▼ Carina!
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小ネタの設定
出会いは割愛
黒い髪が印象的なジャッポネのお嬢さん、なんて思っただけだったのがいつだったかは忘れた。
だが少なくともその時はこの不思議な女と二人きりでいることになるとは思いもしなかったはずだ。
初めて出会った時に賛辞の言葉をどれだけ浴びせても、ひとつもピンと来ない顔をしたのは後にも先にもこの女しかいないだろうと思う。
パーチェには笑われたし、バンビーナですら驚いていた。ルカは呆れたような顔をしていたが、まァこれはいつもの事だ。
思い出すのも苦々しい初対面に比べて、彼女自身は穏やかな気質の奥手な淑女だった。
レガーロ島に限らずイタリアの女達は誰も彼も賛辞を期待しているし、もちろん男達も美しいと思ったらそれを隠しもせずに口にする。
しかしそれを彼女は恥ずかしいというから、ジャッポネ特有の奥ゆかしさってやつなんだろう。
「お砂糖、いれる?」
くるりと振り返ってそうたどたどしく言葉を発するナマエにいらないとだけ簡単に伝えると、こくりと頷いてまたカップへと向き直ってしまう。
ジャッポネ出身の彼女はあまり言葉が上手く出てこない。単純にイタリア語が分からないというのもあるが、話慣れていないんだとマンマは言っていた。
もともと性格も大人しい上に言葉の通じない国で生きることは、ジャッポネの女性にはなかなか難しいと憂いた顔でいうマンマは美しかった。
「じゃあ、俺たちがおしゃべりしてあげよーよ!」
だが、パーチェのこの言葉はいただけない。
マンマは喜んでいたし、話し相手になって慣れれば上達も早いというのも理にかなっている。
ことり、と俺の前にカップを置いたナマエはそのまま小さな椅子に腰掛けやっと口を開いた。
「…毎日くるの?だれかが?」
「まァそういうことだなァ」
「…かならず?」
「…忘れなければ」
質疑応答を重ねるにつれ、ナマエの顔色がどんどん悪くなる。
当たり前だ。ただでさえ苦手だろうに、毎日ほぼ初対面の誰かしらが訪ねてきて会話をしろと迫るのが目に見えている。
特にパーチェ。
口を真横に結んで心なしかふるふるとしているナマエを憐れに思うも、それ以上に何かをしてやる気はしなかった。
特別容姿が好きなタイプの女でもないし、可愛いとは思うがそれだけだ。バンビーナのように手をひいて自分好みの女にしてやりたいかと思えば答えは否。
気の毒だがアイツらが諦めるまでは堪えるしかない。
興味のない女にこのことを教えてやったのだから十分だろう。
「そんな顔すんなって。せっかくの美人が台無しだゼ?」
いつものように女への口説き文句を口にしても、首を傾げて困った顔をするナマエにやっちまったと思う。
言葉に疎いナマエは、とりわけこういう口説き文句には更に鈍かった。
甘い台詞を吐いてもちっとも響かねぇもんだから、こっちも面白くはない。内心舌打ちをしつつ、しくじった自分を誤魔化すようにカップを口へ運ぶ。
中身は紅茶だが、ふわりとブランデーの香りがする。
少し濃いめに出された紅茶の苦味がちょうど良い。
偏食の気があるのは自覚しているが、珍しくこれは悪くないと思った。
「どうして、か聞きたい」
「あ?」
「えっと、」
唐突に話し始めた上、とっさに口から出たのであろうフレーズに自分で慌てるナマエに対して、思わずぞんざいな態度をとってしまった。
だがそれを気にしていないのか、続きの言葉を必死に探すナマエに背もたれに寄りかかっていた姿勢を少し正してみる。
「まァそう慌てんなって。ゆっくりでいいから、話してみろヨ」
頬ずえをつく俺の言葉の意味がわかっているのかはわからないが、少なくとも俺が聞く体制であることは伝わったらしい。
じっと黒真珠のような双眸で俺を見つめ、ひと口紅茶を口にしてから二人きりでなければ聞こえないような声で話し始めた。
「あなたは、私に話すのが、にがて?だと、考えてる」
まァ、自分の軟派な態度はあまりナマエには通じないし、そもそも最初から言う通り自分の言っていることが通じていないのだ。苦手というか、単純に面倒。
そう思っても、口には出さない。
「でも、来てくれた」
「あなたは、私に伝えに」
「どうして?」
たどたどしく、けれどもハッキリと問いを投げるナマエは変わらず俺をじっと見つめている。
面倒だと思った。
ナマエと話すのも、パーチェの提案も。
バンビーナも珍しく気乗りしていないようだったし、ルカはそれを見て何故かほっとした様子だった。
パーチェがそれに気づいているかは知らねェが、全部わかってるのはマンマだけなんだろう。
俺だって口説きがいのない女を相手にしようとは思わねェし、正直勘弁して欲しいと思った。
それでも。
ため息をつく俺を見て、ナマエはきょとんとした顔をする。
まぁ、俺もレガーロ男なわけで。
「女が困るようなこと、見過ごせるわけがねェだロ?」
要するに、困らせる前にせめて伝えてやろうと思っただけだ。
そう言うと、ナマエは俺の言葉を自分の中で噛み砕いて理解したらしい。
ぱちぱちと目を瞬かせ、そしてかすかに口角を上げて笑った。
「やさしい」
女に優しくするのは当たり前だゼ?
そう言いたかった。
初めて見たこの女の笑顔が思ったよりも衝撃的で、言葉にはならなかったけれども。
言葉を発しない俺を気にしてもいないのか、ナマエはさっきよりもしっかりと言葉を紡ぐ。
「少し前、言ったこと。意味、なに?」
少し前、とはどれだ?
意味を捉え損ねている俺を見越したのか、ナマエがぽつりと思い出すかのように言葉をなぞる。
「"顔、しない"?」
知っている単語とフレーズだけ覚えていたのであろうそれは、間違いなく自分が滑った口説き文句。
ここで蒸し返してくるとは、思ったよりも意地が悪いらしい。
しかし、当の本人はともすれば期待すら篭っているような眼差しでこちらを見つめている。
若干の居心地の悪さを感じつつも、さすがに密室で二人きりでは話のそらしようがなかった。
「あー、あれはだなァ」
出来るだけ単純で、わかりやすく。
しかし意味は違えないように気をつけて、言葉を選ぶ。
こんなに頭を使うのはいつぶりかってほど慎重に言葉を選んでいる俺に、ナマエは気付くだろうか?
いや、気付くワケねぇか。
「俺が言いたかったのは、『オマエは可愛いんだから、笑ってた方がいい』ってコト」
言いたかったことを噛み砕いてすり潰して言葉にしてみれば、あまりにも幼稚な言葉。
教会のガキ共じゃあるまいし、こんな直接的に好意を示すことなどこっ恥ずかしくてできやしねェ。
シニョリーナ達にこんなナンパの仕方をしたら、相手も思わず笑っちまうだろう。
果たして俺の渾身の解説がナマエをどう笑わせるかと思って彼女を見れば。
黒真珠がぴくりともせずにこちらを凝視している。
見つめてるなんてもんじゃないナマエの顔は、顔どころか耳まで赤い。
半開きの口からは声にならない言葉が漏れて、はくはくと水中で空気を求めるような動きを繰り返す。
ナマエは照れていた。
それも全力で。
「ぁ…«えっと…えっ!?»」
あうあうと顔を火照らせたまま言葉にならない声を漏らすナマエの視線はうろうろと定まらない。
ジャッポネの言葉で何かを言っているのかと思ったが、明らかに言葉として成立してないそれはただただ困惑している証拠だ。
もしや、もしかして。
いや、わかってはいた。
彼女が俺の口説きに反応しないのは、言っている意味が分かっていないからだ。
だが、意味を細かに教えればこんな反応をするだなんて誰がわかる?
じわじわと口が綻ぶのがわかる。
きっとナマエから見たら、悪魔のような笑みなんだろうというのは自分でも理解出来た。
彼女がそれに気付く前に手で口元を覆い隠し、未だ狼狽えるナマエをただただ観察する。
右へ左へとうろつく視線。
所在なさげに落ち着かない白い手。
顔は真っ赤なまま、黒い髪が余計にそれを際立たせている。
面倒だって?
とんでもねェ!
ナマエが分からないであろう口説き文句はいくらでもある。
そのひとつひとつを丁寧に教えてやったら、こいつはどうなる?
思いつく可能性への期待が高まって、もう数分前までの気持ちなんて嘘のようだ。
「あの…」
やっとのことで言葉を絞り出したかのようなナマエにまず贈るべき言葉はどれだろうか。
「いまの、」
思いつく言葉は色々あるが、やはり簡単なものから順にというのがセオリーだ。
「でびと…?」
おそるおそる俺を呼ぶオマエに、まずはこの言葉を教えよう。
「Carina!」
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褒め言葉シリーズ的な
Carina!カリーナ(可愛いね!)
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