・来神時代


 同級生に母親扱いされたり父親扱いされることに大して抵抗はない。
 周りを見れば世話焼きな女子が母親だと頼られていたり、交流範囲の広い気の利くやつが兄貴だのと持て囃されている。そんな光景は至極普通で、どこにでもありふれているものだ。
 だが、その普通とはかけ離れたところで生きているやつらにとってその普通の行為や感情にさえ異常を伴う。
 別に、あいつらが異常だと言っているわけではない。あいつらはきちんとした人間だ。化け物でも悪魔でもない。だが、中身はどうかというと首を傾げなければならないところが多々あるのも事実だ。かといって、人間であることにかわりはないのだが。
 まあ、いいか。なるべく面倒なことは考えないようにしよう。どうせまたすぐに考えなきゃならない時がくるのだから。



「ドタチン発見」
 にま、と笑みを浮かべる臨也に顔を覗き込まれた。本に夢中になっていて近づいてくる気配に一切気づけなかった。どうやら少し油断し過ぎていたのかもしれない。
 授業中の図書室なんて利用者は俺以外誰もいない。退屈な授業を抜け出すやつはこの学校にはたくさんいるが、好き好んで本ばかりの陰鬱としたここにくるやつはいないだろう。そう思っていたのだが予想は外れたらしい。
「どうした」
 目線を本から動かさず問いかけると、するりと首に臨也の腕が回った。ふんわり香水の匂いが香る。甘っるい人工的な匂いに思わず眉を顰めてしまった。俺はこの匂いがあまり好きではない。
「ドタチンをねぇ、探しにきたんだよ?」
 舌足らずな声が耳に届く。意識しているのか知らないが首元に息がかかってこそばゆい。離れろという意思表示をこめて身を捩れば腕の束縛を強くされた。耳元にふっと軽く息を吹きかけられる。
「おま、……それやめろ」
「俺は何もしてないよ」
 そう言ってくすくす笑う臨也に心中で舌打ちする。たかが息、されど息だ。生ぬるい風に体は嫌でも反応する。むず痒いようなそんな感覚が俺は嫌いだった。
「ねえ、ドタチン。こんなところにいるよりさ、俺と遊ぼうよ。楽しいよ、きっと。退屈させないからさ、ね?」
「断る」
「なんで?」
「俺は本を読みたいからだ。お前も少しは静かに読んでみろよ。そしておとなしくしてろ。まぁ、本を読むタイプじゃねえか、お前」
 若干の皮肉もこめてそう言ってやれば、臨也は俺の手元にある本をじっと見ているようだった。ふむふむと何度か頷き、再び笑顔を見せる。
「その本、主人公の子は真相にたどり着く前に幻想に飲み込まれてラストはまた冒頭と同じ、時計の音に目を覚ますという無限ループだよ。まあ、解釈は色々あるんだけどね。博士を信用するかどうか、本当に救いはなかったか、そこがポイントだね。ドタチンは見たところ、作中に出てくる論文をまだ読んでいないみたいだ。頑張って、これからだよ」
 ぺらぺらと語られた内容は、どうやら今読んでいる小説の真相らしい。だがそれも漠然としたもので、今読んでいる部分からはまったくその間の空白を想像できなかった。それをこいつが意識していたかどうかはわからないが。
「前言撤回。本、読むんだな」
「人一倍読書はしているつもりだよ。本好きだったし」
 過去形なのが胸に引っかかったが、とりあえず流しておく。相変わらず俺から離れない臨也は、この状況を楽しんでいるのか鼻歌交じりに語り出した。
「ドタチンを探しにきたっていうのは嘘でね。ほらシズちゃんって図書室じゃ暴れないからさ、避難しにきたんだよ。ここなら気づかれても喧嘩に発展しないだろう? そこに君がいたってわけ。ねえ、少しくらいは構ってくれてもいいんじゃないかな」
「断るって言ってるだろ。それに俺を巻き込むな」
「だってドタチン優しいから」
 そう言いながら指で唇をなぞられる。過剰なスキンシップはこいつの得意技だ。自分の支配下に入らない人間にはとことん自分を意識させる。静雄のように嫌悪を逆手にとることもあれば、弱味を握り縛ることもある。俺はそのどちらにも当てはまらず、こんなことをされているというわけだ。
 残念ながら俺にそういう趣味はない。それはきっとこいつも同じだろう。そう信じなければこいつとの関係をすぐに終わらせなければならなくなる。
「お前、そういうことはやめろ」
「少しくらいいいじゃん。何も減らないしさ」
「読書時間が減る」
「それだけだよ」
 指が唇の間を割って侵入してこようとするのを阻止するべく、しっかりと口を閉じる。これで口を開いてしまえばどうなるのかは想像にかたくない。本を持つ手に思わず力がこもった。
「ちぇっ……、ちょっとした暇つぶしでいいんだよ。何も考えないでこの手を取って欲しいな」
 無論断る。手をとったら最後どうなるかは痛いほどわかっているつもりだ。こいつを掬い上げることはできても一緒に落ちるなんて真似はしたくない。
 あくまで沈黙を貫いていると、指がはらりと離れた。
「いい加減さ、無理だって。君がどう足掻いても俺たちと関わりを持ったが最後、傍観者面なんてしていられない。それならさ、俺のところにきなよ。悪いようにはしないから」
 なんと無茶を言う。俺は俺のしたいようにすらできないというのか。それだけの力をこいつらが持っていると?
 馬鹿らしい、自身過剰すぎだ。
 立ち上がると臨也の腕はするりと離れた。本を棚に戻す間、寄ってこないでじっと俺を見ている。
「臨也」
「んー? 何かなあ」
 へらっと笑う臨也に手招きする。嬉しそうな楽しそうな顔で近づいてくるその手をとって、図書室を後にした。
「どういう心変わり?」
「特に理由はねえよ」
「そう」
 ただ、このまま俺が一人で出ていったらずっとあの場所にいると思ったからだ。
 ああ、このまま屋上にでも行ってみようか。ベタベタくっついてくるだろうけれど、まあいい、今だけは目をつぶろう。それが一番いい気がしてきた。
 



「門田、てめえよぉ、ノミ蟲なんざと一緒にいるってどういうことだ。あぁ?」
 ドスの効いた声でそう言われてしまえば返す言葉もない。というか、下手に何か喋ればその瞬間拳が飛んできそうで口を開けなかった。
 屋上に着くや否や、扉の向こうから静雄がでてきて、臨也こそ走って逃げたのだが俺はあっさりと捕まってしまった。手を引っ張られ、床に投げつけられる。扱いが乱暴すぎる気もするが、出会い頭に殴られなかっただけマシだろうか。俗にいうマウントポジションをとられ、なす術もなく静雄のしたに組み敷かれる。臨也のやつ、もう甘やかせねえ。
「おい、何か言え」
「言っても言わなくてもだめなら黙ってる方がマシだろうよ」
「あん?」
 どうやら声に出ていたらしい、今のは完全に失言だ。
 静雄のこめかみに青筋が浮かぶ様子をどこか他人事のように眺める。臨也と違って、その時その時の感情のみで動いているから扱いに楽だ。こういう時は刺激を与えるより、自分の中で感情を処理させてやる。無言のまま我関せずを貫いていると、はぁと怒りに震える息を吐き出した。
「お前があいつにどういう思いを持ってるかは知らねえけどよ、あいつだけはやめとけよ」
 忠告、なのだろうか。ふるふる震えつつも懸命に言葉を選ぼうとしている姿を見て、口を閉じたまま黙っておく。
「あいつは、お前を味方につけたいだけだから。しかも、できたら利用しようとすら考えている。……俺はそれが許せない」
 随分と臨也に厳しい。だがその言葉を否定しようという気にはなれなかった。実際静雄の言うとおりだ。味方になってもらいたい、そんな気持ちがありありと見えている。なぜかまではわからないが、手駒のひとつくらいにしか思っていないだろう。
「俺は臨也のもんにはならねえよ。つうか物じゃねえしな」
 静雄の表情から怒りが抜けていく。
「それならいい」
 先刻の怒りはどこへやら、急に大人しくなった静雄は俺の肩に顎を預けてきた。近すぎる距離感は臨也と似ている。二人とも他人との上手い距離感を掴めずにもがいている印象を受けた。
「お前が臨也を選んだら殺すところだった」
「……物騒なこと言うな。冗談に聞こえん」
 染めて痛んでいる静雄の髪がちくちくと首筋に刺さる。生ぬるい息よりはこっちの方がマシだ。
「門田はものじゃない」
「そうだ」
「だから臨也だけのものにはならない」
「臨也だけっううか、俺は誰のものにもだな」
「なら俺も頑張る」
 どろ、と耳に何かが流れ込んできた。この感覚は臨也に詰め寄られたときのそれと似ている。声が低い分、こっちの方が厄介だ。濁りを見せるその声の発している音の意味に気づくよりも先に静雄がすり寄ってきた。
 機嫌が直ったみたいだし余計なことは気にしないでおこう。その方が自分のためになりそうだ。
 マーキングするような仕草を見せる静雄の頭を掴み離そうとするも、離れる気配はなかった。しかたない、しばらくはこのままだ。



「それはそれはご苦労だったねえ」
 のほほんとした緩い空気を纏う岸谷がジュースを片手にそんなことを言う。静雄と臨也を繋いだ張本人かつ、保護者のような立ち位置でふたりを傍観しているこいつは負担が減ればいいという目的で俺に近づいてきた。その結果、今のような関係が築かれたのだが。
「ご苦労っつうかよ、もう少しなんとかなんねえのか」
「彼ら僕の言うことなんて聞いてくれないし。何よりそんな無駄な労力使いたくないじゃないか」
「それでも友達かよ」
「だからこそだよ」
 何がそうなってその結論に達したのかはよくわからないが、とりあえず岸谷は何もしたくないらしい。確かに友達だからと何から何まで面倒を見るのはおかしいか。
 静雄と臨也のいない教室は良く言えば平和、悪く言えば味気ないものだ。
「……あいつらのよ、」
「え?」
「人をものとして見るくせ、どうにかならんのか」
 きょと、と目を丸くした岸谷が破顔した。そして肩を揺らして笑う。
「門田くん、相当気に入られてるんだね」
 そんなことを言われてしまえば返す言葉もない。おかしそうに笑う岸谷の頭を「笑すぎだ」と軽くごついてやれば、それすらもおかしいというように笑ってみせた。
「ごめんね、おかしくって。良いことじゃないか」
「……どっちかの物になるなんて俺はごめんだぞ」
「臨也がまた変なこと言ったのかな」
 子供の成長を見守る親のような微笑みを浮かべながら、岸谷が言葉を繋ぐ。
「彼らはご存じの通り友人が少ないからね。手元に置いておかないとどこか消えそうで不安なんだよ。可愛いじゃないか、子供みたいでさ」
 同級生に子供扱いされる気分はどんなものなんだろうか。ここに本人たちがいないので聞けないが、もしいたら岸谷に対し反論の一つでも飛んでいたに違いない。
「で、結局どっちにつくことにしたの?」
「馬鹿言うな。俺は物じゃねえよ」
「そうだけどさ、どっちかに身を寄せておく方が楽じゃないのかい? あらかじめ優先順位をつけておかないと後々大変だよ?」
「じゃあ聞くがお前はどっちが大切だ?」
「そんなの二人ともに決まっているじゃないか」
「俺も同じだよ」
 俺の場合大切という表現は的確ではないかもしれないが、まあいいだろう。二人が同じ位置にいるということさえ伝わればいい。
「門田くんは優しいなぁ。だから臨也や静雄に好かれるんだよ」
「褒められてんのか?」
「さてどうだろう。僕にも門田くんがいてくれないと困るしね。……うん、門田くんはみんなのものだ。そういうことにしておこう。そうすればすべてが解決するよ、良かったね」
 へらっと笑いながらそんなことを言う岸谷はそれだけを言うと満足したようにどこかへ行ってしまった。



 残念ながら俺は誰のものでもないし、誰のものにもならない。そんなもんだろ。普通に考えて。
 溜め息が霧散して消える。これ以上は無駄だ、と考えるのをやめた。
 卒業まではそばにいよう。あと数年くらい、別に構わない。どうせそのあとは離れ離れになるんだ。
 この選択が間違えているか今の俺にはわからない。だが、考えなくてもそのうちわかるだろう。俺は考えを放棄することに慣れていた。


ぱちぱち


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