アルフライラ


Side白



この国で、商売をする者はめっきり減った。
飢えることがなければ、食べる必要がない。食べる必要がなければ、食べるための金も、必要ない。
金貨の価値は徐々に下がり、働く価値や異議を見出すことが出来なくなった者たちは、労働を放棄した。
放棄したところで誰も困る者がいないのだから、誰もそれを責めることはない。
それに、労働を放棄する者もいれば、永い時間をただただ働かずいるのも勿体ない、趣味程度に服を作り、装飾品を作り、野菜を作り、売買する者も、ごく少数ではあるが、存在した。
食事は、生きる為の目的ではなく、読書や音楽のような、娯楽と同義になっていた。
この国が再び動き始める気配は、まだ、ない。


Part11 開かれる過去:アラジンとシャマイム U


「あら、良い布ね。もらえるかしら、いくらになる?」
「50ルピーです。」
「ありがとう。」

通貨と布を交換し、アラジンは、にこやかに去っていく客に笑みを浮かべながら手を振り、見送った。
こんな世の中にはなってしまったが、アラジンはまだ、商人の仕事を続けている。
此処で自分まで、仕事を辞めてしまったら、本当にただの堕落という名の底なし沼に落ちてしまうような気がしたから。平静を、保てなくなってしまうような気が、したから。
二、三年という、たった数年の月日、特に深く考えずに眺めていた空。事情を理解してしまえば、罪のない空にも、理不尽な怒りを抱いてしまう。
何も知らなかった頃は、ただ、時間間隔がわからなくなるのが不便だなと思っていた。しかし、時計があれば時刻はわかるし、真面目な性格のアラジンは、空で時間を確認出来なくても、困ることがなかった。今では、空も、当時は気にせず、暢気に数年の時を過ごしていた自分が、憎い。
延々と変わらぬ薄紫色の空。白い星と太陽。
もう、あの青空が、夕焼けが、夜空が見られないと思ってしまえば、いつまでも昇らない太陽や、いつまでも広がることのない青空が恋しく思うし、時間間隔も、日付感覚もわからなくなるような日々を送っていると、気が狂ってしまうような気さえ、した。
気付けば、アルフライラの時間が止まってから、もう、既に十年近くの時が流れていた。
長いような短いような。
気付けばこんなにも長い時が経っていたのだから、気付けば自分も、この国に生まれた堕落の沼に沈みかけているのだろうかと、絶望してしまいそうになる。

「はぁ。」

時計をみると、時計の針は、本来であれば陽が沈むであろう時刻を示していた。
周囲の商人仲間は一人一人、身支度を始めていく。
自分もそろそろかと、アラジンもまた、周囲にならって、絨毯の上に乗せられた商品を丁寧に片付ける。
かつては片付ける量も然程なかったのだけれど、今は寧ろ、片付けるものの量が多過ぎて溜息しか出て来ない。
物の価値が下がった今、商売はあがったりだ。しかし、今の国状であれば、利益が出なくても生活に困らないというのも、また、事実。
商売もまた、好きな人が好きなようにやる、娯楽なのだ。
きっと、仕事だと誇りをもってやっている人間もいるのだろうが、それは、アラジンのようにごく少数だろうし、アラジン程の熱意を持っている者も、中々いないだろう。

「おい、アラジン。これからみんなで飲みに行こうと思うんだが、お前も来るか?」
「否、俺は少し行きたいところがあるからな。また今度、誘ってくれ。」
「なんだ、つれないなぁ。」
「何を言っているんだ。どうせ、毎日飲んでいる癖に。」
「確かにな。」

からからと、商人仲間は笑う。
バンバンと強くアラジンの背中を叩いて、次は来いよ、と言いながら、彼等は荷物をまとめたその足で、飲み屋のある方向へ歩き出す。
彼等を見送ったアラジンは一人、反対方向に足を進める。
自分と同じような、真っ白の衣服に身を包んだ人々と、街の中をすれ違う。数時間前までは幼い子供たちが走り回っている光景が広がっていたが、今は、子供ではなく、大人たちが歩いている姿が目立つ。
此処からは、子供の時間ではなく、大人の時間ということなのだろう。
電球がぶら下がった、白い建物に目をやると、電球がぽつぽつと灯って明るくなる。店が開いた合図なのだろうか。きっと、もう少し時間が経てば、賑やかな大人たちの笑い声と、軽やかな音楽が建物から流れることだろう。
アラジンはそんな賑やかな街中も抜け、更に奥へと進んでいく。徐々に人気がなくなっていくと、そこは街外れ、アルフライラという小国、その端だった。
目の前には、高く連なる、壁。
触れてみると、固い、レンガ造りの石壁だ。しかし、触れたそれは暖かくも冷たくもない、不思議な温度を保っている。そして微かに感じられる、魔力の気配。
これは、アルフライラ初代統括者である、シエル=カンフリエが作った、結界の壁。
アルフライラという小国を守る為に、この国で生きる人々を守る為に作られた、自分達にとっては生命線でしかない、壁。
そしてこの壁の向こうは、大災害の影響で荒廃した世界が広がっている。
好き好んで、壁の向こうへ行こうという者はいない。それでも、アラジンはこの壁の向こうというものが、幼いころから気になって仕方なかった。
永遠に閉ざされた世界というものは、存在しない。長い時が経てば、荒れた土地でも、草木が芽吹く時が来る。いつか、いつか、長い時を待ち続ければ、自分がもっと年を取る頃には、何かが変わるような気がしていたし、いずれは、自分も国の為に力を尽くしたいと、そう思った時だってあった。
しかし、時間が進むことはない。
いつまで経っても、自分たちは、この閉ざされた鳥籠のような世界の中で、ただただ、囚われているしかないのだと思うと、その胸に抱く想いは、ただただ、絶望であった。

「この国は、何処に向かおうとしているんだ。」

アラジンの手は、握り拳を作り、ふるふると小さく震えていた。
この国は、人々が寄り添い、再び前へと歩み出すために生まれた国ではないのか。
それなのに歩むことを止めてしまって、どうしようというのか。
ただただ、惰性のように、永く永く生き続けていくことが、理想郷だと、そんなことが、言えるのだろうか。
怒りに任せて、アラジンはその握り拳を振り上げて、レンガの壁を殴る。ただただ手が痛むばかりで、壁はびくとも動かない。この都市国家をぐるりと囲うように建てられた壁が、一人の青年の拳程度で、変化を起こす訳がなかった。
その時。
アラジンは、微かに耳に届いた、小さな声に耳を傾けた。
あんぎゃ、あんぎゃと泣く、これは、小さな赤子の声。音を頼りに歩いていくと、黒服に身を包んだ女が、か細く泣き続ける赤子を抱いて、あやしていた。
アラジンに気付いた女は、ビクリと肩を震わせる。

「す、すみません、すぐ、泣き止ませますから…」
「否、無理をする必要はない。赤子は、泣くのが仕事のようなものだろう。」

焦る女にアラジンがそう窘めると、女は驚いたかのようにアラジンを見つめ、その瞳からは、ぼろぼろと大粒の涙が零れていた。
突然の女性の涙に、アラジンは当然、狼狽える。
ごめんなさい、と女は小さく言葉を漏らしながらも、泣き続ける赤子を抱きながら、静かに涙を流し続ける。

「もう、何年も、なんです。」

女は苦しそうに、声を絞り出す。

「何年も何年も、この子は赤子のままなんです。夫も、最初は赤子は泣くのが仕事だと、笑って、この子の泣き声を受け入れてくれました。でも、今ではそれが疎ましいのか、子供が泣くたびに、不機嫌になって…」
「だから、こんな人気のないところに来て、あやしていたのか?」
「それだけじゃぁ、ないんです。」

女はそう言って、視線を移す。
視線の先には、白い石造りの小さな家が建っていて、扉は開いていたままだ。

「あそこが、私の家。」

空いた扉の先には、木で出来たテーブルや、支度途中の食器たち。生活の気配が、漂っている。
だが、家の大きさからして、夫婦と子供で暮らすには、少し、狭いようにも見えて、アラジンが一人で住むにも、少し不便なように思えた。

「今は、この子の泣き声が疎ましいという夫の発案で、別々に暮らしています。」
「夫婦、なのにか?」
「形だけのようなものです。夫は、今では多くの若い女を連れ込んで、仕事もせず、酒を飲んで、楽しんでいますよ。この、理想郷を。」

女はこれ以上、何も語らない。
しかし、女の憂いに満ちた瞳は、この国が、こんな形にさえならなければ、親子三人で仲良く暮らしていくことが出来たのにという、そんな切実な訴えが見え隠れしているようにも見えた。

「でもね、私は酷い母親だから、この子さえいなければ、とも思ってしまうの。」

女は、哀しげに、笑う。

「死のうと思ったこともある。この子を殺して、私も死のう、って。でも、出来なかったの。死ねなかった。この国は、私が、生きているという時間の枠組みから外れることも許してくれない。」

時間が止まった。
その時点で、生ある者は、生きたまま、時間が止まっているということ。
時間が止まっている限り、死ぬという、『今の時間から外れる』ことは赦されない。

「ごめんなさい。こんな、厭なお話聞かせてしまって。…せっかくだから、ご飯でも、食べて行ってくださらない?それとも、待っている方がいるかしら?」
「否。哀しいことに、独り身でね。差し支えなければ、頂こう。」

涙を拭い、気丈に振る舞う女性を見て、アラジンは強く思った。
この国は、駄目だと。
理想郷なんて綺麗事を言っているが、その裏では、この人のように、時間が止まったが故に苦しんでいる人間がたくさんいる。もしも時間さえ進んでいれば、乗り越えることが出来たものも、乗り越えられずにもがき続けている人も、いるのだ。
この国が駄目なのであれば。
上に立つ者が、駄目なのであれば。
誰がこの国を変えるのか。
いつかいつかと、期待を込めて待っている時が、自分にはあった。
けれど、違うのだ。
待っているだけでは駄目なのだ。誰かが立ち上がるのを待っていても、結局は変わることはない。
立ち上がる人が現れるのを待つのではなく、自分が立ち上がらなければ、ならいないのだ。と。

 


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