「シズちゃん、どこに行くの?」
「……そんなに俺といるのが嫌なのか?」
「いや、ってわけ」
 あるに決まってんだろ。何を言っているんだこいつは。
 あれからシズちゃんは俺を担ぎ、無言のまま池袋の街中を歩いていた。人気が少ないところを選んでいるのか、周囲の視線はあまり気にならない。だからといってこの状況がマシになるというわけではないのだが。
 しかしこいつの肩から降ろされるとき俺がどの状態であるかは俺の今の態度によって決められるので、文句は心の中にしまっておく。
「それに、もう行くところは決まってる」
「はあ、そう……うわっ!」
 気の抜けた返事をすると、持ちづらくなったのか俺の体が担ぎ直された。荷物のような雑に扱いに軽い殺意を覚える。少しでも抵抗しようと足をバタつかせていると、黙れと言わんばかりにお尻を叩かれた。
「ひ、なにすん、
 ひりひりとするお尻の痛みを訴えるため大声をあげようとして、がり、と舌を噛んでしまった。じんわり血の味が口の中に広がる。指先で舌に軽く触れてみると、案の定わずかにだが出血していた。
「さいっあく。舌かんだ」
「マジか」
 そう言うとぴたり、シズちゃんの足が止まった。そのまましばらくそうしていたかと思うと、再び歩き始める。
「なに、どうしたの」
 間が気になり話しかけると、喉の奥で唸るような「うーん」という音が聞こえてきた。
「新羅ところに連れてくか、どうすっか迷った。でも、明日でいいよな。我慢できるか?」
「明日も何も、舌噛んだぐらいで大げさな。ていうか、シズちゃんの方が俺にいつもひどいことしてるし」
「…………」
 無視されてしまった。



「臨也さんこんにちは」
 シズちゃん号の乗り心地にも慣れてきたところで、ふんわりとした女の子の声がお尻の方から聞こえた。シズちゃんが後ろ向きに俺を担いでいるから、前方から歩いてきた人間には否が応でもお尻で挨拶しなければならなくなるのだ。
 声の主は、俺の記憶が正しければそんなことを気にする子ではなかったはずだけれど。
「やあ、沙樹ちゃんこんにちは」
「はい。……お取り込み中……でしたか?」
「いやぁ、別に……と言いたいんだけどねえ」
 シズちゃんを前にしても物怖じすることなくいつもと変わらない調子で話すことができる沙樹ちゃんに対し、俺が笑みを浮かべたところで彼女に見えているのはお尻だけだ。だんまりを決め込んでいるシズちゃんが少しでも愛想を良くしていればいいけれど、それはきっと期待するだけ無駄だろう。
 シズちゃんが理不尽なことでキレないうちに早くふたりを引き離す必要がある。適当に別れを告げ、立ち去ってもらおう。そう考えていると、バタバタと近づいてくる足音に気付いた。
「はー、ようやく沙樹見っけ。いきなり俺置いてどっか行っちゃうとか酷くね? って、げ」
「今度は君か……」
 ここまでくればもう誰が来たって驚かない。それに沙樹ちゃんが現れた時点で多少は予感していたことだ。
 俺の姿を見て嫌悪感丸出しの声をあげた少年に、シズちゃんから常時発せられている不機嫌オーラが一段と濃くなった。もしオーラというものに色がついていたらきっとシズちゃんの周りの空気は真っ黒だろう。
「なぁなぁ、沙樹? あそこに美味しいデザート食べれるところあるんだけど、そこ行かね? てか行こう? 今すぐ行こう?」
「焦っている正臣可愛い。いいよ、行こう? じゃあ臨也さんごゆっくり」
「……死ねっ!」
 捨て台詞を残し、まるで通り雨か何かのように立ち去っていった二人の後ろ姿が遠ざかっていく。
 あの二人は普通だった。いつもと何も変わらない。今のところおかしい行動をとったのは、園原杏里と黒沼青葉だけだ。あと、シズちゃんも追加しておこうか。俺のことを嫌いなやつらが揃っておかしくなった、とも考えたがそれならば紀田くんがそれに含まれていないのはおかしい。ふむ、他に何か共通点があるということなのか。なんだろう。こういうことを推測するのが人間観察の面白いところでもある。
「あの餓鬼」
 人が楽しんでいたところで、シズちゃんが地の底から湧き出たようなドロドロとした声をあげた。そしてそんな声とは対照的に俺の体は優しく地面に降ろされる。よかった、なんとか生きていられた。このまま逃げていいものか考えあぐねていると、思考を遮るようにシズちゃんの指がごりごりと音を鳴らし始める。
「ちょっと、一発しめてくるわ」
「は?」
「行ってくる。お前、ここで待ってろ」
「何言ってんのばかじゃないの!? だめ!」
 今にも走り出しそうなシズちゃんの腕を抱きしめ、動きを制止する。こいつをこのまま行かせればあのふたりがどうなるかは目に見えている。
 シズちゃんが俺をじっと睨んでいるのがわかった。とはいえ、こいつを行かせるわけにはいかない。
「……そうか、そうだよな。わかった。悪かったな」
 殴られるかと思ったのに、頭をぽふぽふと撫でられた。これはどういうことなのか。あまりの聞き分けの良さに驚きつつ、腕を抱く力を弱める。
「えっと?」
「そんなに俺とふたりきりになりたかったのか」
「え」
「そうならそうとはっきり言えよな。ったく素直じゃねえな、本当にてめえは。ほら、早く俺ん家行くぞ」
「うええええ」
 思わずシズちゃんの腕を離すと、今度は逆に手を握られてしまった。
 話の飛躍にもほどがある。どうやらとうとう平和島静雄までもが完全に壊れてしまったらしい。しかも、あの子たちに比べこの変化はとても気持ちが悪い。普段の関係が関係だっただけに、ギャップに違和感と吐き気がむかむかとこみ上げてくる。
「離せえええ」
「あっ、てめ!」
 逃げよう。とりあえず逃げよう。できる限りこいつから、今すぐに。
 手を振りほどきがむしゃらに走る。こんな非日常なら、俺はいらない。



「ドタチーン! 助けてええシズちゃんが気持ち悪いよお!」
 池袋中を移動範囲とした鬼ごっこの最中、運良く木陰で本を読んでいたドタチンを見つける。俺より大柄なドタチンの後ろに回り背中にくっつくと、ドタチンはゆるゆると振り向いた。
「どうした?」
 そのまま頭を撫でてくれたドタチンのおかげで心がすこし落ち着く。それと同時に、シズちゃんの掌の感触を思い出し背筋に冷たいものが走った。
「うひい」
「おい? また静雄に何かされでもした……っうわ!?」
 派手な音を発てながら俺たちの横にゴミ箱が飛んできた。中のゴミが散乱しているのにもかかわらず投げた主はお構いなしらしい。
 とっさに両腕を広げ庇ってくれたドタチンのおかげで俺の方に被害はまったくなかった。ドタチンもドタチンで怪我をしている様子はないし、わざと狙いを俺たちから外して投げたのだろう。牽制のつもりなのだろうか。腹立たしい。
「臨也、大丈夫か?」
「俺はいつものことだからへーき」
「……慣れるのもよくないと思うがな」
 ドタチンが苦笑を浮かべていると、元凶がじりじりと前方から歩きよってきた。長身の金髪バーテンは、遠くからでも目立つが近くにきたときの迫力も大きい。
「門田、てめえ臨也から離れろや」
「……ああ? お前、街中でこんなもんぶん投げといてそれはないだろ」
 いつになく好戦的な態度を見せるドタチンに少し驚く。シズちゃんと対等な目線で接することのできる数少ない人間が珍しく牙を向けている。犬の縄張り争いにも見えるそれの方が、シズちゃんの異常な変化よりも興味があった。
「うぜえな。臨也お前早くこっちにこい」
「……これはどういう状況なんだ?」
「わかんない。どうしよう」
「わかんないって、とりあえず静雄、お前は落ち着け」
「うぜえうぜえうぜえ。お前はそうやって昔から……」
 ドタチンを巻き込んでしまったことは素直に申し訳ないと思っている。でも普段ならばまだしも、この状況のシズちゃんを一人でどうにかできるほど俺は強くない。頼れるものは全部頼りたいというのが今の本音だ。
「話通じてねえよ……」
「ドタチン」
「……臨也、お前の得意技だろ?」
 ドタチンは何かを諦めたかのような笑みを浮かべていた。その手が俺の手を握る。大きく温かい手はシズちゃんの手と似ていた。そんなことを考えていた次の瞬間、身体が思いきり引っ張られる。そして少し遅れて耳に届くシズちゃんの怒声。

「逃げるが勝ちだ」



さわざわざわざわ。
ざわざわざわざわ。



 後ろから聞こえるのはシズちゃんの罵声と破壊音。横から聞こえてくるのはコンクリートを踏む音、荒い息遣い。
「シズちゃんとの鬼ごっこの基本はね、体力なんだよ。体力がないとすぐ捕まってひどいことされるから」
「おまえは、ちょっと、黙ってろ!」
 叱られてしまった。
 ドタチンは何か明確な目的があるのか細い路地裏を入ったりなどということはせず、ただまっすぐとどこかへ向かっているようだった。
「たぶん、ここらへんに……、おっ、いたな。狩沢ー、遊馬崎ー!」
 ドタチンの声に、駐車場にとめられた車の影になっている場所でしゃがみこんでいた子たちが立ち上がる。
「いやいや、門田さん。こんにちは」
「渡草は?」
「いるよー。ワゴンの中でルリちゃんの曲聴いて泣いてる」
「む、臨也さんも一緒なんすか? というか、なんか息きれてるみたいっすけど」
 細い目をさらに細め俺を見る遊馬崎くんは、ああっと手を叩いた。
「露西亜寿司にでも行くんすか? 食前の運動とか?」
「ちげえよ。つか、なんか変だな……。急に静雄の声が聞こえなく……」
 不審そうにドタチンが呟いた瞬間、目の前に止まっていた車の上にだすん、という音を発て、道路標識を担いだシズちゃんが現れた。その顔には獰猛な笑みが浮かんでいて、それを見た遊馬崎くんの口からは「ひょえ」という情けない声が漏れる。
「いーざやくーん。みーつけたあー」
「ちょ、やべえ、渡草ワゴン出せ!」
「あ、門田さんじゃないっすか。どうかしたんですか?」
「訳は聞くな。とりあえず静雄から距離を取ってくれ。このままじゃ車また壊されるぞ!」
「え、何々! とうとう門臨フラグたったの? シズシズから略奪したの? 略奪愛!?」
「ねえドタチン。どたいざ、ってなに?」
「あわわわわ狩沢さん、だめっすよ! 臨也さんはパンピーなんすから!」
「?」
「あー、もううるせえ! いいからはやく逃げるぞ!」



「ここらへんでいいのか?」
 心配そうな顔で尋ねてくるドタチンの優しさがあたたかい。俺がこんなんじゃなかったら、性別の壁を超えてドタチンに惚れてたんだろうな。そんなバカなことを思うくらいにはどうやら俺は疲れているらしい。
「大丈夫だよ、ありがとう。あいつの前じゃどんな建物もバリケードも関係ないからね。それならまだ事務所にいた方が落ち着くよ」
 事務所には出口が三つある。例えシズちゃんが来ても逃げることは十分に可能だ。街中を駆け回り体力を消耗するだけならば、こっちの方が断然マシなのだ。
「ごめんね。巻き込んで」
「お前が素直に詫びいれる言うなんて明日には槍でも降るんじゃねえか。気をつけろよ。怪我だけはしないように」
 そう言い残し、ワゴンに乗ろうとするドタチンに手を振る。そのまま行ってしまうかと思われたが、突然振り返り耳元に口を近づけてきた。何をされるのかと身構えていると、小声で囁くように「うしろ」と言われる。
「なんか危ないやついるから気をつけろよ」
「後ろ?」
 振り返ると、たしかにいた。うろうろ行ったりきたりを繰り返しているよくわからない奴がマンションの入り口付近にいる。
 しかし、ドタチンが不審がっているところ申し訳ないのだが、俺はあの顔をよく知っていた。
「……あー、大丈夫。あれもしかしなくても俺の知り合いだから」
「そうなのか? だったらもう行くぞ?」
「うん。ドタチン、ありがとね。ごめんね」
 今度こそ遠ざかっていくワゴンを見送り、ふうと息を吐く。そして、不審者オーラを発しているその男に近付こうとすると、嗅ぎ慣れた匂いが鼻をついた。ああ、間違いない。この香水の匂いは、
「……お前、奈倉?」
「ひええ」


ぱちぱち


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