「津軽ー!」

いつもの様に津軽に会いに、マスターである臨也君の指示を無視し津軽が担当しているテリトリーへと足を踏み入れる。
自分のテリトリーとは違いどこまでも広がる青い空間の中、直ぐに津軽の姿は見つかった。

早く会いたいという気持ちを抱きながら走ると、いつもの笑みを浮かべた津軽ではなくどこか不機嫌そうな津軽が居た。

そんな津軽の視線は、空高くから俺等を見下ろす臨也君に注がれて、当の臨也君はその視線に対し楽しそうに笑っている。

(どうしたのかな?喧嘩…だよね)

いつも笑って俺の我が儘を聞いてくれる津軽からは想像出来ない表情に、ほんの少しだけ恐怖を抱く。
眉間にしわを寄せ、青い瞳を鋭く尖らせる姿は臨也君が嫌いな静雄にそっくりだ。

今目の前に居るのが静雄か津軽か分からなくなってしまう錯覚に陥るくらい、その姿は似ていたものだから、凄く怒ってるんだなぁ、と直感的に察した。

「津軽…?」
「あ…」

恐る恐る声をかけてみると、我に返った様に俺を見、あたふたと慌てる津軽の姿。
俺が近付けばさっきまでの表情を消し、いつもと変わらない笑顔を浮かべて「おいで」と言ってくれる。

その姿に安堵の息を漏らし、手を広げる津軽の胸へと飛び込めば、ぎゅうと抱きしめ頭を撫でてくれた。
そんな津軽にありったけの愛を、抱き返す腕の力に乗せて伝える。

「津軽、臨也君と喧嘩したのー?」
「ううん、喧嘩してないよ。ちょっと苛々してただけだから、サイケは心配しなくても大丈夫」

津軽が苛々するなんて珍しいな、なんて悠長な事を思いながら温もりを堪能していると頭上から臨也君の笑い声が聞こえた。

その笑い声が聞こえたと同時に、俺を抱きしめる津軽の腕に力が入る。
どうしたの?と心配の言葉をかける前に、
それはきた。


空間に響く激しい爆音。
普段、俺や津軽が奏でる音色なんかより遥かに狂暴で、遥かに大きい。

静かに津軽から離れて、ヘッドフォン越しに聞こえるその音の発信源へと首を向けると、青い空間に白を纏う静雄が居た。

正確に言うと、静雄に似た正規ソフトではない何かが、何食わぬ顔でこの空間内に存在していた。

「ドウも、初めましテ。ん…?あー、あー、上手く声出ねぇなぁ…」

俺と似たヘッドフォンをし、白スーツを身に纏う何かは頭上から未だに俺達を覗く臨也君を一瞥し、俺達に向き直る。

「臨也がお前達にウイルス免疫を付けさせる為に生まれた、弱毒性ウイルスソフト、デリックだ。…よろしく?」

そう言って握手を求める様に津軽へと差し出される手を、津軽は無表情で振り払う。
振り払う際に触れた津軽の手から、バグを起こしたのか小さな粒子が発生している。ちりちりと空間に溶け込むそれを見て、弱毒性なんて言葉は嘘だ、と瞬時に理解した。

「津軽!大丈夫?痛くない?」
「ありがとう、サイケ」
「仲睦まじいな。羨ましい限りだよ、そういう関係が居るって事は人間じゃなくても良い事だ」

にやにやとまるで馬鹿にするかの様に笑うデリックに、普段感じる事のない『けんお』を抱く。

臨也君も何故こんな奴をこっちに送ったんだろう。
下手したら空間ごと破壊しかねないのに。

「ウイルスなんて大丈夫だもん。俺らだって臨也君に管理されてるんだし。臨也君が何考えてるか分からないけど、俺達には近付かないで!」
「はぁ?ぎゃあぎゃあ、喚くなよ」

その一言、たった一言で全てが否定される。
デリックの手に持つプレイヤーから発っせられている音が、更に激しい物に変わった。

耳をつんざく音に意味なんてない。歌とすら呼べない大音量の音の集合体の中でもデリックの声は、淡々と響く。
その声には、津軽程の穏やかさも静雄程の人間らしさも一切ないのだけれど。

「意味が分からない。分かりたくもねぇけどな。俺がここに居る時点でお前達に拒否権はない、って一から十まで言わなきゃ駄目か?」

赤い舌をべ、と覗かせ、津軽とそっくりな顔を歪ませる。デリックの口は、尚も動き続けた。

「てか今日は何もしねぇよ。生まれたばかりで負荷かけ過ぎたら、こっちの方が消えちまうんでね」
「今日どころかもう来なくていいよ!馬鹿、阿呆!えっと…、う…、ホスト!!チャラ男!!」

知識が薄い頭で精一杯相手を傷つかせる悪口を考えてみたがそう思い浮かばず、よく分からない言葉の羅列が出来上がる。

津軽はさっきから沈黙を決め込んでいるし、臨也君は相変わらず俺らを見て笑ってるし、デリックに対抗出来るのは俺だけなのに、デリックの顔からは余裕の笑みが消えない。

このまま話しても時間の無駄だ、と津軽の腕を引っ張ってデリックとは反対側へ足を進める。逃げることになってしまうが、一刻も早くこんな奴から離れたいという気持ちの方が勝っていた。

「…もういい!津軽行こう!……うわっ」

突然ぽふん、と再び津軽の胸に身体が沈む。津軽に後頭部を押さえ込まれたと気付き、抵抗せず大人しく身体を任せる。津軽の顔は見えないがその雰囲気からして穏やかなモノではないのだろう。

「津軽…苦しい…」
「うん、…ごめん」
「我慢?」
「少しだけ、我慢」

そっと津軽がヘッドフォンに触れた瞬間、デリックの激しい音ではなく津軽の歌声が聞こえた。
優しくて、穏やかな。

そんな心地好い音を毎日の様に聞いてるからこそ、些細な異変に気付いた。

(あれ…?)

多分、津軽自身も気付いていないその異変に意味を付ける間もなく、段々と意識は暗転する。

(……津軽、…)

声にならない思いは掻き消され、そして世界は闇の中へと。





「…い………」
「何?」
「お前はいらない」

強い意思を持った津軽の目がデリックを射止める。
どんな罵詈雑言よりも力のある津軽の言葉には普段の穏やかさは微塵も感じられない。

「…その声なら演歌以外も歌えるんじゃないのか?」
「話を、逸らさなくても良い」
「怖いねぇ。年上の貫禄ってやつ?」

にんまり笑うデリックに臨也の面影を垣間見て津軽は小さく舌打ちをした。吐き気がする程の不快感。こんな奴にサイケを近付かせたくない。

臨也が思いつく様々な悪戯には、ほとほと嫌気が差す。俺達の容姿が自分と自分の嫌いな静雄に似ているからか、俺達が仲良くしているのが気に食わないらしい。

鳴り止まない音の中でも掻き消されない様に、普段より何倍も大きくて力強い声が津軽の口から発せられる。

「臨也さんが何考えてるのか、俺には大体分かる。そして、俺の力ではお前の事は消せないのも分かる。でも…」

最早青で満ちた空間に、穏やかな空気なんてモノは存在しない。
緊張感で満たされた空間に平然と立ち尽くすデリックと津軽の姿は、模範となった男の性質が強く影響されているのだろう。

お互いに視線を微塵も逸らさず、相手の真意だけを探る。
その結果相手に何かを感じとったのか、デリックは降参だと言わんばかりの笑みを浮かべて肩を竦めた。

津軽の言おうとしている事が分かるかのように、沈黙で津軽に先を促す。
そしてデリックの予想通りの言葉が、

「俺はサイケ以外、…何もいらない」

瞬間。
微小の粒子のみを残してその場から消える津軽とサイケにデリックの渇いた嘲笑が、空間に響いた。

「…なんだあれ、見てて恥ずかしいな」
「サイケも、容姿は俺だからちょっと恥ずかしいんだよね」

頭上から聞こえる臨也の声に反応することなく、デリックはその場で胡座をかく。そして、津軽の言葉を思い出し嘲笑とも純粋な笑みともとれる笑顔で、臨也が見ている宙を仰ぐ。

「どう?仲良く出来そう?」
「多分、無理だ。俺と性格正反対だしな」
「ま、だからこそ君をあの二人に近付けたんだけど。あの二人の仲、壊せそうにないでしょ?」
「あの調子なら、先にジジイに俺が壊されるわ」
「それもそれで面白そうだけどね」

上機嫌の臨也に溜め息を吐きつつ、呆れた視線を投げかける。
不意に、デリックが右手を上げた。何をするのか、と画面を凝視する臨也の目に次々とエラー表示が飛び込む。

「…あの甘ちゃん2人も確かに嫌だが、一番嫌なのはお前だよ。って事で、俺は俺で勝手にさせて貰うから」

ピー、ピーと狂った様にパソコンから電子音が鳴り出す。止まらないそれに、動揺することなく臨也はデリックの言葉を待った。

「まぁ、…なんていうか…嫉妬は醜いですよ。マスター?

微かに聞こえたデリックの声は、冷たい電子音と臨也の笑い声によって掻き消された。







「なんで変なとこだけシズちゃんに似るのかなぁ」

エラー表示で埋め尽くされたパソコンのディスプレイの電源を消し、椅子に深く腰かける。

(見苦しいあの二人のどちらかを消して欲しかっただけなのに、存外上手くいかないものだな…)

お陰で、目障りなのがもう一つ増えた気分だ。人が行き交う夜の新宿を見て、溜め息を漏らす。
人間のように、分かりやすければどんなに楽か。機械もあの化け物も、自分の予想を超越した存在は邪魔でしかならない。

サイケを消そうにも、津軽が阻止してくるし、そのまた逆も然りだ。

「参ったな…、本当。」

本日何度目かの溜め息を吐いたと同時に、玄関付近から怒声と激しい打撃音が聞こえ、デスクにある護身用のナイフを手にとる。
招かざる客の迫りくる足音に、大儀そうに立ち上がり玄関へと足を進めた。


「消してやりたいよ、全く」








ぱちり、とサイケの目が開く。起きた事に気付いた津軽が、心配そうに顔を覗きこみ上半身をゆっくりと起こさせてくれた。
辺りに、デリックの姿は見当たらずほっと安堵の息を一つ漏らす。

「津軽、もう大丈夫?」
「ごめんね、大丈夫」
「もう、不安じゃない?」
「………」

ヘッドフォンから聞こえた津軽の歌声。それは僅かだけれど、不安で震えていた。
何も答えないところを見ると、やっぱりその通りなんだろう。

「ねぇ、津軽?」
「…ん?」
「次あいつが来たら、俺が倒すから津軽は安心して」

笑顔を浮かべそう言うと、普段の穏やかな笑みを見せる津軽。
そこには先刻の緊張感などなくて、日常が空間に戻ってきたかのように穏やかな空気が辺り一面を支配する。

不安は消えないと思う。
でも、少しでも相手の不安が軽減されたら、今はそれだけでいい。

そんなサイケの気持ちに応える様に、笑顔で一言呟いた。そしてサイケも負けず劣らずの笑顔で応える。


「ありがとう」
「どういたしまして!」



全ての事象の動機は愛憎である

ぱちぱち


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