廊下に充満する鉄の臭いが嗅覚を犯す。目の前に広がる薄暗い廊下は壁も窓も床も全て血に塗れ、まるで地獄を絵にしたような有様だった。

赤で埋め尽くされた世界に青がちらほらと混ざり込む。それが制服を着た、数時間前まで同じ空間に居た同級生だということは考えなくとも認識出来た。ある者は顔を青く変色させ、ある者は手が無かった。ある者は壁にもたれ掛かるようにして、またある者は突っ伏するようにして赤い世界に存在していた。

一歩足を進めるごとに、ぱしゃりと音がする。学校指定の白い上履きは赤く染まり、乾いた廊下にさえ汚れた足跡を残す。歩く度に後ろを振り返り、増える赤い足跡を見ながら少しずつ前へと足を進めた。目的地なんてものはありはしない。

とりあえず室内に入りたい。短時間に起こった出来事を自分の中で整理するならば、静かになれる所でゆっくりと思考を巡らせたい。
適当に視界に入った教室に入る。廊下とは違い血に汚れることのない室内は、俺達が過ごしている学校となんら変わりないものだった。

何気なく教室の前方に掲げられた黒板にカツリとチョークを当てる。そのまま力を入れずに下に動かせば白い直線が黒い板に現れた。そのまま無心にチョークを持つ手を動かせば白い曲線が次々に生まれて、ぐちゃぐちゃだった頭の中がほんの少しすっきりしたような気がした。



***

一人ずつ出席番号順に体育館から出ていく。女子の中には泣きじゃくる者も居たが、それより多くの何十人もの鋭い視線が俺を睨みつけていた。その視線には恐怖や焦りなどが色濃く滲み、俺への嫌悪感を如実にさせる。

臨也は澄ました顔で、門田は苦々しげに。新羅は俺に手を振って体育館を後にした。俺の番を向かえスーツを着た男から鞄が支給される。食材や武器などが配布されるという説明からして、これがそれなんだろう。

大勢の視線を浴びながら、俺はその鞄を床に叩きつけた。床にめりこんだ鞄に短い悲鳴を上げる生徒も居たが、それらを完全に無視して廊下へと出る。

「もう駄目だあいつに殺される」と狂ったような悲痛な叫び声が体育館から聞こえたので、一度だけ体育館と廊下を分ける鉄製の扉を殴る。悲鳴が聞こえたが、今度は聞こえなかった振りをして眼前に広がる薄暗い廊下に足を進めた。

――俺は自分の為に、生き残る為に人を殺したりなんかしない。絶対に、だ。


***



力を入れすぎたのか、チョークが真ん中から二つにボキリと折れたところでようやく我に返る。ふと目の前を見てみると芸術とは言い難い白い曲線が黒板一面に広がり、それを見ただけで何故か吐き出しそうになった。

「……なんで…」

声になるかならないかの境界で紡がれた言葉を何度胸の中で反芻させたことか。
指の震えを抑えようと息を吐きかけるが、効果が現れることはなく惨めな気持ちだけが膨れあがる。少しでも気を抜けば、大声をあげて発狂したいところだった。



俺は死なない、殺されない。正直、誰が生き残るかなんて火を見るより明らかだ。俺が生き残る。他の誰でもない俺が。

誰かが俺の肉体を壊せる力や武器を持っているとは考えられない。理屈や常識などが通用しないこの身体は、人の手では破壊出来ない。そんな俺と普通の人間である奴ら、どっちが生き残るかなんて考える必要さえないだろう。

俺が死を望まない限り、言い方を変えると俺が自殺をするかこんな俺の身体でも壊せる何かを持った奴が居ない限り、俺の生存は確実な物になる。だがしかし、生き残れるのは僅か一名。もし仮に俺と誰か二人が生き残ったとしたら?俺が死ぬことに恐怖を抱き、自分の死を拒んだら?最後の一人になるために、俺はきっとそいつを殺す。殺してしまう。

それが何よりも怖かった。


ぼんやり黒板を見ながら考え耽っていると、罵詈雑言や甲高い悲鳴が直ぐ近くの廊下から響きそれに肩を跳ね上がらせた。

断末魔、足音。笑い声、死に物狂いの怒鳴り声。

今、廊下とこちらを隔てる戸を開けば臨也が好きそうな光景が広がっているんだろう。そういえばあいつは今頃何をしているのだろうか。生きて、自分が置かれている現状を歎いているのだろうか。


直ぐ近くに教室が存在するのに誰も入って来ないのは、入れば最後逃げ場を無くして殺されるという考えがあるのだろう。それは正解だ。狭い空間よりも廊下などを逃げた方がまだ助かる可能性はある。

俺は誰もこないであろう空間だからこそ、「静かな場所」だと認識し自らこの教室に足を踏み入れたのだろう。こんな時ですら逃げ道を探す自分の思考に苦笑いをすると、先程まであんなに煩かった声がいつの間にか一つになっていることに気付いた。怪訝に思い、意識を自分の思考から廊下へと集中させる。

「……死ねっ死ね!死ね!し…あ、お前……何、何だよ。…は、やめろやだやめろや…ああ、ぎゃああぁ!」

呪詛のような言葉が突然悲鳴に変わる。それと同時に何かで肌を殴りつけたような音も聞こえ出した。一体、戸で隔てられた廊下で何が起こっているのか。つい何秒か前とは雰囲気ががらりと変わってしまっている。浮かぶ疑問、こんな時なのに膨れ上がる好奇心。別に少し見るくらい良いのではないかとさえ考え、首を振る。悪趣味だ、止めておこう。

「うあ、あ、痛え、痛…いぎっ、ひぎぃいっ。いやだ!死にたくな…ああ"ぁあああ"ぁ…あぁ…」

鈍い音が止んだと同時に、先程まであんなに煩かった廊下がその声を最後に完全な静寂に包まれた。


静かになるということは、人が居なくなったということだ。全員が話し合いをして無事に逃げた。そうだ、きっとそうなのだ。さっきの音は廊下を転んだりでもしたのだろう。それ以外にあんな苦痛に満ちた声をあげる理由がない。そんな、誰かに殴られでもしたかのような音がする訳がない。



違う。
そんなことはありえない。廊下から人が居なくなる?いや、廊下に人はいる。いや、"ある"。人だけれど人ではない別の物が存在しているはずだ。

先の音を生み出した人間はまだ廊下に"居る"。もし俺が今廊下に出て、そいつが俺を殺そうとしたら俺はどうするんだろうか。精神が不安定な今では、普段でさえ抑え切れない力を抑えることは不可能だ。殺したくない、それだけしか考えられない。

そんなことを悶々と考えていると、何の前触れも無く教室と廊下を隔てる戸がガラガラと音をたてて開いた。突然のことに息が止まる。心臓が跳ね上がるとはこの事をいうんだと思った。

戸を開けたそいつと目が合う。そいつは驚いた様に目を見開き、俺に向けてぎこちない笑顔を作った。

「………お前…」

俺はというと、そいつを見て笑い返すことが出来ずにいた。






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