「ん…」

ギシリとベッドが軋む音で意識が覚醒した。

寝起きのぼんやりとした頭で、今日一日のスケジュールを振り返る。確か今日は俺の記憶違いじゃなければ久しぶりの休日だったはずだ。溜まっていた仕事は昨日の内に全て片付けたし、残りの細々とした雑用や事務処理も全部波江に押し付けた。今日一日仕事の予定はない。

たまの休日くらいゆっくり寝ていようと、時計を見るどころか目を開けることもせず、ゆるやかに訪れた心地好い眠気に意識を委ねる。

「ちょっと、何また寝ようとしているのよ。起きなさいったら」
「……ん…んぅ……」

ゆさゆさと体が揺さ振られる感覚にようやく重たい瞼を開く。折角の眠りを妨げられるのは、正直面白くない。睨みつけてやろうと目を声の主に向けたところで、しかめっつらの波江が立っているのが見えた。

起こしてくれたのか。よりによって休日に。普段は起こしてくれと頼んでも「いい年した大人が何を言っているの」と一蹴されるのに。でも俺今日起こしてなんて言ったっけ?全く記憶にない。というか、絶対言っていない。なんなのこいつ。なんで俺を起こした。

「起きた?」
「……もう完全に目が覚めたよ、最悪だ」
「あらそれはよかった。そのまま起きなさい。あんたにお客よ」
「客?誰?俺今寝起きだから会いたくない。ていうか何、仕事?事前に連絡貰ってないんだけど」

ちらり、と時計を見てみる。時間は午前8時。こんな早くから仕事関係の奴が急に事務所を訪ねてくるとは思えないが、仕事上こういう常識がなっていない輩は確かにいる。

議員レベルになってくると、昼夜問わず電話だの訪問だの、やれ書類を作れだの、正直な話かなりうざったい。自分の生活リズムを崩してまでお前らの欲に構っていられるほど暇じゃないの。老いぼれは大人しくしていてくれよ、本当。勿論、四木の旦那辺りになるとそんなことも言っていられないんだけど。

ああ、でも違う。違った。人間らーぶ。俺は人間が好きだ、愛してる。自己中なところも、自信過剰なところも、他人のことなんてお構いなしな身勝手さも、全て愛している。

眠りを邪魔された苛立ちで折原臨也を忘れるところだった。危ない危ない。


「いや、人にもよる。誰だ?俺は今、実はちょっと機嫌が悪い。人によってはこのまま寝るよ?なに、非常識なのは向こうも一緒だからね。俺は何も悪くない」
「睡眠を妨げられたくらいで、よくもまあ。本当にあなた餓鬼ね」

なんか、ちょっとむかつく言い方だ。いい知らない。四木さんじゃなかったら出ない。まぁ、そもそも四木さんはこんな非常識なことはしないし、大方そこら辺の雑魚、ではなく俺の大好きなその中でも特に興味を抱けないその他大勢に分類される人間の内の誰かだろう。

そこまで考えると、波江と話すことすら無意味に思えてきた。

「やっぱ寝る」
「仕事じゃないわ。純粋に貴方に会いに来た客人よ。私が出向かえているから貴方は早く支度なさい」
「はぁ?誰」
「さあ?私は起こしにきただけだから」

一瞬、奈倉かもしれないと思ったけれど、あいつが自分から訪ねてくるなんてまずありえない。俺に客?沙樹ちゃんなら、客なんて言葉は使わないだろうし。取り巻きたちも以下同文。

だとしたら一体誰が。


そんな疑問の隅に隠れて、さっきから俺の頭には小さな違和感があった。その正体も分からぬまま、とりあえず布団から出てみる。

時刻は8時6分。こんな朝から俺に会いにくる奴……駄目だ。心当たりが無さ過ぎる。





「……懐かしいって、君のことだったのかい」

にこにこと年相応の、いやそれよりも幼く見える笑顔を顔に浮かべながら俺の正面に座るのは、来良学園の後輩だった三好吉宗くんだ。

池袋で起こったとある事件、いやとある出来事の際に色々と動いてくれた子で、よくいえば有能な探偵。言葉を変えれば都合の良い駒だった彼は、その出来事の直後に池袋の地を去っていった。よくある家庭の都合。その割には池袋どころか日本から去っていき、もう会う機会もないだろうと思っていたのに。

「本当にお久しぶりです。また日本に引っ越してくることになりまして、そのついでに池袋にきたんです」
「へえ、ちなみに何処に?」
「池袋じゃないですよ」
「教えてくれたっていいじゃない」
「今日はこんな朝早くからすみませんでした」

無視かよ。まあ、いい。彼が俺の物にならないのは惜しいが、敵に回ることさえなければそれでも構わない。敵に回すと色々厄介だからな。この子は。

そんなことを考えながら波江の出した熱い紅茶に口をつけると、笑顔を消した三好くんがじっと俺を見ていることに気が付いた。俺と目が合っているにも関わらず、俺の顔から視線を逸らそうとはしない。

「……なに?」
「いやあ、折原さんって顔が整っているなと思って」
「それは、褒め言葉として受け取るよ。ありがとう」
「でも好きになるってほどじゃないですよね」

え?なんで俺いきなり貶されたの?なんて、思わず口から出そうになった言葉を紅茶と一緒に飲み込む。なんか、三好くんのペースにのまれてるなぁ。俺らしくもない。

思案気な顔になって何やら一人考える素振りを見せるこの子は、一体何を考えているんだろう。

「折原さん」
「なんだい?」

にっこり笑顔を作って返答してやると、無邪気な笑顔を返される。そんな笑顔を向けられたことなど久しくなくて、一瞬戸惑ったけれどそれすらも笑顔の裏に隠した。考えの読めない相手には、同じようにこっちの考えも感情も読ませない。ちょっとした負けず嫌いみたいなものだけれど。

「ほら、今日は良い天気ですし、昼からでも池袋に出掛けてみてはどうですか?きっと楽しいものが見れますよ」
「池袋に?うーん、どうしようかな……特に行く理由もない、っていうか今日は家で静かに過ごしたい気分なんだよね」
「そんなこと言わずに」
「逆になんでそんなに行かせたがるのかな?」

あえて聞いてみれば、一瞬だけきょとんと目を丸くしてみせそれからふ、と笑ってみせた。紅茶を一口だけ口に含み、事務所の窓に目を向ける。

「久しぶりの池袋が、雨じゃなくてよかったです」


……また無視か。前に池袋に引っ越してきた時もそうだったけれど、この子普通に俺の質問無視するのどうにかならないかな。別に人ラブだから気にしないけど。傷ついてなんかいないけど!

ま、でも。暇だし。ちょっと行ってみてもいいかな……なーんて。




で、池袋。確かに面白いものが見れた。いやいや、人の言うことは素直に聞いておくべきだ。うん。一つ言うならば、"この対象"が俺じゃなくてシズちゃんだったらどんなに面白かったか、ということだ。うん。あ、でもあいつも罪歌に気に入られているし、似たようなものっちゃあ…そうなのかな。

それらを踏まえた上で一言。なんなんだ、これは。


「おい、お前らどういうつもりだ?」
「平和島さんを止めようとしているんです…!私は動きません!」
「ぅええ!?……う、ぼ、僕も、園原さんが一緒なら!!」

本当になんなんだよ、この状況。今俺の前には標識を持った筋肉馬鹿が一人(むしろ一匹)と、高校生が二人。もっと正確に言うとしたら、筋肉馬鹿と向かい合うようにして帝人くんと園原杏里が俺を庇うようにして立っている。

ちょっと待てちょっと待て。意味が分からない。意味不明。でも、こんなことくらいじゃ思考回路はショートしないし、一旦冷静になろう。うーん、どうしてこうなった?


三好くんの言葉通り池袋に遊びにきて、やっぱりシズちゃんに見つかって。いつもよりしつこく追い回された後、たまたま帝人くんたちとすれ違って、それで。

巻き込んでも俺の負担になるだけだしと、適当に一言二言会話を交わし再び走り出そうとした瞬間、園原杏里に腕を掴まれた。それはもう、すごい早さで。一瞬切られるんじゃないかとも思ったが、どうやらそのつもりはないらしく、どこにそんな力があるんだと聞きたくなるほどの強さでぐいと腕を引っ張られる。

そのままビルとビルの間を縫うようにめちゃくちゃでたらめに腕を引かれたまま走り出された。事態をのみこむ余裕もないまま園原杏里に引っ張られ池袋の街を駆け巡る。後ろから必死になってついて来る帝人くんの荒い呼吸を聞きながら何が起きたのかと頭の中を整理しようとして。

「見ーつけたぁ」と。先回りしていたシズちゃんにあっさりと見つかった。そしてご覧の有様。

「お前、こいつら唆したのか」
「知らないよ。ていうか、本当になんで?三好くんといい君達高校生の間ではシズちゃんから俺を助けることでも流行ってんの?助けてくれるなら、いっそこいつ殺してくれないかな」
「俺に立ち向かってくる奴は男ならぶん殴る」
「わーお、じゃあ帝人くんこれでお別れだね。俺なんかを守ろうとしたばかり……ねぇ、大丈夫?」
「は、はい……だいじょ、げほっ……はぁ、は…大丈、夫で…す……!」
「いや無理すんな。ゆっくり息吸え。で、吐け」
「はひ……すみませ…」


えっと。帝人くんは百歩譲って理解出来たとして(見た感じ園原杏里に便乗してだろう)どうして園原杏里までもが俺を庇う?俺と同様にシズちゃんも頭にクエスチョンマークを浮かべ、疑いのまなざしを俺に向けてきているけれど、俺だって何がなんだか分からないんだからどうしようもない。

「…その手に持っているものを降ろしてください!」

あの晩俺に対して敵意を剥き出しにしていた園原杏里が震える声でシズちゃんにそう叫ぶ。イッツミラクル。帝人くんの大好きな非日常だ。良かったね。だからお引き取り願いたいよ、全く。

「だ、大丈夫ですよ。臨也さん、僕たちがどうにかしますから……うぐ、ごほっ!」
「お前のが大丈夫か?」
「ていうか君の場合、園原杏里の便乗だよね」
「う…!そんなことないですよ!僕だって臨也さんを助けようと……!………園原さんも、なんで突然助けようとなんて……」

おい本音が出てるぞ。

こうなったら仕方ない。最終手段だ。だって俺とシズちゃんの喧嘩に部外者が加わる、っていうのはさ。やっぱり、なんだろうね。嫌だ。

「おーい、シズちゃん。ちょっとどうにかしてくれないかなあ?」
「知らねえよ」
「じゃあこの状態で俺に自販機投げられる?無理だよね?助けてよ」
「……今日は殺すの我慢する諦める」
「シズちゃんの童貞インポ」
「ぶっ殺す」
「それでいいんだよ。こういうあからさまな好意は、生憎苦手でねえ」

これは本当だ。例え報われなくとも人間を愛するのは好きだ。それは勿論、個人を対象にしたものじゃないけれど。でも逆に誰かから強く思われるのは好きじゃない。それが嫌悪や憎悪、羨望ならば、俺だって手を広げて受け入れるのだけれども。

「お前はどうしたいんだよ」
「ん?そうだなぁ。とりあえず、この場から逃げたいかな」

出来れば君の前からも。

俺の言葉をどう受け取ったのか、よしと頷いたシズちゃんは標識をまるで空き缶を放り投げるかのようにポーンと地面に捨て、帝人くんにじりじりと詰め寄った。本来標識ってそんなに軽々しくどうかできるものじゃないんだけどなぁ。……今更か。

「おい、竜ヶ崎」
「竜ヶ峰です!」
「そうだっけ。まぁいい。とりあえずその子どうにかしてくれ」
「……そ、園原さん。静雄さんももう怒ってないみたいだし、良いんじゃないかなあ。ね?」
「嫌です」
「う……なんか今日の園原さん変だよ…?どうしちゃったの?やっぱりさっきのジュース美味しくなかった…?だから?」
「そういうわけじゃ……」

帝人君と園原杏里のやり取りを何処か他人事のようにぼんやり眺める。この隙に新宿に帰ろうかなとも思ったけれど、杏里ちゃんまだ俺の腕握ってるし、やっぱりシズちゃんか帝人くんにどうにかしてもらわないと。正直な話。この子に体を触られていると罪歌に斬られるんじゃないか、ってヒヤヒヤするんだよね。とはいっても、俺が刀の呪いなんかに負けるなんてことは万が一にもありえないから、杞憂というやつなんだけどさ。

「もう殺す気も失せたしどうもしねえよ。大丈夫だ、多分。つうかな、臨也の方から俺に助けを求めてるんだ。そっちに拒否権とかないと思うんだけど。……竜ヶ水、俺間違ってるかな?」
「間違ってないんですけど、間違ってます!」

軽く天然が入っているシズちゃんと、ツッコミきれていない帝人君を見て、何を思ったのかおずおずと手が離された。本当に、なんだったんだろう。何度か掴まれた腕を振る。うん、大丈夫。特に異常はない。

俺の手を離した園原杏里に帝人くんは泣きそうな喜んでいるような妙な笑顔を浮かべてみせた。この笑顔には見覚えがある。多分あれだ。「早くこの場から逃げたい」。

「園原さん、帰ろう?ね?」
「………」
「すみませんでした!い、臨也さんも気をつけてー。じゃあ行こう園原さん!ほら!走ろ!太陽が僕らを待っているー………ていうか園原さん走るの早っ!ま、待って!早い!!ごめん!やっぱ歩っ待ってえ!!」

ぱちぱち


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