聞きたくない、考えたくもない。それでも門田が知りうる事実は間違いなく現実だ。いっそ何も考えられないほどに泣いてしまいたい。そうすればこんな最低最悪な悪夢から目覚めるかもしれないのに。

ぐるぐると無意味な現実逃避を始める俺の意識を門田の涙が現実へと引き戻す。分かっている。こうなってしまった以上泣いても何も解決しないことくらい。どんなに泣いても、暴れ狂っても夢から覚めることなんて絶対にない。だって俺は何一つ夢なんか見ちゃいないんだから。全部が現実、これ以上に残酷なことなんてあるのだろうか。


「どっちだ?」
「………」
「臨也と新羅、どっちだ」

返答はなかった。ただ嗚咽を漏らしながら泣く門田を呆然と見つめる。泣き顔を見られたくないのか、両手で顔を包み込むように覆うその姿に胸が痛んだ。心臓にアイスピックを突き刺したような、そんな痛みが胸を襲う。時たま、指の隙間から苦しそうに呼吸をする門田の姿が見え相当心が傷付いているのだと悟った。

それもそうだ。だってつい数日前まで一緒に過ごしてきた奴が、抗えない出来事により突然死んでしまう。門田という仲介を挟んでそれを知った俺ですらとてつもない虚無感に襲われているというのに、自分の目でそれを見た門田に至っては心に刻まれた傷は計り知れないほど深いものだろう。

それ以上は、流石に声に出せなかった。そのかわりに俺の目からボタボタと涙が零れ落ちる。目の前の光景がぐにゃぐにゃと歪み、止まる事のない涙が床を濡らしていく。喉が焼けるように痛み、呼吸をする度に出したくもないのに無様な声が漏れた。

どっちかなんて関係ない。俺はどっちだろうと失いたくなかったのに。


「なんで、こんなことになったんだよ……」

どうして俺達だったのか。隣のクラスでも、はたまた名前も知らないような他県の学校でも何処だって良かったはずだ。それが何故よりにもよって俺達なんだろう。運が悪かった、なんて理由では到底納得することは出来ない。不運を歎きながら、仕方ないと諦められるほど大人ではないのだから。

歯を食いしばりながら床を殴る。力の加減が狂ったのか打ち付ける度に床がめりこみ、拳に血が滲んだ。それに構わず怒りを拳に篭めて何度も何度も床を殴る。拳に伝わる痛みが妙に心地好い。

涙はまだ止まらない。たっぷり5分ほど泣いて、浮かび上がる感情は一つだけだ。


助けてほしい。

誰でもいいから助けてほしい。これは全部悪い夢だ、と言って欲しい。もう全てがいっぱいいっぱいだ。この地獄から解放されるのならば、死んでしまうのも良いかもしれない。だってもう生きている意味が分からなくなってしまった。

もういっそ全てを終わらせたくなる。俺が死ぬか、俺が全てを殺すか。クラスメイトも門田も全員殺してしまえば呆気なくそして簡単に全ては終わるんだ。

そうか、俺が終わらせればいいんだ。こんな簡単なことにどうして気づかなかったのだろう。早くこんな校舎から出よう。殺してしまえ、俺にはそれをする事が出来る力がある。

「門田、お前死にたいんだよな?」
「……静雄?」
「いっそこのまま、」

そこまで言い掛けてさっきの光景を思い出す。死にたくない奴を助けようとした門田、自分が血で汚れても目の前で殺されかけている奴を助けようと拳を振り上げていたのに。俺は今、門田が殺した奴と同じことをいや、それ以上のことをしようとしている。俺は一体何を言おうとしていたのだろうか。

頭を回す。まだ門田は生きている。一時的な衝動で門田まで無くす訳にはいかない。

「何でもねえ」

ぐしぐしと涙を拭く。数度頬を叩いてゆっくりと息を吐いた。

落ち着け。落ち着いて少しでも現実を受け止めよう。心の準備なんて少しも出来てはいないけれど、それでも何も知らないままではいけない。だってこれは現実なのだから。起こってしまった事を無かった事には出来ない。それならば少しでも受け止められるようにと、大きく息を吸って吐く。


「……臨也、に何かあったのか…?」

臨也の名前を先に出した事に特に理由なんてない。それでも心の奥底で臨也は簡単に死ぬような奴じゃない、と思っていたのは紛れも無い事実だ。

「違う」

だから門田が苦々しげにそう言った時、妙に納得してしまった。2人しかいないんだ、臨也じゃないんだ。ここまで来てしまえば後は至極簡単な消去法で答えを出せる。もしかしたらただ俺が信じたくなかっただけで最初から分かっていたのかもしれない。

思い浮かぶのは頬を赤く染めて、嬉しそうに笑う姿。

「…新羅」
「……そうだ」

深く深くゆっくりと、震える息を吐いた。新羅が、そうか新羅か。

胸の中のもやもやとした感情がドロドロと溶けていく。それは身体全体まで行き渡り、やがて染み込むように同化していった。


「助けられる状況じゃ、なかったんだよな?」
「俺じゃ無理だった。あれじゃ臨也でも無理だったろうよ」
「…俺、だったら?」

諦めきれない俺の言葉はとても残酷なものだっただろう。でも門田はそれに対して緩い笑みを見せ、正面から受け止めてみせた。


「お前でも、無理だったろうな」

そこには皮肉なんてものは一つもなく。ただの事実としてそう答えた門田の涙はいつしか止まったようで、涙の跡を見せながらぐしゃぐしゃに笑う。それでも目元は弱々しげに赤く腫れていて俺も今同じような表情をしているのだろうか、と再び潤みだす視界の中でぼんやりと考えた。

「助けることなんて出来なかったよ」

念を押すように呟くその声には、明らかな諦めの感情があった。もしかしたら門田自身に言い聞かしているのかもしれない。

何を見たのだろう。
俺の力を持ってしてでも救えなかったと言わざるを得ない状況なんて、はたしてどんな状況なんだ。

「……新羅が死んだところを、お前は見たのか…?」

確認するように問い掛ける。なるべく門田を責めるような口調にならないよう注意しながら口を開いたつもりなのだが、門田の諦めの感情はより一層色濃くなったようで溜め息混じりに笑ってみせた。


「直接、死んだ姿を見た訳じゃない。正直生きてる可能性もあると思う…、だが…少ない」

そう言ったきり口を閉ざし、再び室内が沈黙で満たされる。門田が何を見たのか、新羅の何を知ったのかは分からない。追求したい気持ちは山ほどあったが、門田はもう新羅の死を自分の中で確定しているようだった。大怪我を負って瀕死になった新羅でも見たのか。そのぐらいしか俺の頭には浮かばない。でももしそうだとしたら、門田がそんな状態の新羅を放っておくだろうか。

再び思考に囚われかけた自分自身を、頭を振って制御する。考えたってどうせ俺には分からない。それならば行動を起こすのが先だ。

「……その言葉が聞けただけでも充分」

こんな場所でずっと立ち止まっているわけにはいかない。何もしなくても、はたまた何か行動を起こしたとしても同じように時間は過ぎていく。俺達には無駄に出来る時間なんてない。今この瞬間にも何処かで何かが起こっている。普段の日常と比べものにならないくらいの速さと密度で展開していく事象に置いていかれるわけにはいかないのだ。取り返しのつかない事態を避けるためにも。

「とりあえず、臨也と新羅を探すぞ」
「だから、」
「お前の目の前で死んだ訳じゃないんだろう?まだ望みはある」

1%にも満たないが。それでも今はその可能性を信じたい。いや、信じるというよりは縋り付くといった方がいいのかもしれない。どちらにせよ今はそれしか出来ないのだから。

「…なんか、さっきからお前に助けられてばかりだな」
「俺らはいつも助けてもらってる」
「確かに、手のかかる友人だよ。お前らは」

そう言って笑う門田の顔を見て、俺も自分自身が悲しみに飲み込まれないように心を安定させる。悲しみに暮れて立ち止まる暇が少しでもあるなら、臨也と新羅を探す方が先だ。


「本当、早く見付かればいいな」


願わくば無事で。






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