じゅわじゅわと。
熱したフライパンに焼かれる卵が音をたてる。

朝食の準備はこの目玉焼きを焼けば全て終わり、日差しが差し込む食卓には色とりどりの野菜や、きつね色に焼き上がったトーストなどが綺麗に並べられている。
その様子に眠たい目を擦りながら、今日も無事に朝の役目を果たしたと一段落ついているのは、この家庭の長男である京平だ。

単身赴任の父親に着いていった母親代わりとして、洗濯、掃除など殆どの家事を一人でこなしている。アルバイトをしながら、高校生である3人の弟達の面倒を見ている辺り、普通の母親となんら変わらない生活を営んでいた。


毎朝の日課である朝食作りも終わりが見えてきて、既に熱が冷めた温いコーヒーを一口飲む。時計がさす時刻は、午前6時30分。

(さて、と)

焼きあがった目玉焼きを皿に盛りつけたところで、京平は小さなため息をはく。毎朝の日課。それは何も朝食作りだけではなくて。

(…そろそろあいつら起こしにいかないとな)

両親揃って不在なこの家では、弟達を起こすというのも立派な京平の仕事だ。
本音を言えば、高校生なのだから自分で起きてくれと思うが、結局のところ毎日起こしている。それは紛れもなく、自分が率先して弟達を甘やかせている証拠なのだが。それでも大変なモノは大変で。今日もまた同じ事の繰り返しかと、本日2度目の溜め息を吐いた。






「新羅、起きろ。朝だ」

カーテンの閉め切られた薄暗い部屋で、静かに寝息をたてているのは三男の新羅。
間取りの関係もあり新羅とは同じ部屋で寝ているのだが、昨日自分が寝ている間まで読書やらパソコンやらしていたらしく起きる気配がない。

「新羅」
「………ん…?…もうちょっと、後3分…」

呂律が回らない声で言われても、3分後また同じ事を繰り返している事は目に見えて分かる。

「朝飯出来てっから」
「………うん…」
「遅刻するぞ」
「…ん……」

生返事を繰り返す新羅に多少の苛立ちを感じながら、新羅にだけ通用する魔法の言葉を言う。

「セルティが迎えに来たぞ」
「なんだって!?それを早く言ってよ!セルティの為なら人間の三大欲求である睡眠欲なんて簡単に捨て去れるんだからね!それでセルティは!?こんな不甲斐ない僕を許してくれよセルティ!!」

寝起きを感じさせない饒舌さを披露させ、布団から勢い良く上半身を起こした後、横にあった時計を見つめる。毎朝、飽きもせず新羅へ弁当を届ける近所の首なしが来るにはまだ1時間も早い。
笑顔を一気に豹変させ、ゴミを見るかの無表情になりこっちを見つめる新羅の目には静かな怒りが滲んでいた。

「おはよう新羅」
「……京平」

無表情を一転、にっこりと憎しみを込め笑いながら、一言。

「本当僕の扱いが上手だよね。全く、反吐が出るよ!!」
「ん。昨日も聞いた。リビングに飯あるから先に食べてていいからな」

適当に新羅をあしらうと、怪訝そうな顔を見せる。

「ん?もう静雄と臨也は起きてるの?」
「いや…、まだだが…」
「君一人で、静雄と臨也を起こせるのかい?」

新羅がそんな心配をするのも至極当然で。

臨也の方は低血圧なだけで、起こすのにそれなりに体力がいるが、そこまで苦じゃない。問題は静雄の方だ。寝起きの静雄は力の加減が出来ない。下手に刺激すれば、寝起きで機嫌の悪い静雄の力の餌食にだってなりうる。実際、それで幾つの目覚まし時計が粉砕された事か。

「…まぁ、頑張るだけだ」
「無理に100円」
「勝手に言ってろ。…とりあえず行ってくるからな」
「うん、頑張ってー」







本当に一番大変なのは、静雄個人でも臨也個人でもない。その両者が同じ場所に居る、というのが最大の問題なのだ。
間取りの問題で自分と新羅が同じ部屋の様に、静雄と臨也もまた同じ部屋だ。勿論、毎晩喧嘩しているし何度部屋を変えてくれと頼まれたか分からない。

しかし、新羅は静雄とも臨也とも同室にはなりたくないらしいのだ。新羅曰く、「臨也と同じ部屋は死んでも嫌だね!静雄とは嫌じゃないけど、臨也と喧嘩して僕のモノが壊されたりするのは嫌だなぁ」との事。

仕方なく、あくまで仕方なく二人は同室なのだが。その分、増える労力に最近では本気で新羅を説得しようかと思っている。




部屋に入ると静雄によって叩き壊された目覚まし時計と、昨晩臨也と喧嘩でもしたのか切り裂かれた静雄の布団の綿で、部屋の中は目茶苦茶に荒れている。

正直なところ、入る気がしない。

「…いい加減自分達で起きてくれると助かるんだがな」

鬱蒼とする気分の中、頭まで布団を被り2段ベッドの上の階で寝ている臨也に声をかける。

「臨也、朝飯出来たぞ」
「俺、さっき寝たばかりだから…、まだ寝かせてよ」
「学校はどうするんだよ」
「あー…、遅刻してく…」
「馬鹿、許さんぞ。起きろ」

それでも起きずに、あーだのうーだの唸る臨也に、いつの間にか自分の背後に居た新羅が話しかける。その姿は制服に着替え、寝起きの雰囲気などは微塵も感じさせない。「一人じゃあれかな、って思って」と呟く新羅に、心底感謝した。

「おはよう臨也。昨日はよく眠れたかい?静雄と明け方まで喧嘩していたようだけど」
「本当、新羅って性格悪いよね…」
「ありがとう。でも君ほどじゃないから安心して」

一発束髪な雰囲気すら醸し出す2人の光景も見慣れたモノだと知らない振りをする。とりあえず、臨也は新羅に任せよう。

「また昨日も派手に喧嘩したんだねぇ。こっちの部屋まで静雄の怒鳴り声が聞こえてたよ」
「喧嘩てか説教?シズちゃんの癖にさぁ、いちいち指図してきてうざいんだよね」

言いながら2段ベッドから降りて、寝ている静雄の額をぐりぐりと指で押す。静雄はというと、すぅすぅと眉間にシワを寄せて眠っているだけだ。これだけ見れば仲の良い兄弟とも見えるが、今静雄が起きたとしたら戦争が始まるだろう。

「どうせまた静雄に変な事したんだろ?」
「ううん、今回は本当何もやってないよ。ただ俺が女の子振ったら突然キレちゃってね。本当参ったよ…」
「珍しいね!相当手酷く静雄の前で振ったのかい?」

きょとん、とした顔で新羅を見る臨也の姿を見て、悟る。

人格形成の終末点である中学時代を、親がいないという環境で育った故か、価値観というか思想が悪い意味で偏っている。友達も居るには居るみたいなのだが、どうやら学校では性格を変えているらしく、臨也の本性を知ったうえでつるむ友達など1人としていない。

そんな臨也が、恋愛など長く続く訳もなくいつも2週間くらいで終わってしまうのが関の山だ。いや、実際のところそれは恋愛なんかではなく、自分の趣味の為に利用するだけ、といった関係なのだが。


そんな事を考えていると、むくり、と起き上がる影が一つ。

「うぜえうぜえうぜえ」
「お、静雄。いつから起きてた?」
「あ"?今だよ。つーか今日まともに寝てな…ふぁあ」

不機嫌丸出しの声で言われ、それ以上は何も口を開かない。

「おはよう、シズちゃん」

そんな静雄の様子を微塵も気に止めていない声色で話し掛ける臨也に、静雄はびきり、と青筋を立てる。

「お前…、今回ばかりはマジで許さねぇぞ」

どうやら昨日の続きらしいが、内容を知らない新羅と共に成り行きを見守るしかない。新羅に至っては、にこにこと笑いながら2人を見ている。なんて悪趣味な。

「いくら血の繋がりがあってもさ、いちいち俺の素行を指図する権利はないよ。ていうか俺聞く気ないからね」
「そういう問題じゃねぇだろうが。お前、自分のした事理解してんのか?」
「まぁ、君よりは理解してるんじゃないかな。だって俺当事者だしね」

ケラケラと笑い、そして、静雄にとって言ってはならない一言を、意図も簡単に声にした。

「化け物には分からない感情さ!恋慕とか、どういうモノか分からないだろう?愛された事もないんだからね!!」

瞬間、激しい破壊音が聞こえ壁に大きな穴が生まれた。

「黙れ黙れ黙れ黙れ!!」
「静雄落ち着いてよ。それじゃ、ますます臨也の思うツボだから!一旦まず冷静に!」
「至って冷静だ…おい!!」

ベッドから降りて今にも臨也を殴りそうな静雄を新羅が制止するのを横目に、臨也は悪びれる様子もそんな静雄に特別怖がる様子もなく、歪んだ笑顔を静雄に向ける。

「やだやだ、朝から身体動かしたくないしー。お腹減ったから先に居間に行ってるね。じゃあ2人共、この馬鹿よろしく」
「臨也ぁぁぁああぁあ!」

静雄の怒声に「こわーい」なんて、まるで女子高生のような口調で答え、居間へと軽い足音を響かせた。
不機嫌な静雄を置き去りにして。




「で、結局のところ君が怒った理由ってのは何?」

威嚇している猫のように、息を荒げていた静雄が落ち着いてきたところで新羅が声を掛ける。静雄の怒りは、冷めきってこそいないが多少冷静になったらしく素直に新羅の問い掛けに口を開いた。

「臨也が…、昨日電話で彼女に『君の事はもう飽きたから』って『明日から俺と君は赤の他人だ』って言ってて。俺は女が誰か分からないし、興味もない。でも、間違いなくあいつのせいで泣いてたのに。泣いてるのが聞こえたのに。あいつそれ聞いて爆笑でさ…」

人を傷付けたくない静雄にとって、簡単に尚且つ自ら積極的に人を傷付ける臨也は許せないんだろう。
同じ人の腹から生まれて、どうしてここまで違うモノかと常々思う。

「俺、本当あんな弟いらねぇ…」

苦々しく吐き出す静雄は、心底そう思っているようだ。

「僕も同感だけど、多分臨也も同じ事思ってるんだろうね」

新羅はそんな静雄を一瞥して、穏やかな口調で告げる。

「…育て方を間違えたか」

一抹の罪悪感を感じ呟くと、俯きながらふるふると首を振る静雄が。

「お前の育て方が問題でも、親父達が問題でもねぇよ。あれは、自分からああなりたくてなっただけだろ」
「そうだってー。京平は悪くないと思うな。しいて言えば、あれかもね。兄である僕らに感化されたとか?どうしよう、そうしたら連帯責任だ!」

楽しそうな口ぶりの新羅に静雄が頭を平手で叩く。
叩かれた瞬間、ごろごろと頭を抑え転がる新羅の姿に幾らか気分が和らいだ。


「シズちゃーん!シズちゃんの今日の運勢最下位だってさぁ!」

居間から聞こえる緊張感のかけらも無い声に再び、静雄の顔に青筋が浮かぶ。

「やれやれ、当の本人はのんびりテレビなんか見ちゃってるよ」
「……ぶん殴ってくる」
「うん、弟のお世話頑張ってねー」
「世話とか言うな、気持ち悪い」

起き上がり、寝癖のついてる頭をぐしゃぐしゃとかきあげ居間へと向かう静雄の背中を見る。

「本当に、臨也がああなった原因は静雄にあると思うんだけどなぁ」

ふ、と新羅の呟きが耳に入り視線を向けると、何事も無かったかのように笑う新羅が。

そして

(一階から聞こえる怒鳴り声と高笑いに軽い頭痛を覚えつつも、隣で「いつもの事だし、もう慣れなきゃ」と笑う弟に「それもそうだな」と返してみた)




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -