契約の紡


本編



朔良は一人、南の地へと向かって、歩いていた。
温かな風が頬を撫ぜ、朔良が歩けば、木々は桃色の花を咲かせてその花弁を散らせる。
それを目で追っていると、朔良を囲うように蠢く、黒く腐敗した妖たちの群れが行列を作っていた。
生臭くおどろおどろしい彼等も花弁に包まれれば少しはましに見えるかと思ったが、そうでもないらしい。
けれど、自分を囲って群れをつくる彼等を率いて歩くのは、花弁が舞う中を歩くのは、決して悪い気はしなかった。
舞い散る花弁を眺めながら物思いにふけっている。すると、目の前に、一人の女が現れた。
女の顔は、見覚えがある。
朔良は溜息を吐くと、じぃ、とその女を見据えた。
人がせっかくいい気持ちで花を眺めていたというのに、とんだ邪魔が入ったものだとしみじみ噛みしめながら、朔良は、腰に下げた刀を抜く。
血のように真っ赤な刀身を女に向けて、朔良は可愛らしく首を傾げた。

「ねぇ、村を放っておいて、こんなところまで来てだいじょーぶなの?」
「心配無用。優秀な若者が村を守っているのでな、安心してお主に会いに来れたわ。」

そう言って、淡い朱色の焔をまとった桜楽は、桃色の髪をなびかせて不敵に微笑んだ。


第四十結 : 桜咲き、朔良舞い 其の一


朔良は他の妖と比べれば小柄で、腕力も決して強い方ではない。
特別素早いかと言えばそうでもなく、運動能力は、他の妖と比べれば劣ると言ってもいいだろう。
それでも、朔良には、妖としてそれなりの強さを誇る、他の妖とも同等に渡り合えるとも言える、武器があった。

(なんだ、これは……)

桜楽は、頬に汗を伝わせながら、周囲をきょろきょろと見回す。
視界のあたり一面が、桃、桃、桃。
見たことのある、薄桃色の世界に、埋め尽くされていた。
この光景をなんと例えればよいだろうか。例えるならば、眼球に桜の花弁を貼り付けられたまま剥がせないような、少々痛々しい表現ではあるものの、視界としてはそんな例えが似つかわしい状況であった。
視力に頼れないのであれば聴力を頼りたいところではあるが、これもまた、周囲はシンと静まり返っていて何も聞こえない。
しかしこれは、ただ相手が身動きをしていないからという訳ではない。風の音も、木々の音も、何も聞き取ることが出来ないのだ。

「ぐ、あっ」

何かに右肩が切り裂かれる痛みを感じて、小さな悲鳴をあげる。
この悲鳴も、相手にはきっと聞こえているのだろう。桜楽本人は、悲鳴をあげたはずなのに、何も聞こえないこの空間に、不安や恐怖を感じそうになる。
力の入らない肩をもう一方の手でつかむと、どろりと粘り気のある液体が指に伝った。
指に伝うその液体が傷口の深さをわかりやすく伝えてくれたし、幸いにも痛覚や感覚は残っており、僅かに残されたその感覚こそが、桜楽の正気を辛うじて保っていた。
そんな彼女を眺めて、朔良は、くすくすくすと、幼く無邪気な笑みを浮かべる。

「ふふ、あーんなにおろおろしちゃって。面白いなぁ。」

そう呟いて、朔良はぶんぶんと手に持つ赤い刀を振る。
朔良の目に映る桜楽は、おろおろと周囲を見回しながら、無造作に手に持つ武器を振り、時には彼女と契約を交わす精霊の能力なのであろう朱い炎を放ち、見えぬ聞こえぬ世界のなかで、精一杯攻撃をしようとしていた。
戸惑いと焦燥が隠し切れないその表情を見ていると、先程までの威勢のよさは何処に行ったのかと、清々しい思いだ。
彼女の周囲を、黒く蠢く妖たちは楽しそうに鋭利な爪を立てて囲んでいる。
もう少し眺めているのも一興ではあるものの、こんな所で油を売っていても仕方がない。
そろそろ止めを刺してやろうか。何も見えぬ、何も聞こえぬ世界はさぞ怖かろう。殺して楽にしてやろう。朔良は嬉々とした表情を浮かべて、刀を握り締め、跳ねるように桜楽へ近付く。
桜楽は当然、そんな朔良に気付くことはない。
例え彼女が、目が見えなくて、音が聞こえなくて、妖が身を動かす時に僅かに生じる風の動きや気配という感覚だけで周囲を把握しようとしたとしても、朔良の動きを判断するにはあまりに、周囲の妖の数は多過ぎた。

「ツいてないよね。君も。」

朔良はそう言って、刃を持ち上げる。

「僕から集落の人々を奪った。君たちには、多少なりとも恨みはあるんだ。その恨みを晴らすために、君の首を貰うよ。」

刃を、彼女の首目掛けて、振り下ろす。
その瞬間、彼女と朔良を引き裂くように、赤い、紅い、朱い、火柱が、二人の間で立ち上った。
ごうごうと燃え盛るそれは周囲の妖を焼き尽くし、骨まで残さぬ勢いで燃やしていく。
炎を避けた朔良には、忌々し気にそれを眺める。
その炎は、見覚えがあった。
あの時も、この炎の邪魔をされたのだ。覚えていない、訳がない。

「桜楽!間に合った……!」

水色の長い髪を揺らした女が、桜楽の手を握り、無事を確認する。
何も見えぬ、聞こえぬ桜楽は、握って来るその手に、戸惑いの表情を浮かべるばかりだ。当然だろう、いきなり握って来た者の正体が、敵なのか、味方なのかもわからないのだから。
女は、水流はすぐに桜楽の異変に気付き、彼女の様子を探る。よく見れば、彼女の頬には刃物がかすったような切り傷があり、その切り傷を中心に、真っ赤な花のような印が浮かび上がっていた。

「……これ、」
「恐らく、あの妖の力だろう。水流、桜楽と一緒に下がっていろ。俺がなんとかする。」
「お願い、朱鷺。」

朱鷺はじろりと朔良を睨む。そんな朱鷺とは裏腹に、朔良は、涼しい表情を浮かべながら朱鷺のことを見つめていた。

「君と、またこうして刃を交えることになるなんてねぇ。」
「お前は、あの時仕留め損ねたからな。次こそ、仕留めてやる。」
「それはこっちの台詞だよ。ねぇ、君、相性だけで勝てたって気でいるでしょ?」

朔良の言葉と共に、ごうごうと地面が鳴る音がする。
突如、地面が割れ、その裂け目から飛び出した鋭い木の根は、朱鷺の右足を貫いた。

「ッ……!」
「朱鷺!」

水流の悲鳴が聞こえる。
木の根から足を引き抜くと、真っ赤な液体が、その傷口から溢れ出ていく。その様を見て、朔良は、とても嬉しそうに、満足げに、その顔に笑みを浮かべていた。

「確かに植物は、炎でよく燃えるだろう。けれど、その炎に甘えていたら、痛い目に合うよ。」

勢いよく風が吹き、桜の花弁が、周囲を舞う。
朔良の周りを囲うように、妖たちが、粘り気のある体液を垂れ流しながら、その牙を、爪を、剥き出しにしていた。
朔良は、にっこりと、愛らしく、そして、怪しく笑う。

「ねぇ、知ってる?桜の花弁が色鮮やかなのは、埋められた人の血を吸っているかららしいよ?」

迷信のはずだけど、案外、真実かもね。
そう言って、クスクスクスと、嗤っていた。

 


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -