嘘でいいから傍にいて、と泣いて頼んだことがある。
臨也と本当の恋愛なんて望めないと知っていた私は、友人関係を飛び越えて二人きりの教室で言ってしまったのだ。
叶わないと知りながら。
しばらく私を見つめていた臨也は「…いいよ」と、震えながら学ランを掴んでいた私の手を取るでも払うでもなく、微笑んで言った。
それきり、臨也は片時も私の傍を離れない。


「雨、止まないね」


古い文書、言ってしまうならば僅かに黴臭い紙の束を手に臨也は窓へ目をやった。
私の言葉に応えないまま、じっと雨模様を眺める臨也の横顔は透き通っていた。
そんな無防備にされたら、勝手に手が伸びてしまいそうだ。


「何か面白いものでも見えた?」

「…ううん。ただ、思い出したことがあっただけ。そっちは片付いた?」

「さっぱり。先生もせめて時代ごとに分けておいてくれたなら、整理だって楽だったのに」


お年寄りの先生たちは何かと生徒を頼りたがる。
私たちも、日直でもないのに捕まった生徒の一部だ。
職員室でお茶までもらってしまうと断ることもできない。
お茶請けの最中も申し分なく美味しかったしね。


「なんで私たちなんだろう。歴史科目の係も居たはずだよね」

「俺たちがここ最近ずっと一緒だから、仲が良いと思われてるんだろうね。貸して」


自分の分を済ませたらしい臨也が、私の手から奪った地図帳の大きな巻物をひょいと棚に載せた。
届かないからと後回しにしていた資料たちも臨也の手によって狭い棚にどんどん詰め込まれていく。
背、すらっとしてて高い。
揺れる学ランからちらちら見えるシャツの色が目に染みた。


「もうない?」

「うん、全部終わった」

「届かないなら言ってくれればいいんだよ」


優しい笑顔で、むしろ優しいからこそ距離を測るような表情をする。
そういえば、と気付けば話題を変える言葉を呟いていた。


「思い出したことって何だったの?」

「あー…、うん」


歯切れの悪い臨也がまた視線を窓へ向けた。
ぽつりぽつりとガラスを打つ水滴が流れるのに沿って、つうっと彼が指を滑らせる。
透明な雫は桟に落ちてはじけた。


「いつかの、君の涙みたいだ」

「臨也」


咎める意味を含めて名前を呼べば、臨也はしまったと言いたげな顔で口を噤んだ。
曖昧な笑みが居心地悪そうに口元に残っている。
嫌なのだ。
あの時を思い起こさせることを口にされる度、私は臨也に「あの時の話はなしにしよう」だとか「もういい加減終わりにしよう」だとか、約束を反故にする何かしらの言葉を言われる脅迫観念に駆られる。
友人でも何でもなくなる、それが一番怖い。


「…こういうのも駄目かあ」


臨也が独り言のように言うのは、私の情緒不安定が初めてではないからだ。
ただその声は困ったようではあっても、呆れ果てたようには聞こえなくて私は静かに安堵する。
負い目からか何なのか、常に距離を測りかねているはずの臨也は、こういう時にここ一番の優しさを見せる。


「ごめんね。不安にならなくていいから」


笑った臨也がさらりと私の髪を持ち上げる。
子供が大事な人形を扱うような手つきで、臨也は私を宥める。
その仕草一つで心中のもやもやが徐々に薄れていくのだから、私も現金なものだ。
お決まりとなった言葉を、私に降らせるように頭上で臨也が囁いた。


「傍に居るよ、大丈夫」


その時、ノックに次いでガラリと開いた歴史資料室の扉に私も臨也もとっさには動けなかった。
密着とも言えるような、けれど触れてはいない近さで固まる私たちに、扉を開けた人は気まずそうにしながらも口を開いた。


「…やっぱりここに居たのか、臨也。新羅が捜してたぞ」

「なーんだ、そのくらいならメールしてくれればいいのに」

「携帯は校則で使用禁止されてるだろうが」

「ドタチンは真面目だなあ」


門田くんが来たからといって取り繕うこともなく静かに私から離れた臨也は、入口近くに放っておいた鞄を拾う。
気にするような眼差しを送ってきた門田くんから顔を背けた。
いいの、そんな気遣いはいらないの。
自分が惨めに思えてくるから。
捻くれた私に空のような声が掛かる。


「それじゃあ、また明日」


手を振った臨也が閉めた扉に、私は黴臭い部屋に一人きりになった。
あの日以来、臨也と登下校を共にしたことはない。
出口に駆け寄って、外を見やれば階段に続く角を二人が曲がったところだった。
会話が断片的に拾えた。


「…だから、あの子のことは俺が、」


その先は、閉門10分前を告げる鐘に掻き消された。
資料室に置いていた鞄と鍵を持って、部屋をきちんと施錠する。
後始末をしないで、珍しく逃げるみたいに帰ってしまった臨也の姿がぐるぐると頭を離れない。
職員室に鍵を返して、のたのたと靴箱に向かった。
時間は閉門3分前になっていた。
人があまりに少なくて、まるで私がこの学校のただ一人の生徒みたく感じた。
傍に居るよ、大丈夫。
臨也の言葉を思い返していると、不意に意識を揺さぶられる声が掛かった。


「遅いよ」


靴箱に寄りかかっていた臨也は7分も何してたの、と言いたげな顔で私を見る。
私はただ混乱して、臨也から離れた場所で立ち止まってしまった。


「どうして…門田くんは」

「用事があるって言って先に帰ってもらったよ」

「用事って、」

「君に話したいことがあるんだ」


聞きたくない、と思った。
上履きのまま外へ駆け出そうとした私を捕まえて、臨也は再度言った。


「話すことがあるんだよ」

「い…っいや!聞きたくない!離して!」

「ちゃんと最後まで聞いて、名前」


抵抗を止めた私を覗き込んだ臨也は仕方ないなあって顔をした。
柔らかい手つきで私の顔を上向きにして、涙を掬う。


「また泣いてる」

「だって臨也が、臨也が」

「あのさ、名前。君が泣くなら慰めるけど、このままなら俺はそれ以上のことはしないよ。出来ない、の方が正しいかな」


友人よりは確実に近い、けれど恋人とは呼べない距離で臨也は私を諭す。


「君が先を望んでないならいいよ。でも、そうじゃないんだろ?」

「よく…分からない、よ」

「嘘でいいなんて思えなくなるくらい、俺を好きになってよ。信用してよ」


臨也の言葉に自分から顔を上げた。
あの日、私が言ったこと。
ずっと私と臨也を縛りつけていた我儘な約束。


「俺は君が好きだよ。だから傍に居るし、約束も守る。でも約束の前から好きなんだ。俺が君を愛する準備はできているから、君が認めてくれれば、それでいい。もう嘘の約束はやめて、」


俺の意思で傍にいさせて。
臨也の言葉が反芻して染み込むのと同時に、騒がしい鐘の音が学校中に鳴り響いた。


(君に言われなくても分かってるよ。だから、あの子のことは俺が約束を解いてしてあげるんだ)


20110116
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