「奈倉」

平和島と別れ、周りの生徒に好奇の視線を向けられながらとぼとぼ帰っていると、突然後ろから声をかけられた。その声の主が門田だとすぐに気付いたけれど、合わせる顔がなくて逃げるように背を向けたまま歩き続ける。

平和島のように素直に礼を言えたら良かったのだけれど、門田に礼を言うのは何かが違う気がする。俺のしていることと門田に何の関係も持たせたくない。ここで礼を言ってしまえば、そんな思いを否定することになる。どうして俺達は普通の友人じゃいられないのか、きっとそれは門田が優し過ぎて、俺がどうしようもなく馬鹿だからだ。

「おい?」
「…俺と一緒にいると迷惑かかる」
「またそれか」

溜め息がはっきりと聞こえ胸が痛んだ。だってそうだ。今回のこれだって、元はといえば原因は俺なんだし。そもそもあの先輩たちと仲良くならずに、自分の存在を隠して探りをいれればよかったんだ。もう少し、しっかりと考えていたら。

臨也が悪い、とは思えない。全ての始まりは俺だった。それは揺るがない事実なんだから、臨也一人に責任を負わせるのは筋違いだ。

「お前は悪くないよ。だから気にするなって」

心の中を読まれたのかと思ってしまうほどの絶妙なタイミングで門田がそう告げた。思わず振り返る。いつも俺に向けるような苦笑なんかじゃなくて、真面目な顔で俺を見つめていた。

お前は悪くない、なんて。何も知らないから言えるんだ。俺が昔、岸谷と臨也に何をしたのか門田は知らない。分からないのに、何が悪くないんだ。何が、何が。

視線に耐え切れなくなって、燻っていた思いに火がついた。

「……俺が、俺が迷惑なんだよ!いい加減お節介なんだって!大体なんで俺なんかに近付いてきたんだ?臨也の悪巧みを止めようとしてるんじゃないのか?無理だよ、絶対に無理!岸谷や平和島でも止められないのにお前になんて、」

ぼきり、と門田が首を鳴らした。そこでようやく我に返る。

今、俺は何を言った?

怖くて門田の顔がまともに見れない。でもこれで門田が俺を嫌ってくれたなら、それで俺は良いと思う。そうすれば門田に迷惑をかけることもない。体が火照っているのに、頭の芯だけが冷たくて変に冷静になる。

後悔は、少しだけ。後悔があっても、たた門田と仲良くなる前に戻るだけだ。あの頃はそれが普通だったんだから。後悔なんて直ぐになくなる。

「別に」

門田の声に、自分でも分かるくらい体が震えた。でも、その声に怒りの色が見えなくてほんの少し安心する。

「臨也を止めたいだとか、そんなのは微塵も思ってねえよ。あいつは、もうあのままだ。変わることもないし、変わろうともしない。俺の声なんて、届かない」

淡々とそう述べる門田の拳に力が入る。臨也を救いたいと思っていたのではないのか。門田は優しい奴だからそうだと思いこんでいた。でも、助けるつもりがないのに「声が届かない」なんて言い方をするだろうか。

「……奈倉、歯食いしばれ」

突然そう言われ、言われたまま歯を食いしばる。その行為が何を意味するのかに気付いた瞬間、頬に痛みが走り、俺の体は吹っ飛ばされていた。

女子の高い悲鳴と走り去る足音が聞こえて、肺からゆっくり空気を吐き出す。人通りの少ない住宅街だからまだ良かったものの、これが大通りだったら大変なことになっていた。壁に叩きつけられた体を無理矢理起こす。口や鼻から血が出ていないのが不幸中の幸いだ。

「痛ぇ…」
「俺も痛ぇよ」
「……本当、痛い」
「俺もだ、馬鹿。ほら」

門田に手を差し伸べられ立ち上がる。何故か分からないけれど、なんか少し笑えてきた。頭でも打ったんだろうか。本当、俺達はなんでこんなことをしているんだろう。砂のついた制服をはたいていると、申し訳なさそうにこめかみを掻く門田が今度は逆に俺から視線を逸らしている。

「八つ当たり三割、苛立ち二割、悔しさ五割」
「へ?」
「殴った理由だよ。あいつらとつるんでいる以上、そこんとこすっぱり割り切らなきゃいけないんだがなあ。どうにも大人になりきれん」

初めて見る、門田の泣きそうな表情。しばらく唖然としていると、門田がふっきれたように空を仰いだ。

「それでも、助けたいと思う。普通の生活を取り戻してやりたいとも思う。お節介だって、分かってるんだよ。しっかりな」
「さっきのは、言葉のあやっていうか……カッとした。ごめん」

謝ってばかりだな、と思った。本当に俺は無力で、何も取り柄のないごく普通の高校生だ。門田に何を言えばいいのか分からなくて、でも何か言いたくて。喉に浮かんでは消えていく言葉を全て吐き出せたらお互い楽になれるんだろうか。重い沈黙が訪れる。その空気を変えることも出来ずに黙っていると、門田が「よし」と呟いた。

「奈倉、俺を殴れ」
「はあ!?なんで?」

予想の斜め上の門田の発言に目を白黒させながら問い返すと、門田は妙に堂々とした様子で返答してくる。

「いや、さすがに八つ当たりはな、と思ってよ」
「だからって、俺が、門田を?……いや、殴ってほしいなら、殴るけど」
「殴ってほしいから、殴れ」

不思議だ。今ちょっと前に俺を殴った門田が、俺に「殴れ」と言っている。普通ならばありえない状況だ。俺を殴った時、門田の手も痛かったんじゃないのか。だったらそれでいいじゃないかとも思うのだが、門田はそうじゃないらしい。

「じゃあ、いく」
「おお」

すっと目を閉じた門田をまじまじと見つめる。痛みに怯えて力強く目を閉じているわけじゃない。全てを受け止めようとする門田の姿に、尊敬すら覚えた。俺は門田のようにはなれない。尊敬と同時に羨ましいという気持ちが沸き上がる。そんな門田を殴ろうとしているなんて、本当に俺は何をしているんだろう。



あの日、岸谷を刺して逃げたあの日。学校から逃げようとして臨也に会った。俺を捕まえにきたのかとも思ったが、全くそんな素振りを見せない臨也に言い知れぬ焦りと不安を覚える。そして。

「今から自首しに行ってくるよ」

何を言っているんだと思った。岸谷を刺したのは俺だ。水道で手を洗ったはずなのに未だに赤く見える手が、震える足が、定まらない呼吸が、俺が刺したと訴えている。それなのに臨也が自首?どうして俺じゃなくて臨也が。

「俺が新羅を刺したんだ。そうだなあ、理由は口論の末ってことで。だから奈倉は安心していいよ。全部俺が罪を被ってやるから」

悪い夢を見ているようだった。今でも、その時の臨也の言葉を覚えている。

「例え、新羅が奈倉を許しても俺は許さない。ずっと、一生許さない。いいじゃないか、君の経歴に傷がつくことも身体が傷付くこともないんだから。だから奈倉はさ、俺達の消えない傷跡に一生そうやって怯えてろ」




助けて欲しいと思った。でも同時に仕方ないとも思った。俺の本音はどっちなんだろう。手に力をこめる。門田への怒りなんかじゃなくて、やり場のない胸の中の思いをただ門田にぶつけようとしているだけだ。八つ当たりと何も変わらない。それでも俺は手を振り上げる。

「くそ、…くそっ!!」

門田の顔に振りかざした手が当たった。ぱあん、と乾いた音が響く。ゆっくりと、本当にゆっくりと門田が目を開いた。

「……平手?」

そう呟くや否やいきなり噴き出し、腹を抱えて笑いだした。俺の全力平手打ちの何がツボにはいったのか、しゃがみこんでひーひー笑ってやがる。本当何が面白いのか涙まで拭っているし、なんか馬鹿にされている気分だ。

「お前、やっぱ、なんか変わってんな。普通こういう時は思い切り拳でぶん殴るもんだろ」
「結構力いっぱいやったつもりなんだけど、痛くなかった感じ?」
「はは、まあいいや。殴っちまって悪かったな」

急に真顔になった門田に、俺も真面目な雰囲気を作る。

「でも、もし苦しいなら素直に苦しいって言ってほしい。俺に嘘をつくな、とは言わねえよ。ただ、誰も救われない嘘はつくな。そんな自分も他人も傷つくだけの嘘をついて罪の意識を感じるぐらいなら、せめて俺にだけは本当のことを言ってくれ。それでもお前がまだ嘘をつくってんだったら、力づくで本音を聞き出してやる」

きっとそれは門田なりの優しさなんだろう。殴るなんて門田も本当はしたくないはずだ。だって殴る方の手も痛いんだから。こんな良い奴が傍にいるのに、どうして臨也はあそこまで歪んでいるのだろうか。全て投げ捨てて普通の高校生に戻ることだって、あいつにはできるのに。

「……あんま殴られたくないけど、それで俺の目が覚めるならまた思い切り殴ってくれよ。門田のパンチ、いい眠気覚ましになるからさ」

冗談めいた口調で言ったものの、俺は本気でそう思っていた。もし、また俺が門田に意味のない嘘をつくようなことがあれば全力で殴ってほしい。

関わりを持たせたくないという気持ちはまだある。でも全てを隠すんじゃなくて、少しだけ愚痴を聞いて貰うくらいならば出来ないことじゃない。それで俺の心が軽くなるのは確かなんだから。

「……そろそろ、歩くか?立ち止まってても寒いし」
「だな。あ、門田、コンビニ寄りたいんだけどいい?」
「俺制服に血…、まぁ別にかまわねえか。いいぞ、行くか」

今はただ、こうして笑い合えるだけでいい。今度俺が門田に嘘をついて殴られる時、それはどんな時なんだろうか。結論の出ない空想を頭の中に巡らせながら、そんなことを考えていた。



はぐ、と肉まんに食いつく。

寒空の下、門田と二人。いつかと同じだな、なんてぼんやり考えながら門田の横顔を見る。あの時と何も変わらない。ほっとしながらも、ずっと抱いていた疑問をこの際だからと門田へ投げかける。

「門田って、なんでそんな人がいいの?」

途端に門田の表情が心外だと言わんばかりに歪んだ。良い意味で言ったのにと思いつつ、じっと門田の顔を見る。怒ってはいないようだ。

「…それ、いつだか岸谷にも言われたな」

そこで若干顔が赤らんでいるのに気付いた。あぁ、なんだ照れてるのか。

「人がいいとか、そんなんじゃねえんだよ。ただ見捨てられないってだけで」
「それがいいってことじゃん」
「……そうなのか?」
「そうだよ。なるほどな、臨也といるのも納得いくわ」

見捨てられない。そんな単純な理由で門田はあの臨也と一緒にいるのか。正直、昼間に岸谷に言われたように臨也と一緒にいても得はない。損得を越えたところで門田は臨也のことを大切に思っているんだろう。知れば知るほど良い奴としか思えない門田、おそるべし。

「まぁ、臨也の場合は、あいつが一方的にくっついてくるだけなんだけどな」

あの臨也が悪意を持たず、自分から他人に懐くなんて門田は気付いていないのかもしれないが、それだけでも十分すごいことだ。いや、もしかしたら臨也のことだから仲良くなった後で何をしでかすとも分からない。

「もし裏切られたら、どうするんだよ」
「…まあ。あいつの性格だからな。全部を信じてるわけじゃねえけど、それでも裏切られたら、か」

肉まんを頬張りながら、門田が少しの間考えこむ。答えが出たのか、ごくりと飲み込み口を開いた。

「そん時はそん時だろ。仕方ねえさ。まぁ、多分全力で俺も臨也の相手になるだろうがな。んで静雄じゃないけど一発ぶん殴る」
「……マジ門田かっこいいわ。俺が女だったら絶対惚れてる」
「褒められてんのか?」
「褒めてるんだよ。心の底からな」







それが日常で、俺の守りたかった全てだった。なのに今、俺の手には一丁の拳銃が握られている。

「は、はっ……はぁ…っおえ…ッ」

込み上げる吐き気を無理矢理抑える。ここで吐いたって何も変わらない。

「……ごめん、門田、本当ごめんなぁ…っ」


どれだけ許しを請うても、俺を許してくれる人間も殴りつけてくれる人間も、もう俺にはいない。冷たい床に頭を押し付け泣きじゃくることしか、俺には出来なかった。




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