・臨也視点



「ありえないんだけど」

熱を持った頬をさすると鈍痛が走った。まさかシズちゃんに捕まると思っていなかっただけに、予想外のダメージに苛立ちが募る。これが俺の大好きな人間の手によるものだったら喜んで受け入れたのに、あれは化け物だ。人間とは違う。あいつには怒りの感情しか湧いてこない。

大体、あの筋肉馬鹿。人のことを殴ったら満足して帰りやがった。本当あいつは暴力と筋肉だけで出来てるんじゃないだろうか。

夕暮れ時の教室でそんなことを愚痴ってみる。消毒液を鞄から出した新羅はそんな俺に苦笑いを向けた。

「君の場合は自業自得じゃないかな?特に今日のはね」
「でも、じゃなきゃ奈倉に被害が及ぶんだよ?仕方ないこともあるの」
「その方法が君の場合は駄目なんだよ。平和に過ごしたいなら少しは譲歩や我慢を覚えて丸くなることだね」
「俺、平和なんて望んでない」
「僕が平和に暮らしたいの」

消毒液をたくさん染み込ませたガーゼが傷口に触れ、電力が走ったような痛みに首をすぼめる。その様子をやれやれと言わんばかりの表情で見ている新羅は、ガーゼを当てる力を僅かに強めた。痛い。椅子に座らされ、痛みに耐えて、これはなんという拷問なんだろう。じくじくという痛みに顔をしかめていると、ようやく気付いたのかガーゼを傷口から離してくれた。

「このままだと心配だなあ」
「それは奈倉が?それともシズちゃんが?」
「うーん、どっちでもないかな」

曖昧な返事を返す新羅に首を傾げていると、戸を開く音が聞こえた。誰だろうかと視線を向けると薄暗い廊下にドタチンが立っていた。むっすりとした表情からして明らかに怒っている。

「臨也」
「何?ドタチンどうしたの?」
「ちょっといいか?」

声にも怒気が篭っている。ドタチンが怒るなんて珍しいな、とぼんやり考えながら奈倉と最近仲が良かったのを思い出した。そうか、奈倉についてか。

第三者に入ってこられても困るんだけど、話すことでドタチンの気が収まるならいくらでも聞いてやる。でもどんなに説得されたって、俺は絶対に奈倉を手放すなんてことはしない。それはきっとドタチンも分かっているだろう。それにも関わらず話を持ち掛けたということは、何か策があるのか、昼間の一件で堪忍袋の緒が切れたのか。多分後者だと思うけれど。

「外、行けるか?」
「だめ、話ならここでして。話だけならここで出来るでしょ?」
「二人でしたいんだよ」
「二人っきりで?」
「ああ」

それは暗に新羅が邪魔だ、と言ってるようなものだ。堂々と出ていってくれ、と言えば新羅も出ていくのに。大体俺は話したいことなんて何もないんだから。

駄目だ、思考が捻くれたものにしかならない。自分が思っている以上に、苛立っているんだろう。手当の途中の頬が痛みを訴え、それだけでも苛々が募っていく。全部あいつのせいだ。本当死んでくれればいいのに。

「じゃあ臨也、僕帰るね。四木さんに会う前に僕の家寄るんだよ」
「分かったよ、じゃあね新羅」
「悪いな、岸谷」
「別にいいよ。でも門田君、……臨也をあまり虐めないでね」

新羅が最後にドタチンに何を言ったのかよく聞き取れなかったけど、ドタチンは教室から出ていく新羅の後ろ姿をじっと見つめていた。意を決したかのように俺を見つめるドタチン。こうやって俺を怒るのなんてドタチンくらいだ。ドタチンの言ってることが正しいのは分かる。でもそれは俺が欲しい言葉じゃない。「悪いことはやめろ」なんて、そんなの退屈過ぎるだろう。

「で、話って?」
「最近、奈倉に関わり過ぎじゃないか?」

やっぱり奈倉の話題か。こんな面倒なことになるなら、ドタチンと奈倉を近付けないようにすればよかった。ああ、頬が痛い。

「そう?珍しいね。ドタチンが誰かの心配するなんて。いや、違うか。今まで見て俺の見てないところで行動してただけか。ドタチン俺のパシリ達にさ最近色々教えたでしょ。お金の返し方とか、色々。困るんだよねえ、正直」
「困ってる奴を放ってはおけないだろ」
「分かるよ、言いたいことは分かる。でもさあ、お金なんてのは単なる理由の一つでそれだけじゃないんだよ。彼らの……そうだなあ、弱みとか大切な物だとか?むしろそういうのが俺たちの間にはあってね?だからたかが数万のお金を返したところで仕方ないんだよ。彼らは気付いてないみたいだけど」
「臨也」
「まあ、だから要は彼らが借金返済のためにバイトやら何やらしている分、奈倉に仕事が回るのは当然なのさ」
「臨也」
「…何?まだ用があるの?」

内心の苛々を隠そうと、とびきりの笑顔を作るとひゅ、と何かが横切った。横を見ると、ドタチンの腕。ほのかに血の臭いがするのは、昼間の喧嘩のせいだろうか。ドタチンが勝手に喧嘩しただけなのに。俺はシズちゃんに全て押し付けただけで、ドタチンを関わらせようとなんて思ってなかったのに。ドタチンが苛々するなんて自分勝手だ。

それにしても甘いな、と思う。俺のこと、本気で殴っちゃえばいいのに。そうして罪悪感にでも蝕まれればいい。ドタチンのような良い人になんて、俺はなりたくない。いや、なろうとしたところでなれない。

「脅し、と受け取っていいのかな?」
「勝手にしろ」
「奈倉から手を引けばドタチンは満足?」
「臨也、俺が言いたいのはお前が」
「…分かってるよ」

俺や奈倉が心配なんだろう。ドタチンは優しいからシズちゃんや新羅だけじゃなくて俺にまで優しくしてくれる。その優しさが好きで、時に嫌いだ。それは今もで、今この場においてドタチンの優しさは煩わしさでしかない。

心配されても意味がない。他人を貶めることでしかもう心が満足出来ないのに、そんな俺がドタチンに心配してもらっていいはずないよ。苛々はどこかに消え、感傷だけが残る。なんだ、こんなの俺らしくない。「……仕方ない、やめにするか。俺達が険悪になっても岸谷や静雄が心配するだけだしよ」
「今日は怒らないの?」
「キレてもお前には意味ないだろ?だから今日はこれだけだ」

ピチン、という音と共に傷口に痛みが走る。激痛なんて言葉じゃ表現できないくらいの痛みが頬に走り、椅子の上で縮こまる。痛む頬を押さえたいが、触れるだけで痛み出す傷口を押さえられるわけもなく、ただただ痛みに耐える。なんだか目から涙が出てきた。

「今のは痛かった!本当に痛かった!」
「俺は痛くないから知らん。お前はまず日頃の行いを正せ」
「いたっ!酷い!ドタチン本当今日酷いよ!」

痛みに震える俺にとどめのデコピンまでしてきた。ドタチンの反逆だ。いつもは口だけなのに、今日に限って容赦ない。

「俺、ドタチンに嫌われるようなことした?」
「……何か反応した方がいいのか?」
「割と本気だったり、ごめん。もうデコピンはやめて」
「やんねえよ。大体、これ以上やったら俺がキレられそうだしな。おい岸谷、バレてっから出てこい」

そうドタチンが呼びかけると、こっそり教室の中を窺う新羅と目が合った。すぐに頭は引っ込み、沈黙が訪れる。

「き、し、た、に」
「わー、ごめんごめん。バレてた?」
「なんとなく気配がしたからな」
「やっぱりバレちゃったか」

そう言うと新羅はへらへら笑いながら教室へと入ってきた。新羅の存在に全く気付かなかった、もう帰ってしまったと思っていたのに。

入ってくるなり新羅は、女子が使っていそうな小さな手鏡をドタチンへと向けてみせた。何をしたいんだろう。

「鏡で見てたんだけど、見えにくくてね。それに反射光なんかで見つかるのも嫌だから、こっそり覗いてたんだけど」
「なんで覗くんだよ」
「いやあ、もし臨也に何かあったら助けようかと、痛っ」
「何もしねえよ。俺はもう帰るから、お前らも早く帰れ」
「うん。門田くん、じゃあね」

新羅にデコピンを決めたドタチンは、そのまま教室を出ていった。二人きりになった教室。静けさに支配された空間に二人だけ。新羅は全部聞いていたんだろう。若干の気まずさを覚え新羅を見上げると、視線に気付いたのかふっと笑った。

「門田くんは優しいねえ。君のこと心配してるんだよ」
「分かってるってば。でも俺は別に、心配してほしいわけじゃないし…」
「素直に甘えちゃえば楽なのにさ、おっと」

耐え切れなくなって新羅の腰に抱き着く。

俺が間違っていることなんて、とっくに気付いている。それでもどうしようもない。もう俺は、大切なものが何か分かった上で自ら捨てようとしている。ドタチンも、その中の一つだ。優しくされたら躊躇ってしまう。いつか俺が大人になったらこんな気の迷いもなくなるんだろうか。

でも今は少しだけ、生温い優しさに甘えたくなった。

「新羅、苦しいよ」

普通になんて価値はない。多少なりとも抱いているその思いが、弱みを見せる自分を毛嫌う。

そんな俺の弱さを知ってか知らずか、新羅の手が俺の背中を優しく叩いた。

「大丈夫だよ。君は今のままで大丈夫」
「…うん」

自分で望んだのだから今更引き戻るわけにもいかない。安心出来る温かい日常なんて、もう俺にはないんだから。それでも、たった一人の友人の体温に触れている今だけは、その優しさに沈んでみようかと思った。






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