Pray-祈り-


信仰する神父と、信仰される神子の話。



神はいないと、男は言った。
神を否定したその神子は、大地を焼き、文明の利器を吹き飛ばし、世界を全て、消し飛ばした。
草花が焼き払われ、土のみとなった地面。見渡す限り、木々が生え、家屋が立ち並んでいた世界に残されたのは、大きな岩肌のみ。
正にそれは、世界の大破壊。
文字でしか見たことはなかったけれど。
この御業は、神のそれとしか言い得なくて。
神がいないと言うのであれば、この男こそが神で、世界が焼き払われたその瞬間、初めて神は生まれたのではないかと。幼心に思ったものだ。

「神様なんて、いないですよ。」

それでも男は、かつて自分が神だと信仰したこの男は、未だに神を否定する。

「わたくしは、ただ、世界を否定した。仲間のいない世界を。争いしか生まれず、血が流れ続ける世界を否定した。人が人である限り、争いは生まれる。ならば、世界を失くしてしまえば。世界を消してしまえば、争いのない、平穏な世界が生まれるのではないかと、そう、思ったのです。」

そう言って、男は、空色の髪を揺らして、朗らかに笑った。
なんて極論。
人が存在しない世界。生物が存在しない世界。人がいなくとも世界は成り立つかもしれないが、その他の生物すらも、争いを生むかもしれないと消し去ってしまうその暴挙。
人として、許されることのないその行い。
だが、神としてそれを行ったのであれば、それはただの神秘だ。

「それでも、私は、貴方を信仰して生きて来た。」

大事に本を抱えながら、アルバ=クロスがそう語れば、目の前にいる神、空高翼は、困ったように微笑んだ。
美しい空色の髪と瞳。彼の存在そのものが、まさに天に広がる大空で。
彼そのものが空であり、彼そのものが世界である。故に、彼の死は空の死。空の死は、世界の死。

「貴方は言う。傲慢故に世界を滅ぼしたと。けれど、私はそうは思わない。貴方は神として、争いの絶えぬ愚かな世界に幕を下ろそうとした。」
「世界を滅ぼすのは人ではなく、神だったと……その本には、そう書かれているのですね。」
「……そうだな。そして、故に、神器を全て集め、世界を消し去るというユーリの言葉に当初、違和感を覚えなかった。愚かな世界を滅ぼすのは神の業。神の心臓である神器を全て集め、一つにする。神の力で行われる破壊は神の行いそのもので、だから、悪いことではないのだと、そう信じて、自身を正当化して、何十年も生きて来た。」
「今は、どう思っているのですか?」
「今は、わからない。ただわかるのは、私は、自分の運命を変えたかった。生まれた時から死が約束されている哀れな運命を。どう足掻いても争うしか宿命のないあの家を。世界が全て、再び無きものになれば、きっと、全て、チャラになるのだと、そう思っていた。それだけだ。」

アルバは深く溜息を吐いて、少し冷たくなった紅茶を一口飲む。
一口飲んで、顔を上げれば、そこに広がっているのは青い緑が生い茂る、小さな小さな庭園だった。
白。空。黄。緑。黒。赤。紫。
全てで七色の、在りもしない薔薇たちが、その庭には咲き誇っていた。
此処は庭園。
輪廻の世界。その内側に存在する、七つの罪を持つ哀れな魂が閉じ込められた、箱庭のような小さな世界。
顔を上げれば、水晶のような、掌に収まる程度の小さな宝石が降り注ぎ、その宝石を、翼は白く細い手を伸ばして、受け止めた。
宝石の中を覗き込めば、見知った同じ顔の男が、血に濡れた刀を握って、同じ顔の男にそれを突きつけている。
繰り返される世界の光景に、翼は、悲し気に目を細めた。

「世界は変わらない。何度も何度も繰り返される。わたくしたちは、何度、罪を繰り返せば、この輪廻の向こう側に行くことが出来るのでしょうね。」

その問いかけに、アルバは答えることが出来ない。
この箱庭で、一体、何年、何十年、何百年と、自分の死を、仲間の死を、同じ罪を持つ六人の死を、見届けて来たことだろうか。
それでも、七人の心は壊れない。壊れることはない。だって既に、罪を犯したその時から、彼等の心は壊れているのだから。

「わたくしの罪を何度見て。見せられて。それでも、アルバ殿。貴方はわたくしを神だと、そう、言うのですか。」
「私にとって、貴方は神であり、信仰だった。それは今でも変わらないし、変わることはないよ。」

そう言うと、翼はまた、少し、悲しそうに、肩を落とす。
けれど、と、アルバが言葉を続ければ、翼は不思議そうに顔を上げた。

「変わることはない。けれど、今目の前にいるのは、同じ咎を持つ茶飲み友達だ。」
「……アルバ殿……」
「おかしな話か?」
「いいえ。いいえ。おかしくなんてありません。そうですよね、お茶友達ですよね、わたくしたち。」
「嗚呼、そうだ。そうだとも。だから早く、残りを飲み干してしまえ。もう冷めているぞ。というか、よくそんな苦い珈琲を口に出来たものだな。私には考えられん。」
「わたくしとしては、貴方のお孫さんの紅茶の方が、理解をし難いのですけれど?」
「……それは、私も同感だ。」

アルバがそう言いながら紅茶を飲めば、翼は、少し嬉しそうに微笑んで、すっかり冷たくなった珈琲を口に運んだ。
アルバにとって、空高翼は、信仰すべき神だった。
けれど、目の前にいる空高翼は、何処にでもいる仲間想いの青年で、共に輪廻の内側を漂う咎人で、こうして茶を飲む間柄で。
世界というものは、巡り合わせというものは、ひどく不思議なものだと。
目の前で嬉しそうに、マグカップを持って微笑む男を見ていると、そう思ってしまうのであった。


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