・来神時代


「もう! あのね、喧嘩するのはいいけどさ僕にまで被害が及ぶようなら、いい加減怒るよ!?」
 怒りを孕んだ岸谷の声が昼休みの教室に響いた。予期せぬ大声にびく、と体が震える。前の授業中に書ききれなかった黒板の字をノートを写していた俺には、なぜ岸谷が怒っているのかわからず顔だけを岸谷に向ける。
 昼休みということもありうるさかった教室も突然聞こえてきた大声に一瞬だけ静まりかえった。そして事態を把握した瞬間、すぐに元の騒がしい状態に戻る。例え静雄が突然怒鳴ろうが、臨也との殺し合いを繰り広げようが、我関せずを貫くクラスだったのに珍しい。反応しやがった。
 それもそうか。俺たち以外の奴らとは関わりを持とうとせず、臨也と静雄の間でいつもへらへら笑っている岸谷が急に大声で感情を顕わにした。これだけで十分、驚く材料になる。
 岸谷と関わりがある、とは言ったが多分あいつは俺にそこまで興味を抱いていないだろう。俺も友人というよりはクラスメイトの一人という印象の方が正直強い。それでも、臨也を通して交流のある俺ですらあいつが怒るところを見て驚いたのだから、関わりを一切持たないクラスメイトならば尚更驚いても仕方ないのかもしれない。
 さて、何があったのか。書き終わったノートを閉じ岸谷の席へと弁当を片手に向かう。面倒なことが起こってなければいいが、こればかりは期待するだけ無駄だろうな。あいつらといてこの望みが叶った覚えがない。



「門田くん聞いてよ! 見てよこれ!」
 岸谷の元へと行くや否や、そう大声で指示される。指し示されたのは床。正確に言えば、床の上へと真っ逆さまに落ちた弁当箱だ。蓋がついていたならまだしも、蓋は机の上に置いてある。中に詰まっていたおかずやご飯は諦めるしかないだろう。実際いくつかのおかずはごろりと床に転がっている。
「ご、ごめんね」
 おずおずといった様子で口を開いた臨也の表情は今にも泣きそうな、心の底から悔いているような顔をしていた。
「悪い、新羅、その……」
 静雄の方も、反省しているのか叱られた犬のような顔をしている。
「……僕の方が泣きたいよ……、せっかくセルティがお弁当、作ってくれて……二人とも知らない。もう知らないから……」
 岸谷は岸谷でその二つを混ぜたような表情でひどく落ち込んでいた。
 岸谷の発言にずん、と一段空気が重くなる。会話と状況からして、セ……なんとかという奴に作ってもらった弁当を、新羅の傍で喧嘩していた二人がひっくり返したと、そういうことか。
 これは静雄と臨也が全面的に悪い。素直に謝っているところを見るとその自覚はあるのだろうが。
「俺、購買でパン買ってくる!」
「あ、待て! 俺も行く!」
 嵐のように去っていった問題児二人をじと目で見つめていた岸谷がふうと長く息を吐いた。そのまま椅子に座り、机にごつりと頭を打ちつける。
「う、うぅ……、もうやだ……」
 本当に、好きな奴絡みになると性格が変わる奴だ。普段からクラスメイトにもここまで感情豊かに接していればこいつを取り巻く世界も少しは変わるだろうに。そんな無理なことを考える。俺にわずかにでも興味を持っているだけで奇跡なのだ。岸谷にこれ以上の奇跡を求めても仕方ない。
「……元気だせって」
「無理かな。今はこのブルーな気持ちに浸っていたい……。悔しさで胸がいっぱいだよセルティ……!」
 ふむ。これは重症だ。臨也や静雄の怪我の手当てをするよりも、こいつは自分を治療した方がいい。主に頭と心を重点的に。
 岸谷と向き合うようにして座り、自分の弁当を広げる。何も自分だけ食おうとか、そういうわけではない。俺は冷血漢ではないのだ。
 ぐさりと箸に玉子焼きを刺す。
「岸谷」
「何」
「やる」
 上半身を起こした岸谷の口元に玉子焼きを近付けてやると、きょとんと目を丸くしてみせた。数秒の沈黙があったが、腹が減っていたのか無言のまま玉子焼きを一口で頬張る。もぐもぐと咀嚼し飲み込む姿を見るのも無礼だと、視線を弁当箱にやる。
「……おいしい」
「そりゃどうも」
「お母さんの手作り?」
「いや、俺だ」
「へえ……。ねえその唐揚げもちょうだい」
 ご希望通りに、今度は唐揚げを箸に刺してやると、これもまた一口で食いやがった。俺の水筒を渡してやると、ごくごくと良い飲みっぷりを見せる。ここら辺の遠慮のなさは臨也と似たものを感じる。
「元気出た」
「そうか。それはよかったよ」
 機嫌が直ればとりあえずそれでいい。重い空気の中飯を食うのは嫌だから。
 岸谷の分の昼飯は臨也と静雄がたんまり買ってくるだろうし、俺も腹が空いた。岸谷から返してもらった水筒の中身で口内を潤し、白米を一口。再び黙った岸谷を前に、一口一口と弁当の中身を空腹を訴える腹の中へ入れてやる。
「門田くん、料理上手なんだね」
「人並みにはな」
「いいことだと思うよ。男の心をつかみたいのならまず胃からともいうしね。もちろん僕としては好きな人の作る料理ならば味がどうであれ、その行為自体が嬉しいんだけど」
 なんだ。一体何が言いたいんだろう。とりあえず肉団子を岸谷の口元に寄せてやると、反射とも言えるスピードで食べた。こいつは犬か。
「ねえ、門田くん。僕のお母さんにならない? もう臨也と静雄のお母さんみたいなものだし、一人くらい子供が増えたところで変わらないと思うんだよね。僕お母さんいないから甘えてみたいなあ」
「なんだ突然? 意味不明だから却下」
「言ってしまえば、僕の弁当作らないかってこと」
「んなまどろっこしい言い回ししないではっきり言え。……それくらいなら別に構わねえよ」
 別に人数が一人から二人になったところで何も変わらない。頷いて肯定を示してやると、ふと疑問が浮かんだ。
「でもお前よ、いつものその……好きな奴? そいつに作ってもらった方が俺が作るよりもいいんじゃないか?」
「もちろんそうなんだけどねえ……。彼女今日と明日、仕事で家にいなくて……あ、だめだ。夜のこと考えたら涙が……」
「二日間もいないって、どんな仕事だよ」
「え、うーん。なんだろうね。なんだろう」
 あからさまにはぐらかされた。
 こいつの好きな奴について、俺は何も知らない。どんな姿をしていて、何歳で、岸谷とどんな関係なのか。話の端々から年上で外国人のような名前の持ち主だということだけは把握しているが。外見は岸谷から言わせてみれば「彼女こそ正に現世に舞い降りた妖精のよう」らしい。よほどの美人なのだろうか。自分からは散々聞いてもいないのにそいつの魅力を語ってくるくせに、いざこうやって俺が尋ねればごまかされてしまう。臨也や静雄は知り合いらしいが、あいつらに聞いてまで知りたいとも思わない。特別親しいわけでもないし、岸谷が俺に言いたくないのならばそれまでだ。そこに壁を感じないといえば嘘になるが。
「……今日辺り、門田くん首無しライダーが見れるかもね」
「あ? 首無しってあの、都市伝説のか? いや、見たことは確かにあるが……」
「その首無し」
「なんでお前が首無しの都合知ってんだよ。……つーか、岸谷夜はどうするんだ?」
「夜は臨也とラーメン食べに行く予定だから大丈夫。朝くらいはなんとかなるしね。最悪、食べなくても平気だし」
「朝はきちんと食え」
「お母さんだねえ」
 朝ご飯を作れるくらいならば弁当も自分で作ればいい、なんてことはもちろん言わない。臨也も静雄もこいつも常識というものが一切通用しないからな。それに特に断る理由も俺は持ち合わせていないことだし。
 さて、人に食わせるとなれば、適当で良いはずもない。何を作ろうか。バタバタと廊下を走る二人の足音を聞きながら、ぼんやりそんなことを考えていた。



「で、これが昨日言ってた弁当な」
 翌日。昨日のように岸谷が大声を出すこともなく、穏やかな昼休みが始まる。あのふたりは反省からか授業終了のチャイムと同時に教室から飛び出していった。外から二人の喧嘩している声が聞こえてくる。
 作ってきた弁当を岸谷に渡すと、いつもの笑顔を更に明るくさせた。
「わあ、これ開けてもいいのかな」
「あぁ」
 俺なんかの弁当にそこまで喜ぶ価値はないと思うが、喜んでくれるのは素直に嬉しいことだ。
 ぱかり、と岸谷が弁当箱を開ける。中に入っているものは朝に見たものと同じはずなのに、なぜか見るのが照れ臭かった。
「携帯で写メって送ってあげよう。クラスの人にお弁当作ってもらったなんていったらセルティ驚くかなぁ」
「それは構わんが美味そうに見えるように頼む」
「これで十分だよ」
 笑いながら携帯を構え、そしてちょっとだけ体を捻る岸谷の姿を見ながら自分も弁当の準備を始める。二、三回シャッター音が鳴ったかと思えば岸谷の顔がにやにやとした笑みを浮かべ始めた。
「送信、っと。さてご飯」
「味はあんま期待するなよ。すっげえうまいことも、すっげえまずいコトもないから」
「前にも言ったかもしれないけど、僕は好きな人が作ってくれたら真っ黒に焦げたから揚げでも泥団子でも、なんでも美味しいと思うよ。やっぱ作る人によって変わるんじゃない? こういうのって」
「そうかい」
 そんなものなのか。生憎、恋愛などしたことがなく岸谷の意見が正しいのかどうか判断できない。こいつの恋愛観はある程度達観しているし、自分の中で完結しているような印象さえ受ける。
「門田くんって、冷凍食品とか使わない人だよね」
「……あの濃い味付けがあまり好きじゃないんだよな。それなら自分で作れるもんは作る」
「臨也みたいなことを言うね。あいつ
の場合はちょっと違うけれど。じゃあいただきます」
 律儀に手を合わせ、ぺこんと頭をさげる。おかずやご飯を口にいれるたびに「おいしい」と連呼する姿は、どこか子どものようにも見えた。
「門田くんの作るものはなんでも美味しいなぁ。後で臨也に自慢しよう」
 音符マークが浮かんでいそうなほどの上機嫌を俺は初めて見たかもしれない。なんにせよ、こいつの中で少しは俺に対する認識が深まったことだろう。とはいえ、まだクラスメイトの一人くらいのレベルだろうが。
「よし今度は僕が作るよ。友達からの恩は恩で返すように言われてるしね」
「楽しみにしてる」
「料理の腕は門田くんほどじゃないけどね。やっぱり料理できる男ってだけでポイント高いだろうし。いや、僕には必要ないのかな……」
「ないよりはあった方がいいだろ。後々こういうのって必要になんぞ」
「それもそうか」
 静かな時間が流れる。たまにはこういうのもいいかもしれない。どこにでもあるような、こんな時間。もしかしたら俺らが共有してこなかったこの時間はかげがえのないものだったのではないだろうか。だとしたら、もう少し歩み寄ることも必要なのかもしれない。
「あー……、岸谷」
「ん?」
「今日よ予定とかないんだったら、一緒に帰らねえか」
「うん、いいよー。門田くんが僕になんて珍しいね。帰ろ帰ろ」
 朗らかな声で答える岸谷と俺の距離感がほんのわずか狭まるのを感じながら、にこにこと笑う岸谷の表情を見ていた。


ぱちぱち


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