「最悪」

スクリーンには、血でてらてらと赤黒く光る鉄柱と血まみれの黒と水色の制服が映っていた。それ以上その光景を見る気になれず、顔を背ける。

あんなに静雄が積極的に臨也に近付いたのなんて始めてだ。臨也があそこまで素直になったことにも驚いたが、それよりも静雄について考えてしまう。

あいつはもう限界だ。後少しで壊れてしまう。静雄が臨也を殺す理由がようやく分かった。静雄は夢から逃げようとしている。一歩も前に進まない夢から、臨也から逃げようと。静雄が壊れてしまえば残されるのは最悪なシナリオだけだ。十何年間もの苦痛も互いの想いも全てを踏みにじる最低最悪なシナリオ。そんなものがこいつらの行き着く最後なのだとしたら、俺は絶対にそんなものは見たくない。

「兄貴、思うんだけ…ど…」

兄貴のことだからスクリーンの映像を、にまにまと笑いながら見ているんだろうと思ってた。でも今の兄貴は、普段の姿からは想像も出来ない表情でスクリーンを凝視している。必死に食い入るように終わった映像を見ている兄貴からは残忍さは少しも感じない。

ぽた、と目から涙が落ちた。それは兄貴だけじゃなく、俺の目からも同じように涙が溢れている。次から次へと止まらないそれは、映像の中の臨也と静雄のようだ。だけれど、俺達には泣く理由なんてない。

「なんだ、…なんだこれ…」
「待って、何か…聞こえる…?」

好きだ。死んでほしくなかった。一緒にいたかった。何もしてあげられなかった。好きだった。今までも、そしてこれからも。ずっと。俺は、俺は。


今でもお前を愛している。


ここでぶつり、と声が切れた。

「今のは、静雄の…」

間違いない、今のは静雄の声だ。以前聞いたドロドロとした本音なんかじゃない。心の底にある臨也への愛情。それを聞いた途端、頭の中のもやもやや薄暗い考えがどこかへ消えていった。

「……死んだ人間が、死んでから願いを叶えたいなんてさ。そんなのずるいよね」

ぽつぽつと呟くように兄貴が口を開いた。俯いていて表情は分からない。

「時間があれば、生きている間でもなんとかなったよ。こいつらは。臨也の死は事故だったんだろう?」
「不幸で、理不尽な事故。それがなければ二人は幸せになれたとでもいうの?」
「あぁ、絶対な。なぁ、兄貴、もう悪戯は止めてやれよ。良いだろう。もういい加減、幸せにしてやったって」
「………面白くないもん」
「分からず屋。別に期待はしてなかったからいいよ。でもな」

後少しなんだ。臨也が静雄を諦めなくても、もう少しで全てが救われる。誰にも邪魔をさせてはいけない、それが例え兄貴だとしてもだ。

「今後必要以上に二人を虐めるのは許さねぇ。次もし一回でもやってみろ。いくら兄貴でもキレるぞ」

予想以上に低い声が出た。分からず屋の兄貴にはこれくらいが丁度いいだろう。当の兄貴は怒られたことに腹を立ててるのか、唇を突き出しながら拗ねている。本当に分かっているのか、この馬鹿兄貴は。

「……あ、れ?ここ…」

背後から声がして振り返ると、夢から戻ってきた臨也が床にへたりと座り込んでいた。

「臨也くん、帰ってきたね。じゃあ後はよろしく」
「ちょ、兄貴…」

そう言い残し消えた兄貴を恨めしく思いながら、制服姿で座りこんでいる臨也を見る。嬉しそうな寂しそうななんとも言い難い表情でどこかを見ていた。記憶がまだ定まらないのだろう。


少しずつ、臨也の夢が叶いつつあるのは確かだ。それでも、このスピードじゃあ臨也の夢が叶う前に静雄が壊れてしまう。もう残された方法は一つだけだ。

「……臨也」

口を開いた俺をぼんやりとした目で見上げる。もう全てを伝えるしかない。ごくり、と喉がなった。俺が伝えたところで一体何になるんだという思いさえ沸いて来る。もしも事態が悪化したら俺はどうするんだ。今までのこいつらの十数年に責任をとれるのか?

「何?」
「いや、その…」
「…焦れったいなあ」

手にじんわりと汗が滲む。俺はなんでこんなことをしているんだ。今まで通り傍観者に徹していれば俺の関係ないところで全てが終わるのに、何故それをしない。何故それが出来ない。

「実、は」

声が震える。もう覚悟を決めろ、覚悟を決めてこいつらに向き合え。俺がここにいる理由はなんだ。兄貴の横にいてただ終末を見守るためか?そんなの違うだろう。

『終らせよう、全部』

『今でも愛してる』

不意に、静雄の声が聞こえた気がした。愛してる、終らせる。愛してるから終らせる。静雄は終わりを望んでいた。ならば俺は、最低な終わりからほんの少しでも救われる終わりになるように足掻くだけだ。

「臨也!」
「な、何。急に大きい声出さないでよ。なんでこの顔は突然大声を…」
「死ぬな!!」
「はぁ?俺を殺すのは君達だろう?どんなに俺が逃げようとしても徹底的に殺すくせに」
「違うんだよ。いいか?全部教えてやる!だから死ぬな!お前らは幸せになれ!」

自分でも目茶苦茶なことを言っている自覚はある。夢の中の静雄もこんな気持ちだったんだろうか。

「……全部って、何?」

問い返す臨也の目をしっかりと見据える。戸惑い、ぐらぐらと心が揺れているのが目を見ただけで分かった。もうここまできてしまっては後戻りは出来ない。

いいじゃねえか。やってやる。俺がこいつらに幸せな終わりを迎えさせてやる。それにはやはり全てを伝えることが重要だ。

「お前の、見ている夢はさ、その…静雄と共有してんだよ」
「共…有?」
「そう、共有」

この世界の仕組みを分かりやすく伝えるにはどうすればいいんだろう。少し頭を悩ませる。その時間さえももどかしい。

「…なんていうの。その、お前が見ている夢の数だけ生きている静雄がお前と同じ夢を見てる、ってのが一番分かりやすいのか?」
「生きてるシズちゃんが同じ夢…」
「多分、っていうかお前が死んでから何年間も、静雄はお前の夢を見てんだ。数えてみろ、お前何回夢を見た?静雄にとってはほぼ、いや毎日夢を見てることになる」

こんな説明で分かってもらえただろうか。臨也は呆気に取られたような表情で俺を見上げている。突然こんなことを言われてすぐに理解は出来ないだろう。

でもこれが真実だ。バラしたと知ったら兄貴怒るかな、なんて考えながらそれでも胸の中はすっきりしている。もう兄貴の悪趣味なんかに付き合っていられない。あんなエンドなんかくそくらえだ。

「じゃあ、あのシズちゃんは自分の意思で行動してるの?あの言葉も?俺の見ている幻なんかじゃなくて、あれはシズちゃんなの?」

幼い子供みたいに何度も確認する臨也に頷きで答えを返す。静雄の行動、言葉。見た目以外は、生きている静雄と何も変わらない。全てが臨也の作る幻じゃないということは、臨也にとってすごく大きなことだ。それでも不安が頭を過ぎる。あれは生きている静雄そのものだ、だからこそ夢の中で静雄と会うことを望み、それだけで満足してしまうかもしれない。

「……臨也、だからって」
「全部終わらせるよ」

妙に決意に満ちた声だった。その言葉と同時に臨也が立ち上がる。初めて、臨也の自信というものを見たかもしれない。もしかしたら、こっちの臨也の方が本当の姿なのだろうか。

「一回だけ、もう一回だけ夢を見る。そしてシズちゃんに会ってくる。それで全部終わりだ」
「自信が、あるみてぇだな」
「うん。だって、シズちゃんが終らせたいって言っているんだもん」

ふと足元を見る。臨也の体が小刻みに震えていた。やっぱり怖いんだろう。全てを終わらせるということは、もう静雄には会えなくなるということ。でも臨也の願いは静雄から「好きだ」と言ってもらうことだったはずだ。一回というチャンスで叶えられる願いとは到底思えない。

諦めるというのだろうか。理不尽に満ち溢れたこの世界だが、それでも何度も繰り返しているのは臨也の「夢をもう一度見たい」という意思があったからだ。最後に一度だけ静雄と会って、それで全て諦めるつもりなのか。

それならば静雄の本当の気持ちを、あの頃からそして今も臨也のことを愛しているという気持ちを伝えるべきなんじゃないだろうか。そうして口を開こうとした時に、何かが唇に宛てがわれた。

「『向上心のない奴は馬鹿だ』」

聞き覚えのある声が耳に届く。振り返ると消えたはずの兄貴が微笑みながら近付いてきた。何を言いたいのかさっぱり分からない兄貴の言葉に、臨也は笑いを漏らす。

「君がそんな言葉を知ってるなんてね」
「津軽に教えてもらったの。意味も分かるよ」
「津軽?また新しい奴かい?そいつは君よりも頭が良いんだろうね。で、それを俺に伝えてどうしたいの?」
「別にどうも?ただ、一回だけで大丈夫なのかなって思って。本当は関わる気なかったんだけど、無茶を言っているようだから心配になっちゃってね。何百何千と繰り返して、一回も願いを叶えられなかったのに。本当にいいの?一回だけで」
「大丈夫だよ」

兄貴の言葉を断ち切るように臨也は力強く告げる。兄貴の甘言に耳を貸せば、残るのは静雄の崩壊だけだ。それに気付いているのか頑なに後一回だけ、と言い張った。そうだ、それでいい。もう何回も繰り返す時間は静雄にはない。

「もう君達と会うこともないだろうからさ、礼を言うよ。ありがとう」

ぺこ、と黒い頭が下がる。その顔には不安が色濃く浮かんでいた。一刻も早く静雄の本心を臨也に伝えようと口を開く。

「   」

おかしい。声が出ない。嫌な予感がして兄貴を見ると、にっこりと笑顔を浮かべていた。しまった、やられたと思った時には臨也はもう俺達に背を向けていた。最後の夢に臨もうとしているその小さな背中に、俺は何も言うことができない。

「バイバイ」

臨也の背中を見て、ふうと兄貴が溜め息を吐いた。そして、次の瞬間にはもう臨也の姿はどこにもなかった。





ぱちぱち


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