「時々、とても目を覆いたくなる時があるの。それはきっと一人きりが怖いからね」


一組の男女はあるビルの屋上に佇んでいた。
女は、まるで街へ言葉を投げ掛けるかのように手すりの外に顔を向けていた。
反して、男は屋内へ通ずる扉のある壁へ身を預けていた。
その手は先程からつまらなそうに携帯電話を忙しなく弄っている。


「こうとも思うわ。私の目が見えなくなって耳も聞こえなくなったとして、その瞬間に孤独は消えるんだろうかって。それとも、外界から切り離された時が本当に孤独なのかしら」

「…そうやって」


それまで黙りこくり顔を伏せていた男は、動かしていた手を暫し止める。
ちらりと画面から目を外すと、視線がかち合う。
声の反響具合から悟った通り、彼女は言葉の途中から顔をこちらに向けていた。


「そうやって仮定でも想像の種として扱うことは、実際にそうである人達に失礼になるんじゃないかな」

「…そうね。それはいけないわ」


その台詞を皮切りに、彼女は両の手を口元に寄せた。
大声で誰かに呼び掛けるように、あるいは小声で誰かに秘密の話を囁くように、そうして手を宛がい声を潜めて話すのは彼女が持論を訥々と語る時の癖だった。
それでも凛とした声は吹きつける風に掻き消されはしない。


「昔から何不自由なく暮らしてきたわ。特別ではなかったけれど、不満のない家庭だった。だけれどね、与えられることだけを知っている人間も苦労をするのよ。貪欲に貪欲に、与えられるもの以上を欲しがるようになったの。求めることに特化していったの。きっと今与えられている衣食住ではない何か、違う何かが自分に相応しいものなんだろうってね」

「自己同一性を求めるには、随分と遅い年齢だ」

「アイデンティティ…、そうね。人は自己を求める生き物でしょう?その形成期間は大概が私よりずっと低い年齢のもの。けれども、私はその契機を取り逃がしてこじらせたまま、きっとずっと追い続けるのよ」


睦言の時分のように声を愛しく潜めて、女は語る。
男は変わらず携帯電話に目を落としていた。
交わらない会話と視線は、この男女の曖昧な距離をよく表していた。


「ずっと寂しかったの。愛されたかったのね。親の愛を知らない訳ではないし、友人だって少ない訳ではなかったのに誰と居ても満たされなかった。だから、私はあなたが好きよ。あなたと居る時が、一番、満たされる」

「けれどそれは、比較の問題だろう?君は俺が一番なんじゃない。大勢の中で俺が最もマシだと傲慢な偏見で判断した。それだけだ」

「あなたは的確で、辛辣ね」


楽しそうに女は微笑み、男はまた正反対の冷めた表情を見せる。
女が呟いた好きよ、の一言に堪えきれない様子で男は首を振る。


「何度も言うけれど、俺は君を愛していないし愛さない。こうして会うのだって、いつ終わるかも知れない俺の気まぐれから生まれた産物だ。俺が愛しているのは、」

「人間、でしょう?それこそ何度も聞いたわ」


拒絶の意を示されたにも関わらず女の余裕は変わらない。
彼の言葉になど意味はなく、自分の思いを妄信するかのように。


「恋敵の規模は大きいわね。一体どうすれば、あなたが目を向ける膨大な範囲を私一人に変えられるのかしら」

「君は、さあ」


彼女の独り言に割り込むようにして男は携帯電話を閉じた。
男の視線は一箇所、ただ女にだけ向けられる。
彼女はそれを待ち望んでいたらしく、微かに身を震わせた。


「君はなんで隠し事をするの?平素の君はそんな回りくどい話し方をしないし、一人称も今のそれと違う。年齢だって俺より三つも下で、君が振る舞うよりは幼い。その演技で、君は何の得をするの?」


女は表情を変えないまま、瞳だけを僅かに見開いた。
男に知られていたことを知っていたかのように、大きな瞳に一瞬だけ諦観の色が浮かんだ。
相手に悟られる前にそれを消し、彼女は口元にある手のひらをゆっくり下ろした。
指と指を組み、俯き笑う姿は女と呼ぶには少女の面影が残りすぎていた。


「違う自分になりたかったんだと思うわ。いつもと違う自分なら、あなたとも上手くやれるかもしれなかったから」

「…その虚栄は、きっと意味がなかったよ」

「いいえ、駄目ね。そんな風に化けの皮を剥がされたら、私は全てを晒す前にあなたと縁を切るわ」


彼女が自分に素を、剥き出しの自己を見せるまでと決めた逢瀬は今も続いている。
男が、折原臨也が相手に求めるものはいつだって単純だった。
しかし彼女はまた腕を持ち上げ、愛の告白のように声を潜める。目を伏せる。嘘みたいに優しく笑う。


「その時は私に期待をさせないよう、きちんと見限って。ね?名前も教えてくれない情報屋さん」


20101213
偽って愛を乞う、飢えた君には愛する気が起こらないんだ
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