ぴちゃり、と淫靡な音が鼓膜に響く。
その音に身体を震わせれば、目の前の男がにやりと笑みを深めたのが見えた。全くもって性質が悪い。

今俺は世界で唯一にして、殺したい程嫌いな奴の腕の中に居る。腰に回された手から逃げようと初めこそ抵抗していたが、この力の前では何の意味もない。噛み付こうが叩こうが何もなかったかのように、いや寧ろ抱きしめる腕の力を強められるという結果に、俺は抵抗することを諦めていた。意味のない行動を繰り返す程、俺は馬鹿じゃない。

それにしても、だ。
胡座をかくシズちゃんの、右の太股の上を跨がる様にして無理矢理座らされる今の状況は、正直いって屈辱以外の何物でもなかった。

どうしてこんな事になったのか、と言われればそういう雰囲気になったからとしか答えようがないのだが、敢えて理由をつけるならば俺は発情したシズちゃんに襲われた。悲しいことに現在進行形で。







放課後、新羅の提案でシズちゃんの家に遊びに行くことになり、俺の同行に嫌々ながらも許可を出したシズちゃん宅に足を踏み入れる。

綺麗に整頓された小洒落た部屋を見渡し、各々素直な感想を述べた。新羅は以前に何回か来た様で家具の配置が変わったとかなんとか言っていたし、ドタチンなんかは左官屋の息子らしく、独特の雰囲気を持つ壁に珍しく年相応の表情を浮かべていた。
俺も俺でたまにはこんな日常も良いかな、なんて思ったり思わなかったりだ。だって、ほら。青春みたいじゃないか。たまのたまに、何年かに1度位はこういう日も悪くない。




「じゃあ、もう僕帰るね」

「もうこんな時間か。俺も帰らせて貰うよ」

日もすっかり落ちた頃、新羅とドタチンは2人揃って帰っていった。新羅はわざわざ買ってきた飲み物をテーブルの上に置き、一言「飲んでね」とだけ告げていった。シズちゃんは喉が渇いていたのか素直にそれをがぶがぶと飲み干し、俺も一口二口とそれを口にする。

「…お前は帰らねーの?」

不意にそんな事を聞かれ、ジュースを飲む手を止める。何その、俺と二人じゃ気まずいみたいな物言いは。なんか分からないけれど、すっごく腹が立つ。そんな子供じみた事は口が裂けても言わないけれど。

「帰らないって言ったら?」

「俺さ、やりたい事あんだけど」

「…そんな嘘が俺に通じると思ったわけ?帰ろうと思ったけど、露骨に嫌がるなら俺にも考えがある。…いいよ、俺ちょっと寝るから適当な時間に起こして」

「はぁ?家に帰って寝れよ!」

「シズちゃんへの嫌がらせだから、家で眠っちゃ意味がないの。やりたいことあるんだろ?どうぞ御勝手に」

「じゃ、おやすみ」と会話を強制的に終了させて、シズちゃんの布団に潜り込む。ふわん、とほのかに香るシャンプーの匂いが鼻をくすぐり、何故だか凄く落ち着いた。思わずその香りを追う様に枕に深々と顔を埋めて目を閉じる。

諦めたような溜め息の後、足元が沈む感覚がした。それがシズちゃんがベッドに座っているせいだと直ぐに分かる。爪先に触れる温かい体温が何故か腹立だしくて、逃げるように身体を捩った。

「乗らないで貰えます?」

「…うるせぇよ。」

俺の存在が心底迷惑だ、という視線を横目に我が物顔でベッドに身体が沈む感覚を楽しむ。もぞもぞと頭まですっぽり布団の中に潜り込んだ時、腰の辺りに不自然な固さを持つ場所を見付けた。

怪訝に思いその場所を手で弄る。マットレスとシーツの間に存在する固い何かを掴むと、現れたのは若くそれでいて大人の女性の香りがプンプンする女達が表紙の雑誌。その女達の胸元が漏れ無くはだけている事からそれがそういう類いの雑誌だということが分かった。

「なっ、お前!……ちっ」

顔を真っ赤にして俯く部屋の主をからかうネタが無いかと、パラパラとアダルト雑誌をめくる。まぁ、シズちゃんにとっては俺にエロ本を見付けられただけでも十分過ぎる程にショックだったと思うけれど。

「…ふーん、こんな趣味なんだ」

「笑いたきゃ笑えよ。殺してやるから」

「いや…、案外普通だし…笑って欲しいなら笑うけど」

「馬鹿にしてんのか」

痴漢やら幼女やら、そういう特殊な性癖の持ち主ならばからかおうと思ったのだが、本の中はまるで普通だった。お尻を突き出したり胸をさらけ出したりしている女ばかりのそれは、間違いなく思春期の男子高校生が見るような普通のエロ本だ。
新羅みたいにあそこまでぶっ飛んだ性癖を持たれても反応に困るけれど、それにしても平凡過ぎるのもなぁ、と期待外れの溜め息を一つ。

興味を無くし雑誌を閉じると、不意に太ももに刺激を感じた。視線を向ければ、つんつんとシズちゃんが指で俺の太股を突いている。太股とか首とか、俺にとっては急所にも成り兼ねない部位だ。今でさえ、擽ったいという感覚の中にも僅かな快楽が揺らぎ、もぞりとシズちゃんの指から逃げる。

「……お前も、やっぱり…その、一人で…」

口ごもる目の前の男の顔が更にみるみる赤くなる。何を言いたいかなんてことは、なんとなくだが分かった。この流れからいうにあれだ、自慰をするかどうか、それが知りたいんだろう。
新羅やドタチンと目の前に居る奴が、性について話しているのは見たことがない。勿論、俺がその輪に加わっても変わりはしない。恥ずかしいとか、そんな理由ではなく単に話題にならないだけでそれに対して俺も何も思うことなどなかった。

化け物でも性行為には人並みの興味があるんだな、と頭の端で考え質問に返答しようと口を開く。別に、無下に扱う理由もないし。

「一人でなんてしないよ?俺は」

「…だよな。女とか手前は沢山居るからな…」

「んー、俺は一人でもしないし、女ともしない。そういう欲ってのが無いんだよね」

素直に言葉を返すと、どこか尊敬の眼差しが俺に刺さる。中学時代はどうか分からないが、高校は俺がシズちゃんに寄って来る女共を完全に遮断しているので彼女が出来たことなど無いはずだ。

彼女じゃない女と平気でヤれるほど軟派な男でもないだろうし、恐らくこいつは童貞だろう。俺はというと、済ませることは中学時に済ませているし、その面では目の前で未だに顔を赤くしている男には勝っている、圧勝だ。

だから、そんな余裕からこんな言葉を言ってしまったのかもしれない。

「…教えてあげようか?君が知らないようなこと、色々と」

「は…」

「あは、冗談だよ」

直ぐさま否定した、ただの冗談。逆に本気に取る奴なんていないだろうと思っていた、いや確信していたのだが忘れていた。完全に忘れていた。目の前の男に常識なんて通用しない、それにこいつは殴られた俺が苦痛で疼くまっているのを悦楽の表情で見下す様な奴だ。心の奥底では加虐心がドロドロ煮詰まっているような、そんな男に俺は言ってはいけないことを言ってしまった気がする。いや、というか間違いなく言った。

「………今、言ったよな?教えてやるって。男に二言は、ないよな?」

ぽつりぽつりと呟かれる魔神の声。瞬時に身の危険を感じ直ぐさまベッドから飛び起きるも、足首を掴まれ強制的にベッドに身体を沈められる。逃げようと掴まれていない方の足でシズちゃんの顔面を蹴りつけようとすれば、身体を反らされ足は虚しく宙を切った。
最終手段だ、と制服の内ポケットに忍ばせていた折り畳み式ナイフを手に取ると、鋭い痛みが右手に走り気付けばナイフはシズちゃんの手により叩き落とされていた。

内心、かなり焦りながらも抵抗の余地が無くなり、せめて相手の神経を逆なでしないように慎重に言葉を選び問い掛ける。

「…何これ」

「教えてくれる、ってお前が言ったんじゃねぇかよ」

「いや、そうだけどさ…」

「いいじゃねぇか。俺は手前の嫌がる顔が見える、それに折角臨也くんが教えてくれるっつうんなら、俺だって素直になるさ」

自分が何を言ってるのか分かっているのか、と問いたくなるほどの目茶苦茶な言い分に頭がクラクラする。普通、冗談だって通じるよな。というか普段のシズちゃんならば、絶対にこんなことはしない筈だ。だって殺したい程嫌いな相手に自分から触れようとするなんて、絶対に有り得ない。

ふと、テーブルの上が視界に入った。そこには新羅が持ってきた缶ジュースが2つ。まじまじとそのジュースのパッケージを見ると、謎が解けた気がした。見た目が炭酸飲料のパッケージと酷似していて完全に見落としていたそれを見て溜め息を吐く。

「これ、酒じゃん…」

ビールなどとは違う、酒が飲めない人にでも飲めるように加工されたそれは酔っ払うには些か無理のあるアルコール量だ。しかも、俺が飲んでも何も感じなかった程度しかアルコールは入っていない。
普通に考えれば酔っ払うなんて事は有り得ないのだが、間違いなくこいつは酔っている。しかも世間一般でいう悪酔いに分類される極めて悪質な酔い方だった。

「よそ見すんなっての」

「な…、うわっ」

突然身体を起こされ、シズちゃんの胸元に顔が埋められた。布団からしたのと同じシャンプーの匂いが鼻を掠め思わずふんふん、と鼻を押し付ける。直ぐさま自分のしている事に気付き羞恥から顔を離したのだが、それすらも許さないとばかりに後頭部を掴まれぐりぐりと頭を押さえ込まれてしまった。

「…シズちゃんさ今自分のしていること理解出来てる…?」

「……ぼんやりと」

酔いが回ってきたのか舌足らずな物言いで俺の質問に答える目の前の男の両手が、俺の背中へと回される。そのまま頭を俺の耳元に寄せるものだから、俺も俺で今何が起きているのかぼんやりとしか認知出来なくなってしまった。
抱き着いて来られただけでも、十分過ぎるほど驚いているのに、その上顔まで近付けられたとなると驚くという境地を越え、恥ずかしさのあまり顔を逸らしてしまう。

そんな俺の態度に苛立ったのか、シズちゃんの眉間に皺が刻まれた。

「おい臨也、顔逸らさないでこっちみろ」

「…向く、向くからちょっと待って…。ていうかシズちゃん落ち着こ?ね?」

「……遅い」

そう言われるや否や、首に感じるぬるりとした感触。下から上へと舐め上げられる感覚に、驚きやら羞恥やらでごちゃ混ぜだった頭が完全に白くなった。それと同時になんでこんな事になったのか、と泣きたくなったのだが懸命に堪えた自分に拍手を送りたい。しつこいくらいに首を這う舌に、ぴくぴくと身体が反応しやばいやばい、と頭の中で警鐘が鳴る。しかし、対称的に身体は与えられる刺激と腕による拘束により思うように動けない。

「なんだ、手前そんなにぐったりしやがって」

「…呆れてるんだよ。それに君の両親も、もう直ぐ帰ってくるんじゃないのかい?いいの?バレちゃっても」

「……あぁ、」

半ば脅しの意も篭めたのだが、俺を離すことなく淡々と聞きたくなかった事実だけを述べ始める。

「お袋も親父も今日はまだ帰ってこねぇよ。それに帰ってきたとしてもお前の事は離さねぇ。こんなお前見られるのなんて今日が最後かもしれないからな」

そう言い終わると軽く首に歯を立てられ、ちりという小さな痛みと共に僅かな快楽を感じる。マゾヒストなのか、という自問に答える間もなく、熱を持った手がシャツを捲り上げ腹を撫で始めた。抵抗しようと身をよじるも、遠慮なく手は身体を弄る。

「…何すんの、っ…」

「…臨也」

「え、……んぅ…!」

今まで逸らしていた目をシズちゃんに向けると意地の悪い笑みが目に映った。今までにないくらいの危機感を覚えたのも束の間、お互いの唇が重なる。優しく触れるだけの口付け。目を瞑れば目の前の男の姿を認識することなくやり過ごせるかと思い、きつく目を閉じるもシャンプーの匂いに現実に返される。

気付いた時には完全に主導権は相手のモノとなっていた。何度も繰り返し行われる触れるだけのキスに、身体の力が段々抜けていく。

「ん……」

「…ふ、は…ぅ」

ぬるり、と舌が入り込んでくる感覚。それがあまりに気持ち良くて、甘ったるい声が漏れる。なるべく口内という狭い範囲内でシズちゃんの舌に捕まらないように逃げているのだが、それを逆手に取られ口内全体に舌を這わせられた。舌を吸われたかと思えば貪るように絡み付く、そんな荒々しい動きにどうしようもなく頭がくらくらした。

離された互いの唇に唾液が伝う。飲みきれなかった唾液が口端からたらり、と垂れるのも気にせず、はふはふと呼吸を整えることに専念していた。

まるで恋人を慈しむかの様に、シズちゃんの手が俺の頭を撫でる。ここまできたらもう自棄になって、シズちゃんの胸元に縋り付くように頭を擦りつけると、もう片方の空いた手で背中を一定のリズムでぽんぽんと叩かれた。痛みを感じない辺り、彼なりに加減をしているのだろう。こんな時ばかり、ずるい。

「…どうだ?」
「はは……っ…。下手くそ過ぎて話にならないね」

見え透いた虚勢を張るもそれが面白くないとばかりに、シズちゃんの口が耳元へ寄る。嫌な予感がして、最大限逃げようと努力するもそれを彼が許す筈もなく、再び後頭部を掴まれてなす術のない状態となった。嘘でも「気持ち良かった」と言えば彼はあのまま解放したか、といえばそれは確実に違う。きっとそんな俺の反応に気を良くして今と同じ様な事をしていただろう。

耳たぶが甘噛みされたと思いきや、舌が抜き出しされじゅぷじゅぷという水音が耳に伝わり背筋が震える。腰に甘い疼きが走り、こんな行為にでさえ快感を覚える自分の身体を憎むと同時に、自分の中で嫌悪感よりも快楽の方が上回ったのが分かった。
このままじゃ理性なんて簡単に千切れてしまうと唇を噛み締めながら堪える。

「ぅ…んんっ」

もう何がなんだか分からない。なんなんだろう、これは。何が悲しくて俺はシズちゃんにこんな事されなきゃならないんだろう。

涙が目尻に溜まる。それを堪えきれたら良かったのだが、ポロポロと涙はとめどなく溢れて挙げ句の果てには嗚咽さえ始まるものだから俺にはどうしようもなくなった。緊張や悔しさや、自分でもよく分からない感情が次から次へと沸き上がり、涙となって落ちていく。

そんな俺に、シズちゃんは驚いたようなそれでいて満足そうに笑った。

「俺の勝ちだな」

その笑顔は悪戯が成功した子供の様に何処までも純粋で、だからこそこんな子供みたいな奴に敗北することが腹立たしかった。認めたくない、と顔を逸らしたのだが頬を濡らす涙のせいで負けを認めざるをえない。

「……別に、おれ勝負なんて、してないし」

「してただろ?お前は俺から逃げられるか、それとも捕まったまま襲われるか」

「そんなルール、今聞いたんだけど、」

「だって今作ったしよ。ま、泣き出されたらルールも何もないからな。ほら、涙拭け。いくらお前でも俺が悪者みたいで気分悪い」

零れる涙を袖で拭われ、乱れていた服を整わされる。まだ酔いが醒めないのか、顔をほんのり赤く染めたシズちゃんがにかっ、と笑みを見せ、上機嫌で俺の頭を撫でた。

「……帰っても、いい?」

「ん、もういいぜ」

あっさりと拘束を解かれ、こんなのに手こずっていた自分に内心溜め息を漏らしながらも一刻も早くこの部屋から逃げようと部屋の隅のナイフを手に取る。一度くらい刺してやろうかとも考えたが、それ以上に逃避願望が俺を支配して真っ直ぐと部屋の入口まで足を進めた。


「あ、臨也」

何かを思い出した様に呼ばれた名前に、今まで与えられていた快感を思い出し肩がびくりと震えた。多分、いや絶対今日の事は人生で最初で最後の汚点だ。今すぐにでも記憶から抹消してしまいたい。しかし、身体はというと今日の事を忘れたくないというように熱を持っている。それが酷く悔しくて再び泣き出しそうになった。そんな俺の耳にとどめと言わんばかりにこれ以上ない屈辱的な言葉が注がれる。

「また来いよ。…今度は一人で」
「っ死ね!ばか!」

それだけを告げて部屋から逃げるように玄関へと向かう。途中で幽くんとすれ違った気もしたが、正直気にしていられる状態じゃなかった。

(殺す殺す殺す殺してやる!)

いつもは彼の台詞である呪いの言葉を心の中で反芻しながら、日が完全に沈んだ道をひたすらに走った。息が切れてもひたすら、ひたすら。
願わくば、今日のことを全て忘れられるようにと。





………………

キリリクで
“シズイザでシズ→イザ”
でした!

シズ→イザ、になってるかな…?という疑問は流して下さいませ。私にはこれが限界なのです…!!

少しでも楽しんで頂ければ幸いです。ではでは、キリリクありがとうございました!


余談ですが静雄目線で後日談を書くかも知れません(´`)あくまでも予定ですが…。

ぱちぱち


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