空高編


第3章 神子と双子と襲撃



世界を壊す。その言葉を、無垢な笑みで宣言した神の目は、一点の曇りもない澄んだ瞳をしていた。
彼の決意は本物ということなのだろう。
その場に居合わせた誰もが、口を閉ざして目の前の画面を見つめていた。
病室の外から、どよめきが聞こえる。
きっと、何処もかしこも、この映像が原因で混乱しているのだろう。

「これ、って…どっきり、ですか…?」

ようやく、アエルがぎこちなく言葉を発した。
しかし、場の空気はさらに重くなるばかりで、軽くなる気配はない。

「きっと、本気なのだろうな、彼は。」

翼は、画面の向こう側にいる少年の顔をじっと眺める。
とても無垢で、あどけなくて、無邪気に言ってのけた彼は、けれどその瞳に、深い悲しみの色を宿していたのを、どうしても見逃すことは出来なかったのだ。


第56晶 院内会議


それはまるで嵐の前のような静けさだった。
あの放送があってから数日経ったが、全く、誰も、何の動きもない。
半年という猶予は、短いようで、彼等にとっては長いのかもしれない。
世界を壊すことも容易い彼等には、半年という猶予はほんとうに長いもので、のんびり昼寝をして人間が絶望したり慌てふためいたりするのを楽しんでから、嗚呼あれはデマだったのだとほっとした、その一瞬を突いて世界を破壊するのかもしれない。
そう思うと、神というものは恐ろしい。
そもそも彼が何故世界を壊そうと思ったのか。
そして他に神がいるのか。
そもそも彼が神と思って正しいのか。
わからないことがあまりにも多過ぎる。

「何より痛いのは、政府の事実上壊滅だな。」

死燐が呟く。
政府の人間は、その場にいたものは皆殺されていた。
世界を統治していた人間の殆どは、この世に居ない。
人々を導いて来た人間がいなくなった今、世界中が不安に満ち溢れていた。そして、縋っていた。神子であり、世界の象徴である、空高翼に。
今も空然地にある穹宮には多くの人々が集まり、翼を出せと迫っている。
その映像が病室内のテレビで毎日報道されていて、見知った黒服の男たちが、民衆をなんとか諌めていた。
翼も青烏も、今は二人とも柳靖地の連合院にいるというのを、彼等は知らない。

「今、翼たちが空然地に行くのはあまり得策ではないだろうな。皆、翼に大きな期待を抱いている。否、抱き過ぎている。都合の良いことを全部翼に押し付けかねない程に。今は翼を出さず、空高翼という奴等の中にある神子の偶像に縋らせておくのが無難だろう。」

無焚の言葉に異論のある者はいないようで、皆一様に頷いていた。
逆を言えば、翼が表舞台に顔を出さないことで不満を爆発させ、暴動を引き起こしかねない可能性もゼロではない。
しかし、世間知らずで政治のいろはを全く知らない翼や青烏が表舞台に出たところで、都合の良いように人々に振り回されるのがオチだ。
それに、もしもあの少年が神だというのであれば、戦う必要が出て来るという恐れもある。
そうすれば、翼の力は不可欠だ。
大使者、そして神の子クラスでも勝てるかどうか怪しい。なぜなら、自分たちは他ならぬその神々の分身なのだから。

「戦う必要はあるだろうね。もしも世界を壊すのが目的だっていうのであれば、僕らも例外じゃない。寧ろ人間を消したがっているみたいだったし。…流石に死ぬのは御免だからね、抵抗はさせていただきたいよ。」
「だからといって、俺たちは何も知らない。もしかしたらアイツは自分達以上の力を持つただの使者かもしれないし、本当に神かもしれない。それを知る手段が…」

あるにはあるが、と死燐は言葉を濁らせる。
恐らく彼の言う知る手段というのは、実験班組織にいる狐火弓良の存在なのだろう。
何年も長生きしているという彼であれば、神が生まれる頃の話も知っているかもしれない。
まずは、と無焚が言葉を進める。

「傷を治すのが先だろうな。で、実験班組織に集まって、狐火弓良に話を聞いてみよう。それが…無難っちゃ無難だが、今出来る最低限の選択だ。後は、特殊部隊のあの四人も連れ戻して、…燭嵐。お前も来い。」
「え?!」

突然呼ばれた燭嵐は、驚いたように目を丸める。
翼たちに持ってきた院内食を、思わず零しそうになっていた。

「ちょ、な、何で僕まで…?!」
「当然だろう。お前だって大使者だろ?大使者クラスはみんな、聞いておいた方がいいことだ。もう中立は言い訳に出来ないぞ。神相手に中立も糞もねぇだろ。」
「まぁ、それはそうですけど…」
「燭嵐だけでは不安だというのであれば、私も一緒に行きましょう。」

言葉を濁す燭嵐の肩に、瑠淫は優しく手を置く。
瑠淫を見る燭嵐の目は、何処か安心したような、ほっとしたような顔をしている。そして、それとは反対に、羅繻の表情が曇っているのに気付いている者は少なかった。

「まぁ、瑠淫の部下でもあるからね、燭嵐は。上司である瑠淫にも居てもらうのはいいんじゃないかな?」

羅繻はそうぶっきらぼうに語る。
瑠淫は困ったように笑ったが、どうやらこれ以上は異論もないようだ。
特殊部隊への連絡はアエルが行ってくれることになる。一度裏切られた手前、連絡を取ることには抵抗があるが、と彼は少し困ったように笑った。

「アエル殿は、特殊部隊の方々を恨んではいないのですか?」

そもそもアエルは、翼を殺害するという任務の過程で、翼に抵抗され、負傷した。
故に彼は切り捨てられるような形で特殊部隊に見限られ、胸を貫かれ、重傷を負ったのだ。
しかしアエルは、ゆっくり首を横に振る。
その表情に、嘘偽りはなく、穏やかな笑みを浮かべていた。

「羅繻や死燐は知っているかもしれないですが、我々は捕えられれば自害します。我々は政府の駒。政府の有益になることは許されても、害になることは許されない。害になる前に、自ら命を絶つんです。もしも鴈寿様が私の胸を貫いてくれなければ、あの時病院でしたように、自ら命を絶っていました。…それと、ね。自分から死ぬって、とても怖いんですよ。自分で、死ぬ位の傷を負わせないとなんですから。だから、臆病に無様に震える前に止めを刺して、汚れ役になってくれようとした彼に感謝することさえあれ、恨むことは、ありません。」

そう言って彼は、満足そうに、誇らしそうに、笑っていた。
特殊部隊の裏事情や、そこに潜む闇というものはよくわからない。けれど、彼等には彼等なりの絆があって、繋がりがあるのだろう。
彼が、あの部隊に、新しい形で舞い戻るのは近い未来のことなのかもしれない。
とにかく、とアエルは言葉を続ける。

「彼等との連絡は任せてください。まずは大使者を全員集合させましょう。」

任せてください、と彼は笑った。
そしてその二週間後、翼たちは実験班組織の書庫を訪ねたのだった。

 


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