あれから落ち着きを取り戻した門田は数分前に「悪い」と一言言ったきり、俯き黙りこくってしまった。

自分の中で気持ちの整理でもしたいのだろう、と敢えて何かを話し掛ける訳でもなく、ただ無言で門田の傍に居る。多分だけれどこういう時は何もしないのが一番のはずだ。

下手に気遣うより、門田が喋りたくなるまで口を閉じておくのが妥当だろう。それに正直俺自身こんな時に気を利いたことが言える頭なんて持ち合わせちゃいないし、さっきみたいな事にならないようにどう考えても黙っているのが最善だ。無理矢理喋って門田を傷付けるよりはただ傍に居るだけの方が門田としてもいいだろう。

こんな時に臨也や新羅が居れば、何か気の利いた台詞を言えるのかもしれない。

そこまで考えて二人に思考を巡らす。

大丈夫、だろうか。もしかしたら何処かで泣いてるかもしれない。怖いと、死にたくないと。臨也の泣き顔なんて想像出来ないし、新羅の泣き顔は小学生の頃に一度見たきりだ。でも今この状況では有り得ないと思っていたことが平気で起こってしまう。

門田にしてもそうだ。普段は決して涙なんか見せない奴なのに、今では普段の面影がないぐらい落ち込んでいる。



助けたい。出来るならば。そうだ、別に俺達を拘束する首輪が取り付けられている訳じゃないし、漫画のように異空間に窓や戸が固定されているという訳でもない。外に出れば拳銃を持った奴らが俺達の逃走を阻むだけだ。俺が、俺がそいつらを殺せば逃げられる。それだけの話、簡単なことだ。そうすれば俺達は皆助かるんだから。

でもだからって。拳銃を持った奴等が一斉に俺に向かって発砲してきたりしたら?それに奴らだって、今俺が考えている可能性を考えなかった訳ではないだろう。それなりに俺達の逃走を阻む策や何かはあるはずだ。もしかしたら俺を殺せる何かがあるかもしれない。そして、そんな策を俺が打開出来るとは到底思えないし、下手をすればこいつらにまで余計な被害が生じるかもしれない。

助けたい。そう思ってはいても、実際に行動に移すとなると数えきれないくらいの問題が発生する。それら一つ一つにきちんとした解決策を見出ださない限り、生きて逃げるなんてことは不可能になる。
そんなことを考えていると助けたい、なんて気持ちが徐々に無理なものとさえ思えてしまう。

情けない。本当に俺は情けない。

「……お前たちを助けたい。俺に、助けられるのなら…」

口に出してみると、改めてその言葉がどれだけの重みを持っているか分かった。今まで人を傷付けてきた俺に何かを守れるのだろうか。こんなことを考える時点で俺に誰かを助けるなんて不可能なのかもしれない。

門田はゆるりと顔を上げ、俺の頭へと手を伸ばした。そのままぐしゃぐしゃと頭をされるがままに撫で回されていると、また門田の表情が再び泣き出しそうになった。そんな顔が見たかった訳じゃないのに、そんな顔しかさせることの出来ない自分が憎い。

「いいよ。お前ばかりに負担はかけれないからな。自分の身ぐらい自分で守る」
「でも俺は、」
「それに」

否定され反論しようとした声が、はっきりとした門田の声に遮られる。

「きっと、もう無理だ」

そんなことを言うものだから、一瞬にして身体中の血の気が引いた。冷水を浴びたように身体が冷えていくのが分かる。無理って何が。問い掛けたいのに声にならない。

「死にたくない、死にたくねえよ。俺だって。でももう駄目だ、無理だ。意味が無くなっちまった。俺が生きていても何の意味もない。きっとあいつは許してくれない」

同級生を殺した罪に苛まれているのか、心の中に溜まっているモヤを吐き出す勢いで門田がまくし立てる。許してくれない。そう門田は言った。

きっと今、俺がここでどんな言葉を門田に言ったとしても、門田の心は俺の言葉を受け入れないだろう。人を殺したことのない俺に、門田の気持ちは分からない。

「なあ、静雄」
「……なんだよ」
「死にたいか、お前?」

突然何を言い出すんだろう。真意が分からない。門田が何を望んでいるのか、どうしたいのかが分からない。

「死にたいならよ、死ぬか?一緒に」

穏やかなその口調は、門田が冗談で言っている訳でも気が動転している訳でもないということを嫌でも示していた。一切の冗談抜きで門田は俺に言っている。心中しないかと。目を伏せて笑う門田の心は壊れてしまったのか。それでも門田がそう結論づけたのなら、それでも仕方ないかとさえ思った。門田の罪を背負って死んで、この辛い現実から逃げるのも一つの道なのかもしれない。

「俺は、」

一緒に死にたい。

そう言いかけて口を閉じる。

いつも一緒に居た奴と共に死ぬというのは、幸せなことなんだろうか。鼓動が高鳴り、吐き気さえ催す。もしかしたらそれが幸せかもしれないという錯覚。それが最善だという錯覚。

そんなことはない。死ぬことと幸せは、イコールでは繋がらない。そうだ新羅と臨也を遺して俺は死ねない。それに。

「…もし、本気で死にたいって思ってんなら俺はお前をぶん殴る。死ぬ?ふざけんな。諦めんじゃねえ、生きるんだよ。生き残るんだ」

我ながら無茶を言っているとは思う。門田の背負う苦しみを分からない俺が言うんだから、酷く自分勝手なエゴだ。今、この状況で生きるという行為は地獄に身体を沈めるのとなんら変わらない。相変わらず遠くからは叫び声や、逃走を謀った奴でもいるのか銃声が響いている。

この状況で生きろ、だなんて生き地獄とはこの事だ。

「…嘘だ。んな怒らないでくれって」

否定するわりに、その顔は真剣そのものだった。死を望むその瞳は曇りなく妙に澄んでさえいる。死を本気で考えていたのだろう。

「……俺は、死ぬぐらいなら4人で生き残りてえ」

今まで散々何も出てこなかった口が自然と言葉を紡ぐ。口から無意識に漏れた言葉は、紛れも無く本音だった。死にたくはない、生きていたい。人間としての本能がそう告げる。そして生きるならば一人だけでは意味がない。

門田はさっき「生きる意味はない」と言ったがそれは間違いだ。俺のために生きてほしい。門田が居なくては意味がない。いや、誰か一人でも欠けてしまっては意味がない。生きるなら4人で。臨也のことは今でも大嫌いだ、新羅だって人の話を聞かないで自分の惚気しか話さない奴だ。でも、それでも4人で生き残らないと戻りたい日常へ帰れない。

そうだ。俺はなんやかんやで4人で馬鹿やっていることが楽しかったのだ。下らないやり取りも全部。馬鹿みたいに喧嘩する俺ら。制止する新羅と門田を振り切り、4人で授業をサボることも。ぐだぐだと屋上でぼんやり過ごしたことも。テスト前、4人で勉強したことも。全部、全部。

それに思い返せば、俺ら3人に寄ってきたのはこいつだけだった。教師でさえも見て見ぬ振りの俺らに普通に接してくれたのはこいつだけだ。門田の存在に救われたことなんて数えきれないほどある。

帰りたい、日常に帰りたい。

「せめて、4人で集まれることくらいは出来るんじゃないのか?」

今ここに門田と俺が居る。新羅と臨也を探すには、少しどころかかなりの労力が必要だ。でも門田とも会えたのだから、2人とも会えるはずだ。確証は無いが何故かその考えが自分の中で色濃くなっていった。

2人も門田が宮坂を殺してしまったと知っても蔑んだり怯えたりはしないだろう。寧ろ、俺より上手く門田を慰められるかもしれない。臨也辺りは落ち込む門田を笑い飛ばすかも。今では臨也の残酷なまでの無邪気さが懐かしい。

そんなことを考えていたら気持ちが少し楽になった。絶望に浸るにはまだ早い。脱出だって4人集まってから策を考えればいい。そうだ、まだ可能性は幾らでもある。




不意に、門田の表情がぐにゃりと歪んだ。

「…出来たら、良かったんだがな」

そこでようやく気付いた。門田が纏っていた空気が変わったのを。

「は…」
「現実は甘くねえってことだよ、なあ分かるだろう?」

泣き出しそうな顔で笑う。笑いたくないなら笑わなければいいのに、と思ったところで門田の表情が変わることはない。

「ごめんな、静雄」

どうして。ドクドクと心臓が脈打つ音が聞こえる。膨れ上がる嫌な予感に比例して、音は大きさを増すばかりだ。

「なんで謝んだよ」
「もう無理なんだよ」
「だからなんで!」
「……助けられなかったんだよ…俺は…っ!」

ボロボロと涙が門田の目から零れた。さっきのとは比べものにならないぐらいの悔しさがそこに滲み出ている。助けられなかったと門田は言った。それはさっき見殺しにしてしまった女へのものではない。

分かった。分かってしまった。そうだ、門田にしてはおかしかったんだ。喧嘩して相手の鼻の骨を折っても、死ぬかもしれないぐらいに相手を殴り続けていても、平然としていた門田が人を殺してあそこまで精神が乱れるなんて。門田は自分の正義感を信念とし生きている奴だ。そんな奴が自分の信念を疑うようなことをするだろうか。

門田がここまで弱気になっていたのは、門田が涙を流していたのは。人を殺したことよりももっともっと悲しいことがあったから。

友人を、助けられなかったから。友人の命を救えなかったから。


最悪な考えばかりが浮かび上がる。門田の目の前で、もしかしたら新羅が、臨也が殺されたのかもしれない。そうだ、それこそ拳銃なんて使ったら一発だ。引き金を引いてしまえばあっという間。そうじゃなくても、既に殺されていてその死体を見てしまったのかもしれない。

殺された、殺されてしまった。新羅は、臨也は。どちらか、あるいは二人共。

助けたいと思ったのに、もう手遅れだなんてどうしようもなくて笑えてしまう。自分の無力さが恨めしい。助けられなかった無力さが、憎い。






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