「いただきまーす」
「…………」
「…………」

起床から1時間程経ち、ようやく平和島家に静かな朝が訪れる。

といっても先の件を叱ったことで拗ねる臨也と静雄、その間でニコニコ笑う新羅とで構成された静けさに、落ち着ける安らいだ空間なんてものはありはしない。

4人が囲む静かな食卓。不機嫌な臨也と静雄が隣同士で食事をするという最悪極まりない状況を横目に、2人に向い合うようにして新羅と俺は黙々と朝食を食べる。
例によって「静雄の隣?嫌だよ!醤油取らないだけでキレられたくないし、臨也の隣はもっと嫌だ!」と意気揚々と語る新羅を考慮してこの位置関係になったんだが。もしかしたら考慮すべき人間を間違えたか、と今更ながら後悔する。

何にしろ険悪な空気が漂う食卓であれ誰も食事の手を止めないところを見るからに、朝食には何の不備もないのだろう。無事に食事を作り終えたことを確認し、とりあえず朝の日課はこれにて終了。

「静雄、毎朝思うんだけどそんなの食べて胸やけとかしないものなの?」

唐突に新羅が喋りだし、話題の中心になっている静雄へと視線を向ける。当の静雄は顔を上げる事もなく、目玉焼きの白身を箸の先で切り分けていた。一口サイズに切り分け、口へ運ぶ。もぐもぐ動く口は新羅からの質問に返答をする事もなく、再び目玉焼きを口へと運び咀嚼する。

機嫌の悪い静雄に小さく肩を竦めながら、新羅も黙って朝食を再開した。

朝食と共に珈琲を飲む新羅と臨也とは別に、静雄の前には可愛らしいピンク色をしたイチゴ牛乳が置かれている。
静雄の好みであるし何も言う気はないが、体格の良い男子高校生が好んで朝から飲むことに疑問を感じない訳ではない。

静雄自身はそのことに何の躊躇いも見せず、コップに注がれているそれを一気に飲み干す。甘過ぎる程の甘味が口の中で広がっているだろうに、静雄の前に置かれたパンにはその甘さを強めるかのように苺ジャムが沢山塗られている。

甘いパンを一口、甘い牛乳を一口。臨也に至っては毎朝のことながら、胸やけがすると言わんばかりに静雄から視線を逸らしている。

静雄の手が3杯目をコップに注ごうと差し掛かったところで「腹を壊すぞ」と忠告すれば、どうやらこれが決定打になったらしい。先程からの機嫌の悪さを更に悪化させ、唇を尖らせながら不服そうにぼそりとつぶやいた。

「俺悪くねぇのに」

静雄の頭の中では先ほど叱られた情景が流れているのだろう。確かに静雄一人が悪い訳ではないが、喧嘩したという時点でお互い様となってしまう。逆に臨也ばかり叱れば、今度は臨也がこんな状態になってしまうし、兄である静雄が犠牲になるのは仕方ないことだ。

クスクス笑う新羅が嫌に視界に入る。何が楽しいんだ、と目配せすれば、笑いながら朝食の続きを始めた。
呑気なことだ、と心の中で悪態を吐く。新羅は静雄や臨也の様な兄弟喧嘩は滅多にしないが、何処か人を馬鹿にするというか見下した態度を取ることがある。臨也に似ているその性格は、保護者の目線からしても兄からしてもあまり気を良くするモノではない。

しかしここで下手に喧嘩なんてしてしまえば、静雄や臨也を叱る時の説得力に欠けてしまう。色々な葛藤を飲み込み静かにぐっ、と我慢をする。

「そう思ってること自体が駄目なんだよ。ていうか君でしょ、最初に手を出したのは」

静雄の呟きに律儀にも悪意に満ちた返答をする臨也に、機嫌の悪さにより普段より低いトーンであった静雄の声色が尚更低くなる。

「手を出したも何も、最初に喧嘩売ってきたのはお前だろうが」
「何それ被害妄想?勘弁してよ。口を開けば直ぐこれだから嫌になるんだよね。」
「は?お前今なんつった?」
「あれ、聞こえなかった?それとも理解出来なかった?もしそうなら俺に聞き返すより新羅に一から全部俺の言ったこと教えて貰えば良いと思うよ」
「…てめぇはよ…、本当人を馬鹿にすんのが好きだよなぁ…?あ"?」

また一波乱起きそうな不穏な空気が食卓に漂い始める。静かに食事をする事も出来ないのか、と一喝したくもなったがそれが無駄な事なんてとっくに把握済みだ。

しかし放置しておけば酷い事になるのは目に見えているし、形だけでも喧嘩を静止しようかと声を掛けようとした瞬間、ドタドタという足音が廊下から響く。住民全員が揃っている食卓へと向かう不審な足音。誰も訝しむ様な反応を示すことなく、その足音を軽く聞き流している。静雄と臨也の喧嘩はこの足音により打ち切られたようで、静雄が忌ま忌ましげに横で平然としている臨也を睨んでいた。

「誰が来たのかなー?」

朝の来客者なんて一人しか居ないのに。分かっているくせに戯けた台詞を吐く新羅の姿も、この平和島家では毎朝恒例のものだ。あくまで物の例えだが、新羅の周りには花がふよふよ浮いている様な、それくらい穏やかな空気が流れている。

(全く…、白々しいというか何というか)

この家は正直なところ近所付き合いが悪い。別に俺自身が悪気を持っている訳ではないのだが、やはり子供を置いて出稼ぎに行っている両親や奇人変人で有名な弟達、そして学生時代に俗に言う不良だった自分が世間一般に易易と受け入れてもらえる訳がない。

そんな状況にある平和島家と関わりのある極少ない家庭なんてものは必然的に限られてくる。それに、嬉しそうに瞳を輝かせ上機嫌の新羅を見たら誰かなんて考えなくても分かってしまうというものだ。

『すまない新羅!寝坊して弁当を届けるのが遅くなった!!』

PDAを突き出したまま、居間へと突入してきた影が一つ。全身をライダースーツに包んでおり、本来首がある場所からは黒い影が漏れている。人間ならざる不思議な生き物。常人なら悲鳴をあげかねない者に、新羅は普通の人間を見る時と変わらない面持ちで椅子から立ち上がり、両手を広げながら歓喜に満ちた声を掛ける。

「セルティ!心配したんだよ!君が来ないことによって僕は…」
「不法侵入。常識とか弁えてるの?兄弟水入らずの食卓に割って入るなんて、うーん…なんていうか、不届き者?」

長くなりそうな新羅の愛の言葉を遮るように、パンを小さくかじり頬張りながらセルティに臨也は嫌みたらしく声を掛ける。
明らかな嫌悪感を滲ませているセルティの反応に気をよくしたのか、臨也は奥歯を噛み締めたまま一人笑う。口を開き高らかに笑わないのは、それが楽しさ故の笑いではなく人を小馬鹿にする為の笑いだからだ。

それに気付いたのか、普段は穏やかな新羅の目が急に鋭くなる。まずい、と思った時は既に遅く眉間に皺を寄せた新羅が臨也の頭を拳で殴った後だった。皿とフォークがぶつかる金属音と鈍い音が食卓で混ざり合い不思議な空間を作り出す。
新羅の手が二発目に差し掛かろうとしたところで、臨也はテーブル上にあったフォークを無言で新羅に向けた。切っ先が金属独特の鈍い光を発するのを見て、今まで無表情だった新羅の顔に常時と変わらない笑みが戻る。

「駄目だよ、臨也。セルティを虐めたら流石の僕でも怒っちゃうからね」
「あはは、怖いなぁ。次からは気をつける様にするよ」

フォークの切っ先は未だ、拳を下ろした新羅に向けられている。下ろされる事のないそれを二人の兄である静雄は軽く引いた表情で見ていた。しかし触らぬ神に祟りなし、と敢えて何も言わないで朝食を食べ続ける。静雄もキレなければ、常識人であるし世渡り上手な奴だ。だから悟ったのだろう。今の新羅には何も言ってはならない、と。それは3人の兄である俺も同じで何も口出しすることなく、色取り鮮やかに食器に盛られている新鮮な野菜にフォークを刺し、そのみずみずしさを楽しむ。噛む度にシャキシャキとした気持ちの良い音が聞こえ、味覚だけではなく聴覚でも楽しませてくれるそれを堪能した。そうだ、俺はこういう食事がしたいんだ。なんて叶わぬ思いを抱きながら食器に盛った野菜を食べ進めていく。ひたすら無心で、とりあえず無心で。

『うーん、私ちょっと来ちゃ駄目な雰囲気だったかな?どことなく臨也の奴も刺々しいし…』
「そんなの気にしなくてもいいよ!臨也の奴は京平に怒られて拗ねてるだけだしね。セルティの弁当の有り難みを分からない奴は馬に蹴られて死ねばいいんだよ」
『…あ。その…弁当なんだけど今日は、…急いでたから全体的に少し失敗しちゃってね…あまり上手くできなかった…』
「何を言ってるんだい!君が作ってくれたということに意味があるのさ!失敗?全然いいよ!俺の為を思って作ってくれたという事実だけで、本当は私はお腹いっぱいなんだからね」
『新羅…』

ことり、と何気なく食卓に置かれた新羅への弁当。
パンを口に啣えながら、二人の世界に入っている新羅とセルティを横目に、弁当を包む可愛らしいハンカチを臨也が開けると、そこには炭化した肉と異様に油まみれな野菜達が詰まっていた。びきり、と臨也が蓋を開けた後悔から来る硬直で固まっているのが気になったのか、静雄も目の前に並ぶ朝食を数秒見てから、セルティの弁当に目を向ける。

「何、これ。本当に何?」
「どうやったらこう…、いや何も見てないからな。俺は何も見なかった」
「…結果じゃなくて、そこに至るまでの過程が大切とはよく言ったものだよ。新羅は本当嫌いだけど、あいつの胃袋が心配になってきた」
「…なんか、愛ってすげぇな」

そんな不躾な態度の二人に、新羅との世界から覚めたセルティが何かをPDAに打ち込んだ。それを後ろから覆いかぶさるようにセルティに抱き着いていた新羅が、ふにゃりとだらしのない笑みを浮かべたまま覗き込むと、目を見開いて勢いよくセルティから離れる。珍しい反応の新羅に訝しんでいるとPDAがこちらにも向けられた。無機質な機械が表示する文字の羅列を、淡々と読み進める。

『私が家を出たのが8時頃だったんだが、お前らこんなにのんびりしていて大丈夫なのか?遅刻しないのか…?』

それを見た臨也は、首を微かに上げ壁に掛けられている時計を見る。
今時計の針が刻んでいる時刻が8時13分。学校の正門が開いているのが30分まで。ここから学校までは自転車で飛ばしても15分は掛かる。
小賢しい計算を脳内でする臨也と、本能的に直ぐさま答えを察知した静雄が席を立つのは同時だった。

「おい、新羅!お前何抜け駆けしてんだよ。遅刻するならてめぇも一緒だ!」
「あー、もう最悪!俺、生活指導の安田に目つけられてんのに!!」
「臨也、お前はサボるなよ。先生からいくらでも出欠なんて聞けるんだからな」
「…分かってるよ!最悪!本当に最悪!!」

とっくに居間から姿を消している新羅の後を追う弟達の姿に今日何度目か分からない溜息をする。

「お前もよく、新羅…っていうか俺らと関わっていられるよな。ろくな事にならんぞ?」

廊下から聞こえる凄まじい弟達の罵声を聞きながら少し考える素振りを見せたセルティは、ゆっくりとした動作で文字を打ち込む。

「まぁ、私自身ろくな存在じゃないし。それに新羅も静雄も、…臨也も、お前も私にとっては弟みたいなものだしな。そんな人達と一緒に居ても全く苦じゃないよ」

セルティの言う弟の範囲に自分が含まれていて正直なところ少し驚いた。当のセルティは俺の反応に、自分が何か変なことを言ったのではないかと明らかに狼狽している。そんなセルティに手の平を向け、大丈夫だという仕種をしつつ逆の手で口元を隠す。

単純に嬉しかった。
兄弟に好意を持ってくれているだけでも、有り難いことなのに実際にこうして積極的に関わりを持とうとしてくれる奴なんて、本当に稀なモノだ。家庭環境や周囲の安易な評価が、何処か平和島家の人間を他人と関わらせないバリケードみたいな物になっていた。他人に作られた俺らではどうする事も出来ないそれを、乗り越えてくれる存在を再確認し口元が緩んでしまう。

にやけてしまう口元を隠す様にして、立ち上がりセルティに背を向ける。

「俺、ちょっとあいつらの様子見てくるわ」
『そうか、なら私はもう帰るかな。朝から悪かったな』
「いや気にすんな。それと、少しそこで待っていてくれねぇか?」

俺の突然の物言いに、頭に疑問符を浮かべるセルティに笑みを零す。

「料理、教えてやるからよ」
『本当か!?あ、ありがとう!いつかこの恩は返すよ』
「別にんなのいらねぇよ。だから、これからもよろしくな」
「あぁ!勿論!」




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