄の仕事だ。 それでなくとも私のお菓子作りを手伝ってくれるから、早く上手くなったと思う。 わくわくしながら張り切る静雄を横目に、棚を漁る。 ガシャガシャと泡立て器の音が耳に響く。 静雄はコーヒーの方が好きかな。 お湯を沸かしたりしていて、ふと目をやればクリームを舐める静雄が居た。 「こら、つまみ食い」 「…腹減っちまったんだよ。それにどうせ余るだろ?」 「余ったら林檎のコンポートにでもただのトーストにでも付け合わせられるの」 「分かったよ」 大きい身体でボウルを抱えて、微妙に残念そうにする静雄は可愛い。 子供みたいに喜んだり落ち込んだり、そういう素直なところに私も救われてるなあと思う時は少なくない。 お湯が沸かせたところで、静雄にはテーブルにお皿を並べてもらう。 それぞれの飲み物を用意して、ふわふわの生クリームとマーマレードをスコーンの脇に添える。 メープルシロップはお好みで。 簡単だけど、立派な午後のお茶会の出来上がりだ。 「うーん、なかなか」 「お前、こういうのきっちりしてるよな。俺だけならこの一手間もせず普通に食っちまうからよ。今となっちゃ、こうするのが当たり前になったけど」 「それもそれで楽しいけどねー」 「俺はこっちの方がいい」 そう言ってもらえて何より。 向き合うように座って、戸惑う静雄にスコーンを手で割ってみせた。 お持ち帰り用の焼き菓子は固めに焼いてあるから、フォークじゃ食べにくい。 大きめの欠片にたっぷりマーマレードを載せてかじる。 サクサクした香ばしさと甘酸っぱい柑橘の風味が口いっぱいに広がった。 「うん、うん。美味しい!」 「だな」 「はー、幸せ」 熱い紅茶を飲んだ後、次は生クリームへ。 そうして私たちは頂きものをきちんと味わい尽くし、それぞれ紅茶とコーヒーを片手に息を吐いた。 何でもない休日の午後が特別な時間になる。 「静雄、うまいうまいって言い過ぎ」 「本当にうまかったからな」 「そうだねー、また重ねてお礼言っておこうか」 笑いかけた私に、ふと手を伸ばした静雄がカップを持っていなかった方の手を握る。 私の手なんかすっぽり包めるあったかい手のひらがぎゅう、と優しく力を込めてきた。 さっきから続く穏やかな空気に悪い予感なんてしなくて、静雄の言葉を待つ。 「ありがとな」 へら、と笑った静雄が今日のことに対してだけお礼を言っているとも思えない。 何かを思案するように少し目を伏せた静雄は、笑みを保ったまま繋いだ手を見ていた。 「ずっと前から思ってた夢が叶った気になるんだよ」 「どんな夢?」 「平和で静かで、幸せな生活」 一層笑みを深める静雄がお前のおかげだ、と言う。 私こそ、いつもいつも優しい気持ちも幸せも分けてもらって嬉しいよ。 言葉だけじゃ足りないから、この甘い感情は生クリームに溶かしてお菓子を作ってしまおう。 そしてまた、彼と私の内側から幸せを作るのだ。 20100118 甘党の私たちは胸焼けなんか知らないの |