不眠症というのは辛いもので、その苦痛は不眠症である本人にしか分からないほどだと聞く。
目を閉じて横になる。
人間はそれだけでもいくらか疲労が取れるものらしいが、実際に意識があるのとないのとでは大違いだと思う。
脳も身体も極限まで疲労する不眠症。
例えば脳を常日頃から最大限に使い、身体も酷使している人が不眠症になったならばどれだけ辛いのだろう。
不眠症ではない私にはやはり、分からない。


「起きてる?」


メール画面を開いたままの携帯を手に、私はソファへ仰向けに横たわっている臨也に声を掛けた。
眩しさから目を覆う人のように、顔へ手のひらを宛がった彼はぴくりとも動かなかった。
袖から覗くやたら白くて細い手首が蛍光灯の光に晒されている。
そこにうっすら見える血管を目にして、私は臨也が生きているか不安になった。


「臨也?」

「…起きてるよ。うるさいな」


不機嫌というよりは疲弊しきった様子で呻くように返す臨也は体力の限界に見えた。
少し前に来た時、私へ合鍵を渡したのだって、こうして起き上がるのも辛い状態になると分かっていたからだろう。
手を僅かにずらした臨也は白い蛍光灯に目を眇め、緩く重い息を吐いた。
辺りにめちゃくちゃに散乱した書類を見る限り、寝られるまで仕事を続けようと無茶をしたらしかった。
敢えて言及はしない。
臨也は私に余計な言葉を望まないからだ。


「水、持ってこようか?」

「いい。今すぐ寝るから」


言うなり起き上がった臨也は、立ち眩んでよろめいた。
無意識に支えようと伸ばした手は彼によって振り払われる。
その姿は意地を張る子供にも見えるけれど、やっぱりそれは口にしない。
覚束ない足取りの臨也にただついて行く。
扉を開け放したままの寝室にあるベッドのシーツには皺一つなかった。
いつから寝ていないんだろう。
ベッドの縁へ腰掛けて息をついた臨也は、私を呼ぶ目をした。
少し待っていると呆れたような声が飛ぶ。


「早く。何の為に君を呼んだと思ってるの」

「今行くよ」


膝をついて向かい合うと、私は臨也を正面から抱きしめた。
力ない臨也はぐったりと私へもたれかかり、じっとしている。
触れた肌のあちこちが、恐ろしく熱い。
病気の熱とはまた違う、不眠症の人が持つ肌の熱さ。
冷たい、とはいっても私からしてみれば普通の体温の手のひらで臨也の身体のあちこちを撫でれば、少し肩を震わせた。
すう、と臨也が息を吸った。
乱れがちだった呼吸はいつの間にか落ち着いている。
もたれかかる体重がだんだん増すのを感じて、私は頃合いかと自分から身を離した。
あ、泣きそうな顔。
臨也はこうして離れる時、寂しくて堪らないというような表情をするけれど、それは眠気にすぐ隠される。


「眠れそう?」

「うん、今、すごく眠い…」


きちんと身体を寝かせてから覗き込むと、臨也はすぐに顔を背けた。
眠るところを私には見せないのはいつものことだ。
少しぼんやりした声で臨也が呟く。


「もういいよ。帰って」

「うん、……臨也?」

「……」


ベッドから離れようとした私の手を握るだけで、臨也は何も言わない。
いつもなら私はすぐにこの場を離れ、臨也は一人きりの部屋で深く深く眠るはずだ。
他人の私が居ては落ち着かないと今までにも何度も言っていたのに。


「ねえ、これじゃ帰れないよ」

「…行って」

「え?」

「ほんともう、どっか行ってよ」


言葉とは正反対に、臨也が手に込める力はより一層強まった。
言ってることとやってることがめちゃくちゃだ。
それでも顔は見せないよう私に背を向けている。
臨也が私を呼ぶのは眠れない時と決まっていて、彼が普段通りに生活できている間は連絡なんて一切来ない。
熱を持った身体を冷ますように宥めて、眠りに落ちるのも見届けず部屋を出る。
そういう関係なのだと思っていた。
けれど、臨也がこうして私に余地を与えるのならば、手を振り払われない範囲で希望を持ってもいいのだろうか。


「おやすみ、臨也」

「…おやすみ」


私がもう片方の手を重ねたことに臨也は何も触れず、言い終わるや否や、穏やかな寝息を立てていた。
ただ無防備にベッドへ身を預けた臨也へ手を伸ばしかけて、やめる。
ひっそりと彼だけが眠る部屋は、密やかな空気に満ちている気がした。






20101225
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