空高編


第2章 神子と接触



真っ赤な血だまりの池にパシャリと足を踏みしめれば、白いズボンの裾が朱に染まる。
別に服が汚れるとか、そういうことに執着はないので気にせずに周囲を見回す。
足元で転がる犬の死骸と、僅かに残る霊気から、妖との戦闘があったのだろうと想像出来た。
しかしこの犬の死に方から見るに、自分が見知っている人間が行ったものではないことが伺える。
だが、手口に心当たりがない訳ではない。

「幽爛の奴、ちゃんと接触したみてーだな。」

血の香りに鼻をひくつかせ、にぃと口角を上げる。
確か、このまま真っ直ぐだったか、記憶の片隅をほじくり返す。

「死燐の奴、己れが来たらどんな顔するかな。」

脳裏に浮かぶ、青い顔をした知人を想像しながら男は不敵に微笑んだ。


第24晶 赤毛の少年


「雷希!雷月殿!」

ひとまずは元辿った道を戻ろうという話になり、雷希と雷月は実験班組織のある方向へと歩いていた。
幸いにも妖やら盗賊の類やらに遭遇することもなく、順調に道を進んでいる。
思ったよりも道は長く、雷月は自分の走ってきた距離に関心をしていた。
関心している場合か、と雷希が呆れていると聞きなれた声が前方から聞こえ、顔を上げれば空色の髪をした少年が小太刀を握りしめ駆けて来る。
後ろには白装束の少女。
どちらも、雷希と雷月にとっては見知った存在で、安堵の表情を浮かべた。

「良かった、雷月殿、見つかったんだな。」
「雷月…心配した。」

ほっとしたように微笑む翼と飴月の姿を見て、身勝手に飛び出した自分の行動に罪悪感を覚える。
顔を下に向けていると、雷希が何かを促すように雷月の背中を優しく叩いた。

「…心配かけて、すまねぇです…」
「いいの。あの酷いことした男、死燐って人ががっちりしめてくれたから。」
「しめ過ぎて、少しあの世が見えかけていそうだったがな。」
「あのやろーは何千倍にもして返してやるです。」

忌々しげに呟いていると、いつも通りのその姿に安堵したのか飴月は優しく微笑み雷月の髪を撫でる。
細い指が触れる感触に戸惑い、目を伏せる。

「そ、そっちは、妖とか、大丈夫だったですか?」
「嗚呼、問題ない。幸いにも遭遇していなくてね。」

不気味なくらいだが、と翼は言葉を付け足す。
妖とて、そんな頻繁に出現するものではない。
それでも最近の頻度は異常であるということは、雷希たちの仕事を手伝い始めた翼自身が一番よく自覚している。
森の中に乗り込んでいけば、何回か動物の姿をした妖に遭遇するのが当たり前になっているのだから。

「こっちもデケぇ犬が一匹だけだったしな。いつもならもう少し遭遇するんだけど…」

雷希もやや不思議そうに呟く。
こういう日がない訳でもないが、と思考を巡らせているとガサガサと草を踏みしめる音。
音が聞こえたのは四人全員同じのようで、一同顔を見合わせる。

「妖?」
「否、でも、この歩き方は…人…」

翼はぽつりと言葉を漏らす。
獣の気配は感じられない。感じられるとすれば、獣ではなく、人。
しかし人の割には気配が薄い。
もしかしたらわざと気配を消しているのかもしれないし、気配を消せるような人間に心当たりがない訳ではない。
翼の脳裏には、先ほど自分たちを襲って来た黒づくめ達の姿が浮かんだ。

「まさか、政府…」

飴月も同じことを考えていたらしく、ぽつりと言葉を呟く。
出来ればそれは考えたくないのだが、と翼は頭を抱えた。

「政府だったらとっちめるしかねぇだろ。」

雷希は手に持つ巨大な刃を前に掲げ、足音の主が姿を現すのを待つ。
ごくりと生唾を飲み込むと、ガサガサと音を立てて一人の男がひょっこり姿を現した。
外見年齢は翼と同じくらいであろうか、幼さの残る顔立ちの少年。
真っ赤なワインレッドの髪。黒真珠のような大きい瞳でじっとこちらを見据える。
彼を包んでいるのは白の詰襟…政府が着ている黒ではない。
しかし雷希は彼が政府の者であるかどうか気にするよりも前に、大検を少年めがけて振りあげる。

「雷希!違う!」

翼の叫び声は耳に届いていないのか、雷希の体と同じくらいの大きさもある剣が少年の体を二つに裂かんと降ろされる。
少年は茫然とその刀を眺めていたが、口角をにぃ、と持ち上げるとその剣をがしっと素手で受け止めた。
少年の体躯は見るからに細い。
素手で受け止めているためか手のひらの表面からうっすらと血が流れるが、顔色を変える様子がない。
雷希も決して力を入れていない訳ではないし、巨大な武器を振り回しているのだからそれなりに力のある自負はある。
けれど、どんなに力を入れてもそれが動く気配はない。

「まぁ落ち着きなさいなって。」

少年は落ち着いた声で窘めながら、手に掴んでいた剣をぐいっと前へ押しやる。
敵に向けていたはずの刃が自分へと戻っていき、雷希の力のバランスが崩れると少年はその隙を突いて雷希の体を蹴り飛ばした。

「雷希!!」

雷月の叫び声とともに、雷希の体は宙を舞い地面へと落下した。
少年はズボンのポケットから煙草を取り出し口に咥えて火を付ける。
吸い込んだ煙をはぁ、と吐きながら雷希に駆け寄る翼たちを含む四人を見据えた。

「言っておくけど、責められる理由はねーぞ?先に剣を向けたのはそっちなんだし、正当防衛って奴?」

少年の言っていることはもっともなので、こちらも反論をするつもりはない。
にこにこと笑みを浮かべる少年の目は、決して笑ってなどいないからだ。
反論でもしようものなら、何をしようとするか、想像したくないけれども想像出来てしまう。

「ま、いーや。警戒されても仕方ねーし、判断は正しいよ。ただ、己れの機嫌が悪かったらぶっ殺されてただろうから、運良かったね。」

少年の笑みに思わず雷希は背筋が凍る。
しかし少年は「でも当然でしょ?」と更に続ける。

「だって抵抗しないと己れが殺されるし?」
「…もっともだ。」
「だろ?ただ喧嘩するしか頭のない奴じゃなくてよかった。」

失礼な言葉を続けながら少年は煙草の長さを着実に短くしていく。

「そうそう。己れは用事があってここに来たんだった。」
「用事?」
「ん。」

翼が首をかしげると、少年はこくりと頷いた。

「己れは死燐に会いに来たんだよ。空高翼。」

 


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