そして夢が始まった。


夢の始まりはいつも俺の部屋のベッドの上からと決まっていたのだが、今回はどうやら違うようだ。夢の中では初めて見る光景でもあり、懐かしいそれが目の前に広がっていた。

夕暮れ時の教室、静かに微笑む臨也の顔が、夕日で橙に染まる。懐かしさが込み上げてくると同時に、どこか切なさを覚えるこの教室には、数えきれないほどの色々な思い出があった。臨也と喧嘩した思い出や笑い合った思い出、記憶の底から幾つも幾つも甦ってくる。俺はきっとここから、この時から一歩も動けていない。臨也が死んで止まった時間は、まだ止まったままだ。


ふと臨也の机を見る。そこにはあの日みたいに花瓶に生けられた花が挿されていて、臨也の死を忘れさせまいと、俺の中に消えない傷痕として深く残すようだった。あの日、あの花を見て泣いたのは臨也の観察対象であったクラスメイトだけじゃない。俺らだって、臨也の死を嘆いた。今考えると新羅が一番酷かった気がするな。あの時は俺の繰り返される夢なんかよりも、新羅が壊れてしまうんじゃないかと心配だった。今更あんな花を見てあの時の情景を思い出したくない。

くたり、と枯れてきてすっかり元気のなくなっている花を、臨也はつまらなさそうに眺めている。その花をそんな風に見れるのは、お前だけだよ。臨也。


不意に花瓶が割れた音がした。右手に刺すような痛みを覚え掲げてみると、皮が裂け血が滴っている。我に返り、今自分が何をしたのか確認する前に、水と破片まみれの床に落ちた萎びた花が視界に飛び込んできた。あの花は存在してはいけない花だ。それを何度も踏み付け、花なのか分からなくなるまで踏みにじる。

「馬鹿だねえ」

臨也の声に俯いていた顔を上げる。困ったようなそれでいて嬉しそうな、そんな複雑な表情で笑う臨也を、俺は生きている時にも見たような気がする。ちょうど今日と同じ、夕日が差し込む教室で。

すっかりボロボロになった花を臨也は屈み、手に取る。それをぎゅ、と握ると次に手を開いた瞬間には花は何事もなかったかのように元通りになっていた。

少し驚くも、これは夢であって現実ではないという答えに行き着く。現実じゃないから、俺はこうして臨也と会って話をしているんだ。今更有り得ないことの一つや二つ、驚く必要もない。

「こんなことしたって、俺が死んだことをなかったことには出来ないんだよ?」

直接臨也の口からそう言われドキリ、と胸が高鳴る。

ここは俺の夢の中だ。俺の本音が、俺の作り出す臨也の幻から出たとしても不思議じゃない。こんなことをしても臨也の死をなかったことになんて出来ない。そうだ確かにその通りだ。それは痛いほど分かっている。それでも臨也の死を認識させる物全てが煩わしかった。

「分かってる……でも辛い」

臨也の死を認めたくない、だから俺は何年間も同じ夢を見ているのか?そう考えたら少しだけ納得が出来る。夢の中だったら臨也に会える、だから繰り返し夢を見る。

でも、そんなことが本当に可能なのか。人間に夢をコントロール出来る力があるなんて聞いたことがない。寝る前に思っていたことが夢の中に出てきたり、目覚めたいと思ったら夢が終わるとか、それくらいならば聞いたことがあるけれど。

俺も繰り返される夢を見て、何も行動をしなかったわけじゃない。少しは調べてみたりしたが、探し方が悪いのか実際に存在しないのか、見たい夢を何年間もの間コントロール出来た例なんて一つもなかった。それに俺の場合は無意識だ。見たくない時でも、無意識が臨也を求めて夢を見せてしまう。

終わりの見えない考えを頭の中で繰り広げていると、ふとある可能性に辿り着いた。

何年間も繰り返される夢、それだけで明らかに普通ではない。だとしたら、本当に有り得ないけれど一つの可能性が浮かんでくる。普段ならば馬鹿くさくて聞けないけれど、今回の夢は何かが違う。時計を見る、時間はまだ沢山ある。大丈夫だ、大丈夫。下らない質問をたった一つくらいしても、終わりまでまだ余裕はある。

「……臨也」
「ん、どうしたの?」
「なんでお前は、俺の夢に出てくるんだ?」
「え、」
「だって、お前だろ?お前が、俺にずっと夢を見せているんだろう?」

瞬間、空気が凍ったのが分かった。妙な緊張感さえ漂い始める。臨也は心底驚いたように、目を真ん丸に見開いて口をぱくぱくと開閉していた。

「なん…で、気付いて……」


……まさかだろ。でも臨也の反応はそのまさかを事実にして真実にした。ただのふざけた、いや本当かもしれないと思っていたのも本当だ。毎日見続ける夢、夢なのに目覚めた後もしっかり全てを覚えていて。だけども、こんな真実普通に考えてありえないだろう。じゃあ、なんだ。この夢は本当に俺の意思なんかじゃなくて、死んだ臨也が見せてた夢だったってのか?何年間も、何年間も?なんで、どうして、理由は。

言いたいことはたくさんあった。でも出てきた言葉はほんの一欠片だけ。

「お前、まだ死にきれてねえのか?」

どうしてこんな言葉が出てきたのか自分でも驚いた。でも、やっぱり何を考えても最終的にはこの疑問になる。成仏とか生まれ変わるとかよく分からないけれど、死んでから何年経ってもその時のままの姿で居続けるというのは、まだ未練があるからだと考えるのが普通じゃないかと思う。

それにこいつの場合は自殺じゃない。事故だ。自ら望んで死んだわけじゃないんだから、きっと何かやり残したことがあるに違いない。それを誰かに伝えたくて毎日俺の夢に出てきたのだとしたら、全てが繋がるんじゃないのか。

「…ずるいなあ。俺でも今まで分からなかったのに……、いつから気付いてたの?」
「今、なんとなく。その花を見て…」
「案外、君は頭が良いのかもね。俺なんかより、ずっと良いよ。なんたって自力で気付けたんだから」
蘇らせた花を見つめながらそう呟く臨也の声は、弱々しくて、今にも消えそうで。

「俺は、気付けなかったよ。だから君を苦しめてることも、何も知らなかった。今まで、ずっと辛かったんでしょ?……馬鹿でごめんね」

その言葉を聞くと同時に、足の底から何かが一瞬にして込み上げてきた。その衝動を抑え切れず、目の前にいる臨也の体を強く抱き締める。拒絶されるとか、甘いことは言っていられない。今を逃したら後悔すると本能が俺に告げてくる。

「臨也、臨也なんだよな?本当にお前は…」
「うん。正真正銘俺だよ」

確かめるように背中に回した手に力を込めると、臨也の手が子供をあやすように俺の頭を優しくたたく。

なんでこいつは最後に俺を選んだんだろう。俺じゃないと成し遂げられない何かがあったのだろうか。もしそうならばこいつを助けたい。それが臨也と俺との最後の繋がりを断ち切ることになるとしても、どんなにこの温もりを手放したくないとしても。俺らはあるべき場所に還らなければいけない。

「……変なシズちゃん」

口ではそう言う臨也も、頭から手を離し今では俺の背中に手を回してしっかりと抱き着いている。臨也にとってこれは生きている人間との唯一の接触であるくらいにしか考えていないんだろうけれど、俺にとっては好きな相手と抱き締め合っているという状況だ。

臨也の心が、生きている時と比べて弱くなっているのはすぐに分かった。もし俺に触れて安心するならばいくらでも触れさせてやる。その方が俺も嬉しい。





ぱちぱち


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