・少し前のおはなし



「卒業したら、手前と会わなくていいんだよな」

いつも通り池袋中を走り回り馬鹿みたいに暴れた後、ふと卒業の二文字について考えてみた。

学校で始まり学校で終わる喧嘩のように、この学校で出会いこの学校で別れる。

臨也からすれば、学校という繋がりがあるから嫌々俺と会っているだけで、その繋がりがなくなってしまえばもう会うことすら叶わなくなるだろう。その証拠にナイフで切り付けられた傷がジクジクと痛む。明らかな俺という存在への拒絶の意志表示に内心傷付きながらも、いつものことだと言い聞かせた。

俺から離れたところで警戒するように息を切らししゃがみ込む臨也を見る。珍しく苦しそうに肩を上下させ荒い呼吸を繰り返し、ぼんやりとした目で俺を見ていた。心なしか顔が赤い気がする。熱でもあるのだろうか。

心配になるが、あいつが嫌う平和島静雄は折原臨也に心配なんてものはしない。それに少しでも優しく接してしまえば、もう二度とこんな風に喧嘩が出来なくなってしまう気がした。

本当は優しくしたい。寂しいなら甘やかせてやりたいし、臨也が望むなら大抵の願いは叶えてやりたい。でも、そんな俺を臨也は望んでいない。下手に行動を起こして関係を断ち切るくらいならば、生産性のない喧嘩に明け暮れていた方がまだマシだ。それによる胸の痛みはないものと考える。


俺達の関係は初めて出会った頃から何一つ成長していない。胸の中に隠した想いを伝えるつもりもなかったし、俺が動かなければ何も変わらないと分かっていながら一歩も動こうとはしなかった。良く言えば現実を弁えている、悪く言えば臆病者。どちらかと言えば後者寄りだと思うけれど。

地面に寝そべりながら夕焼け空を仰ぐ。ムカつくくらい綺麗だな、なんてぼんやり見ていると臨也は息苦しい中でも虚勢を張りたかったのか弱々しい笑い声をあげた。

「そんなの無理だって。池袋だよ?君が池袋から出ない限り卒業なんかしても俺達の関係はこのままさ」
「お前がどっか行けよ」
「しらなーい。俺この街好きだし。やり残したこともあるんでね。だから今はまだ離れられないよっと」

ふらふらしながら立ち上がる臨也はごし、と袖で口元を拭った。俺が殴ったせいで出来た傷をぺろ、と舐め、何事もなかったように笑顔を作る。わずかに血が滲んでいるそれは、臨也の白い肌に良く映えた。

「…痛かったか?」
「普通に痛いよ」

何を当たり前なことを、と言いたげな視線を向けてられて、ギリギリと胸が痛んだ。臨也の体のあちこちにある鬱血跡や傷は、全部俺がつけたものだ。傷に痛みを伴うのは当たり前だが、臨也の場合は痛みを顔に出したりしない。骨を折った時は流石に痛そうに泣いたりあまりの痛みにか嘔吐すらしたけれど、それ以外は顔を僅かに歪めただけで次の瞬間にはいつものような笑顔を浮かべているといったのが常だ。

「…俺のこと嫌いなら構わなけりゃいいじゃねぇか。そうしたら怪我をすることもないんだし」

どんなに傷つけたくないと思っても、沸点を超えてしまえば自分でも制御出来なくなる。それが嫌で最近は臨也と距離を置くようにしていたのに、臨也はそんなことは関係ないとばかりにいつも俺の傍にいた。移動教室、昼休み。普段の学校生活から下手したらそれ以外の時まで。わざとかと疑うくらい的確に俺を苛立たせる台詞を吐いて、俺の怒りを煽る臨也は一体何が目的なのか。

「違う違う。シズちゃん何にも分かってないね。うわ、俺悲しいかも」
「何がだよ。はっきり言え」
「わざわざ愛する人間達に触れ合わないでシズちゃんに時間を費やすことを、もっと頭を使って考えてくれないかなあ」
「……お前、マゾなのか?」
「さいってー」

べ、と舌を出しながら、ずかずかと俺の傍に近寄る。何気なく半身を起こすと、俺と目線を合わせるように臨也がしゃがみ込んだ。俺とは違う赤い瞳と目が合う。手を伸ばせば触れることが出来るのにそれをしないのは、やっぱり俺が臆病者だからだ。

迷いを悟られないように臨也の目を軽く睨みつけると、俺へと諦めるように微笑みかけてきた。

「君といれるのなんて俺くらいでしょ」

それだけ言うと、ぺちと俺の額を叩いて立ち上がる。臨也の言葉の意味をゆっくり反芻する暇もなく、臨也はくるりと背を向けた。もう帰るのか。ならば今日はこれで終いだ。俺も立ち上がろうかと軽く腰を浮かすと、臨也が目だけを俺に向けてきた。

「だからさあシズちゃん。卒業しても、大人になっても、よろしくね?」

何を思って臨也がそう言ったのかは分からない。それでも学校という繋がりがなくても、臨也との繋がりは切れないということは確かで。ただの口約束、明日になったら忘れているであろう軽くて脆いものだけれど、それに縋ろうとする俺は本当に臆病だ。それを拠り所にして、将来が約束されたわけじゃないのに。

「いいぜ。ずっと手前だけを追い掛けてやるよ。お前が降参するまでずっとな」
「あはは、まるでプロポーズみたいだね。その時がくるのを楽しみにしてるよ」

そう言って手を振りながら俺から離れていく臨也をただただ見つめる。一瞬だけ見えた、幸せそうな安心したような笑顔は多分俺の気のせいだろう。



あの時引き止めていれば臨也は死ななかったのか。今になってはそんなもしもはただの気休めで、自分の無力さ、後悔を呼び覚ます材料にしかならない。

どうして俺は臨也を追い掛けなかった。どうして俺は明日があると思い込んでいた。助けられたかもしれないのに、まだ生きていたかもしれないのに。


あの時の臨也の声が、笑顔が鮮明に甦る。確かこれが臨也が死ぬ数十分前の記憶だ。ここからの記憶がばっさり抜けている。何があったのか、全く思い出せない。臨也の葬式にも出席したはずなのに、何も記憶がない。気付いたら臨也のいない生活が始まり、夢を見始めていた。

臨也が最後に何を見て、何を思い死んだのか考えては涙を流す日々を送った。思いを伝えれば良かったと後悔して、拒絶された時のことを考えてまた泣いた。苦しくて、でももう全てが手遅れで。

そういえばあの時は俺も新羅も門田にすごく助けてもらった気がする。卒業してから疎遠になっていたが、あいつは今何処かで臨也のことを引きずりながら生きているのだろうか。出来れば、笑っていてほしいと願う。幸せになってほしい、と。






「まさかシズちゃんがあんなこと言うなんてなぁ」

あのままシズちゃんの傍にいたら余計なことまで言ってしまいそうだった。出かかった言葉を飲み込み笑顔に変えてみたけれど、はたして上手く笑えていただろうか。

好きだと素直に伝えられたらこの胸のもやもやも晴れるのかもしれないけれど、それでこの関係が壊れて傍にいることすら出来なくなるのなら殺意を向けられてもいいからシズちゃんの傍にいたい。

そうだ。それにシズちゃんは卒業したとしても、俺たちの関係は続くと言っていた。頼りない約束、それだけでも十分嬉しかった。シズちゃんの傍にいられるならどんな関係だろうと構わない。永遠に結ばれることはないと分かっていても、好きな人にずっとを約束されたんだからそれだけで十分だ。明日からもこんな小さな幸せが続けばいいと、そう思いながら家に向かって足を進める。早く帰らないと夜になってしまう。舞流や九瑠璃が待ってるんだ、もたもたしていられない。

「…あれ……?」

突然ぐらりと視界が揺れ、平衡感覚を失い思わずその場にしゃがみ込んだ。目の前の景色が白く霞みだし、ぎゅと目をつぶる。貧血とはまた違うこの眩暈の原因に心当たりがあり、小さく舌打ちをもらした。

朝から我慢していた熱がとうとう限界を迎えたようで、嫌な汗が出るほど体が熱いのに、手足の末端が異常な寒さを訴えだした。本格的に熱が上がってきたみたいで、頭がぼんやりする。

「…早く、帰らなきゃ」

具合が悪いけれど、このままここでぐったりしているわけにもいかない。少しでも家に近付こうとふらつく足を無理矢理進める。シズちゃんの言葉と具合の悪さとがぐちゃぐちゃに混ざり合って、気持ち悪さと幸福感に一瞬これは夢なんじゃないかとさえ思えた。

もう別れたばかりなのにシズちゃんに会いたい。このまま引き返してもシズちゃんはいないのに、今来た道を走って戻りたい気持ちに駆られる。会ったところで喧嘩をするだけなのに、まともな会話すら出来ないのに何故か無性にシズちゃんに会いたくなった。

違う、会わなきゃいけないような気がした。なんだろう、こんな気持ち初めてだ。別に今日じゃなくても明日には会えるんだし、急ぐ必要はない。そうと分かってはいても嫌な胸騒ぎがする。会いたい。なんで。分からない。


青を示す信号を横目に横断歩道を渡り終える。

「…ん?」

何かが背後から近付いてくる音が聞こえた。同時に悲鳴が不協和音として幾つも聞こえる。何か怒鳴り声が聞こえ、でも何を叫んでいるのか分からなくて。熱で聴覚までおかしくなってしまったのだろうか。何が起こっているのか、熱に冒された頭では冷静に考えることすら難しい。

「いやぁああ逃げてぇえええ!!!」

女の人の劈くような甲高い悲鳴が耳に響いて、それが最後。振り返って何が起こっているのか確認しようとして、



突然目の前が真っ赤に染まった。真っ赤なペンキをぶちまけたような赤に、青が混ざる。それが空の青さだと気付いた瞬間、視界が大きく歪んだ。空が近付き、急速に離れていく。視界の端には赤い何かが付着したトラックと慌てふためく運転手らしき男とその他のギャラリー。あんなに煩かった音が、一瞬だけ世界から消える。

次に俺が聞いた音は体中から聞こえる何かが折れる音、宙を舞っていた体が地面に叩き付けられ、その際に頭がコンクリートとぶつかった音だった。

撥ねられたと、理解した時にはもう既に俺は限界を迎えていた。

喉から込み上げる血が、頭から流れる血が、全てが赤くて。「まだ息がある」なんて叫び声が聞こえるけれど、もう手遅れだ。頭が朦朧として、全身が痛くて。下手したら頭、割れてるんじゃないのかな。手や足だって、肉体と繋がってるのかすら怪しい。喉がやけに熱くて、かろうじて無事な聴覚と赤く染まりぼやける視界だけが俺の命を繋いでいる。でもそれも終わりがきたようで、煩いはずの周りの声が段々と小さくなり、視界も涙が浮かんだ時のように最早色しか認識出来ない状態だ。


「………げほッがぼっ…こぷ」

痛い熱い苦しい。苦しいよ。死にたくない。やだ。こんなのやだ。会いたい。もう一度会いたい。そしたら今度はもっと素直になるから。「好きだった」ってきちんと伝えるから。死にたくない。このまま終わりなんて嫌だ。ねえ、だれかなにかいってよ。

でも運命は残酷だ。容赦なく死は俺の意識を奪っていく。最後に見たものは赤く彩られた青いであろうはずの空。俺が見たかったもの、聞きたかった声、欲しかった温もりを何一つ感じることが出来ず意識はそこで完全に途絶えた。





ぱちぱち


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