ねた | ナノ





◎鮫→イタ (11/20)


彼がいなくなってぽっかりと隣が空いてしまった。
ほんの少し、空気が変わったような、温度が低くなったような、そんな気がする。
もともと一人になることに慣れていた鬼鮫にとってそれは心を揺さぶられるような出来事でもなかった。
鬼鮫にとって、あぁ今回は長かったな、とそれだけのことなのだ。
彼がいなくなった今、これからは彼を気遣ったり、甘味所に寄ったり、命令に従ったりする必要はもうない。
だから強いて言うならば鬼鮫にすれば嬉しい出来事でもある。
肩の荷が降りたとでも言うべきだろうか。
(あっ)
それは心臓の辺りだろうか。ちくちく。きりきり。胸を紐でぐるぐる巻きにして引っ張られているような息苦しさを感じた。
(なんでしょう)
意味がわからず頭にはてなを浮かべる。
なんだか懐かしい痛み。どこか昔こんな痛みを味わったことがある。
ぎゅうぎゅう。締め付けられる。
(そういえば)
混乱する頭で必死に考える。
脳裏に浮かんだのは初めて見た彼のはかなげな笑顔だった。
あの時は彼も笑えるのかと妙に感心してしまったものだ。
月光に照らされる彼は壊れてしまいそうに脆く美しい。
(綺麗に、笑う人だった)
ぴちゃりと手の平が濡れた。濡れたのは、手の平だけではなかった。

「あぁ、そうか…」

とうに枯れていたと思っていた。
頬を伝うそれは酷く懐かしく温かかった。
そんなものは捨てたつもりだったのに。

思い出した感情、私は寂しいのだ。


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