契約の紡


本編



「その後、弓良は僕たちの前から姿を消した。」
「……それ以来、彼の噂とかは?」
「わからない。もしかしたら、もう季風地にはいないのかもしれないと、そう思っていたから、……まさか、まだ居たなんて。それに、彼、あの白い妖のことを友人だと言っていた。」

恐らく、その事件で季風地に居辛くなってしまった彼は、それでもこの地を離れる方法がわからず、彷徨い続けていたのだろう。
独りぼっちになってしまった彼に、唯一手を差し伸べたのが白鼬だったとしたら。
友人として、どんなことがあっても力を貸したいと、そう思ってしまうだろう。
例え彼が、人を殺めることに快楽を覚えている、ただの殺人鬼だったとしても。
否、森を燃やしたという彼にとっては、友人が殺人鬼であろうが、何だろうが、関係はないのかもしれない。

「彼とはまた、会う事になるかもしれないわ。……蛇養。もし辛いのであれば、他の子と代わっても……」
「大丈夫だよ、水流。」

気を遣うように声をかけた水流に、蛇養は笑って答える。
その自然な笑みは、いつも浮かべる彼女らしい笑顔であった。


第十六結 : 橋から伸びる手


翌日、燕たちは早朝すぐに海波の屋敷を後にした。
海波の屋敷から東にある青龍の村。この村へ行く過程でも、一本の橋が存在する。
朱雀の村から海波の屋敷へ行く時に、橋が意図的に破壊されていたことを思い出した。

「あの、橋、壊れてないですよね。」
「壊れていたら、青龍の村へ行く手段がないわね。」

そう。
あの時と違い、青龍の村へ行くには、橋を渡るしか方法がないのだ。
もしも橋が破壊されているということがあれば、残念な話だが、青龍の村は素通りして、北を目指すしかない。
玄武の村は情報が全く渡って来ないという面で閉鎖的な村ではあるが、青龍の村は、物理的に隔離される恐れがあるという意味で閉鎖的な村であった。
橋がかけられていることで人々は往来を可能とし、厳格で真面目な村長、青宋芭の定期的な連絡のおかげで、この村は閉鎖されることなく存在している。
既に、宋芭からの連絡が途絶えているという点では、橋に関する不安も大きい。

「あ、あれじゃないか?」

久々宮がそう指差したのは、長く続く、大きな橋だった。
橋の様子を確認すれば、壊されている気配もない。

「よかった。これで渡れるわね。」

水流がそう言って、ほっとしたように息をつく。
橋がないから渡れませんでした、などという理由で青龍の村を見放すことがあれば、世話になった西の村長、愁礼に顔向けが出来ない。
しかし、橋を見てひとつ、気になる点があった。
人の往来が全くないのだ。
青龍の村が外界と繋がる手段は、此処にかけられている橋だけ。
此処を渡らなければ外部の人間は青龍の村へ行くことは出来ないし、青龍の村の人間も、外部へ行くことは出来ない。
たまたま朝早い時間帯だから人がいないのか。
それとも、別の理由があるのか。

「とりあえず、渡るしかないね。」

そう。
それでも渡らなければ、村へと行く手段はない。
罠があるかもしれないことを承知の上で、一同は、橋を渡る。
踏み込んだところで穴が開くというありがちなものもなく、順調に橋を渡って行けば、視界の奥に村のような、建物の影がうっすらと見える。

「あれが、青龍の村ですね。」

燕がそう言って踏み込んだ。
その時、ゴポリと音が聞こえたと同時に、橋の両脇から、水で出来た手のようなものが飛び出した。

「!」

その手は橋の上に立つ燕たちを捕まえると、橋の下にある、川の底へと引きずり込むように引っ張っていく。
引きずり込む力が強く、水の中へと吸い込まれれば、ゴポリと口から泡が吐き出された。

「燕!氷雨!」
「久々宮!水流!」

水の手を掻い潜り、空中へと逃れた朱鷺と蛇養が叫ぶ。
助けに入ろうと水の中へ飛び込もうとすれば、再び水の手が伸びて来て捕まえようとするので、中々手出しが出来ない状況になっていた。
久々宮は、刀が本体だ。
水の中に長時間居れば刀が錆び、折れてしまう危険性が高まってしまう。
それに、生身の人間である燕、氷雨、水流に至っては、長時間水の中に居れば溺死してしまうことだってあり得るのだ。

「危ないよ。下がって。」

一人の、男の声は、蛇養と朱鷺にとっては足元。つまり、橋の上から聞こえた。
橋へと視線を向ければ、そこには、一人の青年が立っている。
手には三味線が握られていて、ばちを使って音を鳴らせば、彼の周囲を風が覆い始めた。

「頼むよ。」

ベベンと軽やかに三味線の音を響かせると、風が、まるで一つの生き物のように川の中へと目指して流れ込んでいく。
そこは、あの水の手が燕たちを飲み込んだ場所であった。
風が渦巻き、川に、渦潮のようなものが形成されていく。
渦巻く川の中から、勢いよく五つの影が飛び出した。

「……兎月!」
「し、死ぬかと……思った……」

飛び出して来たのは、兎月であった。
先程の渦のおかげで水流たちを拘束する手の力が弱まったと同時に、兎月が重力操作を行って四人を川から引きずり出したのだろう。
水を多少飲み込んでしまったのか、燕や氷雨は咳き込んでいたが、幸いにも目立った外傷はなく、意識もあり、四人は無事であった。
ただ、久々宮だけは、僅かに震えている。

「さ、さ、さ、……錆びるかと、思った……」
「……後で、錆びないように手入れをしてやろう。」

兎月がゆっくり四人を橋の上へ着地させると、安心したように、久々宮がへたり込む。
氷雨が慰めるように久々宮を撫でたところで、四人は、橋に立つ男の存在に気付いた。

「あの風は、貴方が……?ありがとう。」
「いいですよ、礼なんて。それより、見て、あれ。」

男が指で示したその方向。
水が渦巻いていた場所は徐々に威力を弱めていき、その渦の中心から、一つの影が浮かび上がって来た。
青みがかった白髪は腰の辺りまで伸びていて、その髪の分け目から、左右対称に生える四本の角。
人間であれば、本来白目であるはずの部分は黒く染まり、大粒の涙をぼろぼろと流す青紫色の瞳は、鋭い眼光でこちらを睨み上げていた。
そんな彼を取り囲むように、水の手が、うごうごと蠢いている。
燕たちを引きずり込んだのは、あの男で間違いないだろう。

「あれは……」
「鬼、だね。最近、此処でよく見かけるんだ。人を川の中に引きずり込んで溺死させて食べる、厄介な鬼だよ。」
「……もしかして、この橋の人通りが少なかったのって……」
「うん。あの鬼が、橋を渡る人たち全員食べちゃったから。」

男が平然と言う言葉に、燕たちは青ざめる。
川の中に引きずり込まれた時、燕は、見たのだ。見てしまったのだ。川底に沈む、白いナニカを。
あれは恐らく、否、間違いなく、人骨だったのだろう。

「とにかく、今は逃げよう。早くこっちに。」

男に促されるまま、橋の向こうへ、青龍の村へ向けて燕たちが走っていく。
橋を渡り切る頃には、あの鬼はもうこちらを追うような気配はない。
その鬼はただただ、涙を流し続けたまま、橋から逃げた燕たちを見つめていて。

「…………掛気……さん……」

その呟きが、燕たちに届くことは、なかった。

 


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