一世一代の大仕事を終えた気分で、息を吐いた。
用事を済ませた校庭から下駄箱に向かう際に携帯を開いて、思わず顔を顰める。
相変わらず人を振り回すとしか思えない文章を一瞥して、私は上履きを履いた足で階段を上がる。
目指すは最上階。
メールの送り主の気に入りの屋上。


「来たよ、臨也」


キイと錆び付いた扉が鳴って、さらには私が声を上げたのに、後ろ姿の臨也は反応を見せなかった。
まるで何の音も聞き分けられないみたいに。
手すりに載せた腕に顔を突っ伏している臨也に歩み寄り、手すりに寄りかかった。
危うい脆さの手すりが軋んだというのに、臨也は顔を上げない。


「臨也。メール見たから来たんだけど、聞いてる?」

「…ちゃんと聞いてるよ。君の声なんだから、しっかり聞こえてる」


ようやく頭を持ち上げた臨也はやたらと一語一語をはっきりと呟いた。
こちらに向けられた笑顔がとても力なく見えて、複雑だった。
昔にも、彼が弱った時に同じ表情を見たことがある。


「おめでとう。ここから見えたよ」


見てたよ、の間違いじゃないかとも思ったけれど、臨也は自分が傷つくのを極度に避けたがるから本当に偶然見かけたのかもしれない。
彼が見たというのはおそらく、私が静雄に告白をした場面だろう。
私の好きな、平和島静雄。
臨也の嫌いな、平和島静雄。
そして臨也の好きな、


「良かったね、君はきちんとシズちゃんに好かれてる。弟の俺と違って」

「…臨也」

「ああ、だけど俺は、どうすればいいんだろう」


臨也が涙の滲む、熱っぽい目で私を見た。
別に初めてじゃない。
親に叱られた時、妹たちと喧嘩をした時、姉である私に縋る瞬間に臨也はいつだってこの瞳をした。
怖いくらいに真っ赤な、それはそれは綺麗な瞳。
激情を含んだその色はいつから私への思いを溶かし込んでいたんだろう。
彼は幼い時分とほとんど何も変わらない。
少し変わったのは私と臨也の思い人だけ。


「…名前。ううん、姉ちゃん」


小さい子がするように両手を伸ばしてきた臨也を私は抱きしめた。
可愛い、弟。
けれど、それ以外の感情は生まれない。
姉ちゃん、なんて昔しか呼ばなかったのになぁ、と頭を撫でてやりながら思った。


「お、れ……悔しい」

「悔しい?」

「姉ちゃん、好き。好きだよ、一番好き、ずっとずっと前から愛してる」


私は何も答えないまま、けれど声を嗄らし嗚咽を漏らす臨也を突き放せずにいた。
私に臨也と同じような気持ちが僅かにでもあったなら、今日の告白はしていなかっただろう。
他人への好意を押し殺し、最も近い存在の姉と弟で依存し合って生きていただろう。
静雄のことは本当に、好きだ。
けれど臨也も本当に私のことが好きだ。
生きる上で全てが上手くいく訳じゃない。
当たり前のことだけど、それは悲しい。


「一つ聞いても、いいかな」

「なに?」

「俺のこと、好き?…答えて、最後だから」


途切れがちの声音で、臨也が問う。
彼は不安な時、いつもこの質問を繰り返してきた。
だから私は臨也を安心させようといつもの答えを返す。


「好きだよ。臨也は私の一番の弟だよ」

「そ…っか。なら、いいや。名前が言うなら、それでいい」


するりと自分から離れた臨也は俯いて、目元に手を宛がった。
彼がいつから捻くれた話し方をするようになったか、それは覚えていない。
けれど、私の前で臨也はいつも昔のまま素直だった。
剥き出しの、傷つきやすい一人の男の子だった。
きっとこれから臨也に手を差し出すことは酷な仕打ちになってしまう。
伸ばしかけた手を引っ込めて見上げた空は、馬鹿みたいに晴れやかだった。
あんなふざけた四文字しか送ってこれないほど余裕がなかったの、なんて泣き続ける臨也に訊ける訳がなかった。


20101208
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