契約の紡


本編



目を覚ますと、あまり見慣れぬ天井と、見知った顔が、そこにはいた。
普段表情を変えぬ彼が、こんなにも顔を青くして、動揺している様は、うん、初めてみるような気がする。

「燕…!」

氷雨は、燕の名を呼ぶと、ほっとしたように、その手を強く握った。
今にも泣き出しそうな、子どものようなその顔が、少し愛おしいなんて思ってしまったのは、内緒にしておこう。

「よかった。目を覚まして。」

そう言ったのは、水流だ。ほっと胸を撫で下ろしている。
彼女の隣には、薬の用意をしている蛇養と、水流と同じように、燕の覚醒を安堵している、桜楽の姿があった。

「心配をかけおって。しかもお主、水流から話を聞いたぞ。神子があのような危険な行いをして、何かあったら妖どころの騒ぎではないではないか。」

しかも、桜楽にまでも、己の身分はバレていたらしい。
まぁ、村長相手に素性を隠し続ける訳にもいかないだろう。
しかし、あの後からどれだけの時間が流れたのか。辺りも騒ぎがなく静かだし、どうなったのだろうかと、燕はきょろきょろと屋敷の室内を見回す。

「……燕。順番に話してやる。あの後、何があったのか。」

そう言って、氷雨はゆっくりと、あの後、燕や、そして、周囲に何が起きたのかを、語り出した。


第七結 桜が舞い、血飛沫が舞う


桜の花弁が舞い、燕に襲い掛かる、その瞬間、花弁は真っ赤な炎に包まれた。
火柱を立て燃え上がるその炎は、少しずつ形を帯び、まるで巨大な鳥のような形を作り、その子どもの妖へと襲い掛かる。
ひらりひらりと妖は身軽に炎の攻撃を交わし、そして、村人たちから距離を取った。

「燕、燕は…!」
「此処だ。」

燕を探し、辺りを見回す氷雨の頭上から声をが降り注ぐ。
炎の鳥はまたぐにゃりと形を変えて、一人の男の姿になった。男は背中から翼を生やし、その空を舞っている。
その男の姿には、見覚えがあった。

「朱鷺…」
「安心しろ。気絶はしているが、目立った外傷はない。」

翼を羽ばたかせ、ゆっくりと地面に降り立った朱鷺の腕の中には、気絶し、その身体を朱鷺に委ねた状態の燕がいた。
確かに、呼吸もしっかりしているし、多少桜で身体を裂かれているが、それもかすり傷程度で目立った外傷はない。
朱鷺から氷雨へと、燕の身体が預けられる。
ずしりとした重みと、微かな呼吸。そして、まだ温かい体温が、彼の無事を物語っていた。
氷雨は、ほっと、息をつく。

「大事な神子だからな。何かあっては困る。」
「神子?な、そ、そやつは神子なのか?!おい、水流!何故そのような大事なことを言わぬのだ!」

朱鷺の言葉に、動揺の声をあげたのは桜楽であった。
そういえば、確かに桜楽には燕の身分を知らせていなかった、と、水流は思い出す。
彼が神子であるということはあまり多くの人に知らせない方がいいというのは燕と相互の認識であったし、知らせずとも問題はないと思っていたが、こうなるのであれば、確かに教えておいた方が良かっただろうと水流は今更ながら少し反省をする。
今回、彼はかすり傷及び気絶程度で済んでいるが、正直、これだけでも他方にバレればこの地の立場はかなり危うい。

「朱鷺。ありがとう。いろんな意味で。」
「問題ない。……立場を忘れて無茶をした神子には後で説教をするとして、まずはあの妖だ。貴様、名をなんと言う。」
「……朔良。」

ぽそりと呟いた、朔良と名乗った妖は、屈託ない笑みを浮かべたまま、その血で濡れた刃をこちらへ向ける。
その刀は、村人たちのものだけではない。多くの人々の血を、吸ったのだろう。
不気味に、赤く、その刃は変色していた。

「知ってる?桜の木の下には死体が埋まってる、っていう伝説。あれは御伽噺でしかないけれど、色鮮やかな桜を咲かせるには、やっぱり、それ相応の養分ってものが必要になるんだよね。やっぱり、一番手っ取り早い養分は、ニンゲンなんじゃないかなって、僕は思うんだ。」

その笑顔には、曇り一つない。
無邪気で可愛らしい子どもの笑み。故に、不気味なのだ。

「…お主は、南南東にある集落、そこにあった、桜の木か?」
「へぇ。僕のこと、知ってるんだ?そうだよ。僕は、あそこにいた。そして、いつも奉られて、拝まれて、とても、幸せだったよ。あの時は。」

でもね。
そう、言葉を続ける朔良の表情は変わらない。変わらないはずなのに、何処か、哀しそうにも見えた。

「みんな、僕を忘れちゃった。みんな、みんな、僕を忘れて、何処かに行った。ねぇ、僕、悪いコトした?毎年桜を咲かせたよ。毎年豊かな土を、実りの大地を与えたよ。その証拠に、作物には何一つ困らなかったはずなのに。でも、みんな、いなくなっちゃった。僕、いつもいつも頑張ってたのに。気付いたら、僕は。」

枯れちゃったの。
言葉と同時に、目の前には、真っ赤な刃が付き出される。
刃が瞳に刺さる、その瞬間に朱鷺は素早くその身をかわした。
ひらりと空中を舞う朔良の、幼い身体に蹴りを入れる。確かな手ごたえと、幼い身体が宙へ舞うという、罪悪感。
しかし、罪悪感故に、手加減をする訳にはいかないのだ。
罪悪感に負けて、攻撃を少しでも躊躇えば、こちらが殺される。

(こんな、こんな役割、水流にはさせられない。)

宙を舞う朔良に迎撃を浴びせるべく、朱鷺は再び、その翼を羽ばたかせる。
朔良がこちらに気付き、刃を振るえば、先程燕を襲った桜の花弁たちが姿を現した。
元は桜の精霊。
刃による攻撃よりも、花弁による力が、彼の本来の特技なのだろう。
けれど、その花弁は、朱鷺の炎で再び燃やされる。

「お前の攻撃は、俺には無意味だ。」

更に朔良を狙い、その身体を蹴る。
次はその刃で蹴りを受け止めたのか、手ごたえは殆ど感じられない。
けれど、彼の動きを少しでも鈍らせることが出来れば、朱鷺にとってはそれで十分だった。
彼の身体を囲うように、炎の渦が渦巻く。
先程は燕が居たから、炎については比較的加減をしていた。けれど、次はその必要もない。

「これで終わりだ。」

朱鷺の言葉と共に、炎が放たれる。
これで、これで確実に、この妖を骨ごと焼き尽くす。
はずだった。

「!」

朱鷺の目の前には、再び、刃。
けれどその刃は、朔良が持っていた赤いものとは違う。
白い刃。
白く、白く、不気味なほどに白く綺麗なその刃は、朱鷺が放った炎の渦を迷うことなく切り裂いて、そして、その刃を振り下ろし、肩から胸部にかけて深く切り裂かれた。
視界には、真っ赤な水が、飛沫のように吹き上がる。

「嗚呼、赤い。赤い、そして、温かい。」

涼やかな、透き通った少年の声。
朱鷺の身体は力を失い、ぐらりと身体が傾き地面へと落下していく。

「朱鷺!」

落下する朱鷺を蛇養が受け止め、すぐに、その傷口を診る。

「まさか、朱鷺を、炎ごと斬るなんて…」

一つの影が、ゆっくりと地面に降り立つ。
カラン、コロン、と、厚底の下駄を軽やかに鳴らしながら、その影は、姿を現した。
今、目の前に現れたこの者の特徴を一言で言い表わせ。
そう問われるのであれば、誰もが、こう答えるだろう。
この者の特徴は、「白」だと。
一つに結ばれた、背中まで伸びた髪は雪景色を連想させるように白く、服も、そして肌も、全てが全て、真っ白で、彼を雪降る銀世界へと解き放てば、雪の中に混じり合って、融け合って、消えてしまいそうな、それほどまでに、この者は、彼は、真っ白な少年だった。
たった一つ、その瞳に浮かび上がる、血のように赤い瞳を除いて。

「ふふ、温かい。とっても温かい。君たちの内臓は、とっても、温かくて、気持ちいいのだろうね。」

そう言って、少年は、こちらに冷たいまなざしを向ける。
あどけない、十代半ばくらいの背格好をしたその少年は、その外見には似つかわしくない、冷淡な瞳をしていた。
その瞳は、まるで、そう、殺人鬼のような。

「朔良。危なかったね。」
「……白鼬。」

白鼬と呼ばれた少年は、朔良に対し、水流たちに向けたものとは裏腹な、穏やかな笑顔を浮かべていた。
それこそ、親しき人間に浮かべるような、淡い笑み。

「此処は、もう帰ろう。流石に、精霊一匹潰したっていっても、海波の長と、朱雀の村長が相手じゃ、ちょっと分が悪いよ。」

白鼬が朔良にそう告げる。が、朔良は頬を膨らませ、少し、不貞腐れたかのような表情を浮かべていた。
それもそうだろう。
朔良にしてみたら、朱鷺に危うくやられそうになったところだったのだから、少し、彼からも仕返しがしたいはずだ。
けれど、白鼬は更に、冷静に続ける。

「君の目的は、こんなところで終わるものじゃあないだろう。大丈夫。また、此処に来ればいい。美味しいものは、最期に取っておくのもいいじゃない。もうちょっと、遊ぼうよ。」

それはまるで、兄が弟を宥めるような、そんな優しい声色で。
けれど、決して、その物言いが、穏やかなものではないということだけは、水流にはよくわかった。
白鼬は、ちらりと、こちらへ顔を向ける。
彼が優しく笑みを浮かべたその時、ぞわりと、全身の鳥肌が立ち、身体中の毛穴が開くような、どっと、汗が浮かび上がるような、そんな、気持ちの悪さを感じた。
これは、殺気。
間違いなく、油断をすれば、首が、身体から引き離されかねない。そんな、殺気。

「おねえさんたち。また来るよ。また、ね。」

白鼬がそう言って、微笑むと、朔良の手を握って、ひらりとその姿を消していった。
彼が姿を消すと、パチパチパチという、朱鷺が放った炎の残り火と、村の者たちが呻き、泣き啜る声が、その場にだけは響いていて。

「…………助かったな。」

ぼそりと、そう呟いたのは、氷雨であった。

「朔良は、まだ良い。しかし、あの、白鼬とかいう子ども。…アイツがその気になっていたら、私たちは今頃全滅だぞ。」
「………そうね。正直、朱鷺の負傷だけで済んで、まだ、良かったと言える方よ。…蛇養。傷の方は、大丈夫そう?」
「うん。傷は深いけれど、僕ら精霊はやわじゃないからね。でも、実体化し過ぎてたのが逆に失敗だったかな。朱鷺。」
「…………煩い。それより。」
「わかっている。生き残っている村人の治療と、…駄目だった、村人たちの弔いを、しないとだね。」

それは、まるで、嵐のようであった。
この、一瞬で過ぎ去ってしまった嵐は、これから、水流や、そして、燕たちが目撃する悲劇の、序章にしか過ぎなかったのである。

 


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