アルフライラ


Side白



この国が不老不死の国となってから、どれぐらいの時が立っただろう。
数年。否、数十年、かもしれない。天気も変わらぬこの世界、時を刻むことはもう諦めた。
朝がやってくることも、夜がやってくることもない、薄紫色の空。
夫婦には夢があった。
その夢がかなうことはないけれど、それでも夫婦は満足していた。二人で慎ましやかに暮らしていけるのであれば、それも一つの幸せの形かもしれないと、ようやく、そう思えるようになったのだ。
ようやく。
ようやく、そう思えるようになった、時だった。
夫婦と、彼等が出会ったのは。


Part21 希望の光:アラジンとコハクT


「お前たちは、この国が、正しいと。本気でそう思っているのか?」

まるで通り魔にでも襲われた気分だ。
それは、いきなり頭を鈍器で殴られたような衝撃で、実際に殴られたという訳ではないのに、ガンガンと頭が痛くなるような、そんな錯覚に陥っていた。
最悪だ。本当に、本当に最悪だと、コハクは自身の出会いを呪った。
買い物袋をぶら下げた、隣に立つ妻は呆然とした顔で立ち尽くしている。その顔は少し青く、動揺し、肩を震わせていた。

「君は、自分が何を言っているのかわかっているのかい?」

目の前の青年は、真っ直ぐ、こちらを見据えていた。
男の名は、ブラン=アラジニア。彼のことは、正直よく知らない。けれど、以前、宮殿で私刑になったという男の話を聞いたことがあり、それが彼の事であると、風の噂で聞いた。
馬鹿な事をすると、心の中で思ったものだ。
だって、この国では、飢えることも年をとることもなくて、彼に、ノワールにさえ逆らわなければ、外に出たいなんてことを望まなければ。
未来を、望まなければ。
約束された理想郷を手にすることが出来るのだ。

「正しいに決まってるじゃないか。だって、彼に逆らいさえしなければ、この穏やかで、豊かな生活が保障されているんだ。君だって、あの大災害は知っているだろう?あの時のことを考えれば、此処は楽園さ。これ以上、何を望むっていうんだい。」

心にもない言葉がつらつらと口から零れ落ち、自ら零したその言葉は、自身の胸を締め付けた。
これでいい。
これでいいと、頭で言い聞かせて、本心に蓋をする。それが最善なのだと、それが、良いことなのだと、自分自身に言い聞かせた。
けれど、目の前の彼はそれで納得することなく、こちらに詰め寄る。
宝石のような、彼の、翠色の瞳が、ひどく眩しかった。見つめ続けることが、困難なほどに。

「未来を、欲していたんじゃなかったのか?」

希望に満ちた瞳は、言葉は、幾つもの鋭い刃のように、コハクの目を、耳を、胸を、貫く。
やめてくれ。そう言いたいのに、怒りで言葉が出ない。握り締めている拳の感覚が、もう感じられない。

「この国を変えることが出来れば。未来を歩むことが出来る。新たな命を、この世界にもたらすことだって、きっと……」
「やめてくれ!」

アラジンの言葉を、コハクの叫び声が遮った。
こんな大きな声を出したのは何時ぶりか。もしかしたら、初めてだったかもしれない。肩で息をしながら、コハクは、震えるその拳を彼に向けないよう、それだけを試みていた。

「僕も、コクヨウも、決めたんだ。この国で生きていくって。この国の道理に従うって。だって、生きていくにはそれしか方法がないから!だから、だから僕は、僕たちは!生きていくために、この国で平穏に生きるために、前を向いたんだ!ようやく前に向いて、この生活に馴染んで来たのに、こういう生き方も、良いのかもしれないと、そう思って来たのに、かき乱すことを言うな!」
「諦める必要なんてないだろう!だって……!」
「いいから帰って!帰ってくれ!僕たちはこれでいい!このままでいい!このままがいいんだ!」

彼の肩を強引に突き飛ばして、コクヨウの手を取って早足で歩いていく。
アラジンは、コハクたちを追いかけることはなかった。
人混みの中へ、逃げるように、隠れるように、二人は歩みを進めていく。

「コハク、待って。」

そんな彼等の歩みを止めたのは、コクヨウの一言だった。
はっとしてコハクは歩みを止め、コクヨウを見る。体躯のいいコハクの歩幅に合わせて、引っ張られるように、小走りでついて来てくれたのだろう彼女の顔に、少しの疲れが見えていた。
ごめん、と呟いて、コハクはその手を放す。
彼女の白く細い手は赤く滲んでいて、その赤は、拳を握り締めた時に滲んでしまったのだろう、コハク自身の血であった。

「コハクが謝る必要はないさ。君が怒る気持ちは、わからない訳では、ないから。」

そう呟く、コクヨウの声は、少し、震えていた。
いつも気高く強い彼女の、弱々しい面を見て、コハクの胸が、締め付けられるように苦しくなる。
彼女にこんな顔をさせたくはないのに。彼女には笑っていて欲しいのに。
ようやく笑顔が増えて来た彼女の表情を、再び曇らせたあの男に、怒りに矛先が向くのがわかった。

「……ねえ、コハク。」
「なに?」
「……この国を変えることが出来たら、さ。産めるのかな。君との子ども。」

ぽそりと、コクヨウが呟く。
消え入るような小さな声。しかし、コハクは彼女の考えを否定するように、静かに彼女の名を呼んだ。

「コクヨウ。」
「でも、」
「それ以上は、いけないよ。」

そう呟いてから、コハクは周囲に目をやる。
ざわざわと、各々が各々の用事のために街の中を歩いている。二人の言葉に耳を傾ける者はいない。
けれど、何処で誰が、二人の会話を聞いているか、わからない。

「それ以上のことを考えてはいけない。それが、この国で生きていく上で、必要なことだ。……わかるよね?」

ノワールに逆らう者は私刑にされる。
殺される訳ではない。けれど、それが死よりも恐ろしいことなのだと、想像するのは容易いことだ。
あの男はそれに懲りていない稀有な人間だけれども、通常であれば、廃人にまで追い込まれてもおかしくはない。
否、廃人にまで追い込まれるその非道に屈しなかった、芯の強い心を持つ彼ならば、或いは。そう思いかけたところで、コハクは自分の考えを否定するように、首を横に振った。
考えてはいけない。
この国で、未来を望むのはご法度だ。永遠に二人で、仲睦まじく共に在る。この生き方だって、素晴らしい生き方じゃないか。
だから、未来を望むなんて、考えてはいけない。
例え、この日々が、何処まで続くかわからない永遠だったとしても。

「コクヨウ。帰ろう。今日のご飯は……そうだね、久々に小籠包でも食べようか。」

そう言って、コハクは、微笑む。この話はこれで終わりなのだと告げるように。
コクヨウもまた、彼の笑顔で全てを察したのか、そうだね、と、頷いたのだった。

 


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