「じゃあ、幽君これお願いね」

1月28日。律儀に16時になると同時に待ち合わせ場所に来た幽君に昨日購入したジッポを渡す。怪訝そうに中身は何だ、と尋ねられ素直に教えてやる。別に隠す事も無いだろうと安易な気持ちだったのだが、それを聞いた幽君の眼光が急に鋭くなった。瞳から溢れる感情は、読み間違えていなければ驚きと少しの嫉妬。

その反応から察知するに喫煙の事実を知らなかったのだろうか。家族でさえ知りえなかった情報を知ってる事に僅かな優越感を覚えた。勿論、表情はいつも通りの笑顔のままだけれど。

「臨也さん、学校は?」
「あぁ、うん。サボったってとこかな?シズちゃん今日は真っ直ぐ家に帰れると思うからサプライズとかやるなら早めにね?」
「はぁ」

俺が学校へ登校すれば、どうせあの単細胞馬鹿は俺の存在にばかり気を取られるだろう。俺が何もしなくても理由をつけて襲い掛かってくるような奴だ。放課後なんて池袋を使った鬼ごっこに発展することは間違いない。昨日のシズちゃんから逃げるのに、新羅と二人でどれだけ苦労したか。運動神経が自分より劣る新羅を上手く誘導し、尚且つ新羅にまで怒りの対象を向けるシズちゃんから逃げる、その苦労は計り知れない。

別に普段ならば、疲れは出るがそれで良いのだ。だが今日は違う。シズちゃんの誕生日を壊すくらいなら身を引いてやる。女々しいような男らしいようなよく分からない自分の思考に自虐的に笑みが零れた。

「…臨也さんって兄の事、好きなんですか?」

自分の世界に入っていた最中、いきなり幽君の声が思考を遮るように耳に届く。耳に刺さる、といった表現の方が適切かもしれないとさえ思う程、その声色は鋭く悪戯をした子供を咎めるようなもので、僅かに身震いをした。恐怖で、ではない。好きな人の弟から向けられる敵意に、悦楽を覚えたからだ。普通なら家族との不仲を歎くのだろうが、生憎そんな普通の感性など持ち合わせていない。

それに、なんとなく気付いていた。この子が向ける敵意は俺でも、兄が嫌う奴にでもない。兄の事を好きな奴への純粋な憎悪。よくも悪くも兄弟愛がそこにはあるのだろう。だからと言えども、この事に関しては身を引く気など更々ないのだが。

「なんでそんな事聞くのかな?」
「じゃあ兄に付け入る気ですか?」
「えーと、幽君何言ってるの?」
「兄は純粋な人ですから、傷付けたくないんです」
「それは俺がシズちゃんを傷付ける、って言いたいのかな?いや、言いたいんだろうね」
「その通りです」

本当、これがもし普通の女の子相手だったらどうするつもりだったのだろうか。罵倒、暴言に慣れている俺でもこれは結構厳しい。別に言葉自体に重みがある訳ではなくて、純粋に、ただ純粋に胸の内を綴った言葉ゆえに辛いものがある。

「流石はシズちゃんの弟だね。君に頼んだのは間違いだったかな」
「金輪際、兄に近付かないと約束してくれたらこれを兄に渡します」
「俺に何のメリットもないから却下。君もさ、可愛い顔して結構えげつない事言うよね。残念ながら君のその微細な表情の変化に気付く事は俺には出来ないんだけどさ。君の兄貴は気付いてくれるのかい?」
「…バラしますよ?」
「どうぞご勝手に?」

たっぷりと嫌味を込めた台詞を言いながら、頼る相手を完全に間違えた、と後悔し背を向ける。どうせ、返せと言ったところで返すような子じゃない。それならば惨めに縋り付くのではなく、腹を括るしかないと思った。

「あははっ、じゃあね、幽君。頼りにしてるよ?」

それだけを言い残し、去る。もう少し賢い子なら良かったのにななんて後悔しても遅いのだけれど。





「……やっぱ、本気なのかな」

渡されたジッポを見る。
きちんと小綺麗に包装されたそれに、悪意は微塵も感じない。

あの人は、本当に兄を愛しているのだろうか。
今までの子達は俺が何かを言う前に兄の暴力に恐怖を抱き、兄への思いを消してきた。そんな子が兄を幸せに出来る訳がない。そんな子に兄を任せられる訳がない。
「君と兄は合わないよ」と諭すように言えば、素直に首を縦に振る子ばかりだった。でもあの人は違う。あの人だけは、兄を正面から受け止めてくれる。

あの人は知っているのだろうか。別に俺はあの人が…、臨也さんが嫌いな訳ではない。全ては試す為だけに言った虚構の言の葉。少し本音も混ざってはいたが、我ながら上手く演技を出来ていたとは思う。

「少しくらいは、手助けしますけど」

それにしても、喫煙の事実は本当に知らなかったから素直に驚いた。彼が知っていて、何より近いはずの俺は知らない事実に嫉妬にも近い何かを覚えたのは事実だ。俺の知らない何かを臨也さんは知っている。

沸き上がる嫉妬と、兄の驚く顔を想像して緩む頬に力を入れ、久々に表情を押し殺す為に無表情を繕った。

「兄貴、喜ぶかな」





そして時は経ち1月29日。幽君がシズちゃんにプレゼントを渡したとしたら、なんて考えていたら教室に行く足がすくみ逃げるように屋上へと向かう。いつから俺はこんなに臆病になったのか、と考えこんなに感情を揺り動かせられるのはシズちゃんにだけだと再認識する。

校内と屋上の境界線である重い無機質の扉を開くと、吹き抜ける冷たい風に身体が震えた。どうしようか、このままじゃ新羅の言った通りにシズちゃんから逃げている事になる。
でもそれでもいいかと思った。少なくとも、今日だけは。明日から普通に、何事も無かったように日常を過ごせばいい。少しくらいの猶予を貰ってもいいだろう。

「……情けないな」

不意に携帯の着信音が鳴り、ふとディスプレイを見ると新羅からの着信だった。今は確か授業中だろうと不審に思いながらも通話ボタンを押し、携帯を耳に当てる。

『臨也、やっぱり学校来なかったんだね』
「……一応、学校の敷地内には居るんだけどね。多分、もう直ぐ帰る」
『………臨也』
「何、説教なら聞きたくないよ」
『……残念だったな。俺はてめえに聞きたい事が山ほどあんだよ…』

聞き慣れた低い声。後ろでは新羅が「臨也ごめん!」と騒いでいる。頭の中が真っ白になった。こんな形でシズちゃんと接触する羽目になるとは思わなかっただけに、心の準備がまだ出来ていない。
何も言えずにいるとシズちゃんの足音が聞こえだす。トントンと廊下を歩く音とは違い、ダンダンと地面を蹴るような足音は気のせいか屋上の扉の向こうから聞こえる気さえしてきた。

『………風の音…、お前の居る場所が分かった。今直ぐに行く覚悟し』

ぶつりと切られた携帯電話を握りしめ、俺は呆然としていた。いや、それしか出来なかった。





ぱちぱち


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